門?
門が開く音?
あたしと先生は暗闇で顔を見合わせる。
カタン…。
「やべっ…!」
「お、お母さん?」
「帰って来ちゃった!」
先生は慌ててベッドから降りて、シャツを探す。
「先生っ…後ろ後ろ!足元!」
「あ、あったあった」
バタン。
玄関のドアが閉まる。
先生が自分のシャツを着て、あたしの服を整える。
ああ、もどかしい!
こんなとき、体が自由に動いたら…。
トントントン…。
お母さんの足音が近づく。
先生は、スタンドの膝掛けをバッと剥がして、明かりを消す。
コンコン。
慌ててドアまで走っていく。
「ただいま」
ってドアの向こうでお母さんが言う。
パチン、と電気のスイッチを入れて、先生がドアを開ける。
「「お、お帰りなさい」」
って二人でハモる。
セーフッ‼︎
先生の広い背中の向こうから、お母さんがひょいと顔をのぞかせる。
「映画でも見てたの?部屋暗くして」
な、なんで⁇
ば、ば、ば…ばれてるっ⁇
なんでっ⁇
「あ…う、うん…はい…」
わーっ‼︎
後ろから見える先生の耳が赤くなってる。
恥ずかしい!ばれるって先生!
「これ、つまらないものだけど…」
ってお母さんが先生に紙袋を渡す。
「あ。すみません。なんだ。気使わなくていいのに。全然」
「いいのいいの。無理言って先生にお留守番なんて頼んじゃったから。ごめんなさいね先生、ありがとうございました。案外早く終わって良かったわ」
早すぎるよっお母さん!
「じゃ、じゃあ僕はこれで…」
「ありがとうございました」
「先生、ありがとう」
先生は軽く手を上げて、はにかむように笑って帰って行った。
可愛い…♡
頭がポーっとして、さっきまでの先生を思い出してたら、ふと、お母さんの視線に気づいた。
「な、なに?///」
「ほんとにいい先生…男性ね」
お母さんがカーテンを開けて、自転車で帰って行く先生を見る。
そっか。外から明かりが漏れてなかったから…電気ついてないことばれたんだ。
なに…してたと思ってるんだろう…。
お母さんがカーテンを閉める。
「素敵な先生。モテるでしょうね…。そろそろ…落ち着いてもいい歳だし、きっと先生の周りには、素敵な女性がたくさんいるわね。…お母さんだって、若かったらほっとかないもの」
「なに…言ってるの?お母さん」
「ゆかり…」
お母さんがベッドに腰掛けてあたしの肩を抱く。
「あなたは、お母さんの自慢の娘よ。綺麗で、頑張り屋さんで、素直で優しい…ほんとに素敵な女性になった…」
お母さんが、言葉を詰まらせる。
「だけどね…親だから、できるのよ」
お母さんがあたしを抱き締める。
「娘だから、あなたの世話…お風呂に入れるのも、食事の世話も…導尿も…」
あたしは、嫌な現実をいきなりつきつけられる。
「いくら先生があなたのことを好きでも、可愛いと思ってくれても、お母さんみたいにずっとあなたが死ぬまで、毎日毎日、他人のあなたの面倒を見れるとは思えない」
「そ、そんなこと…あたし…そんな…期待してないよ。先生にそんなことまで」
「そう…。わかってたら、いいのよ」
お母さんは目に涙を溜めて、寂しく笑う。
「じゃ、寝る前に導尿しとこっか。ね?準備するわね」
お母さんが部屋を出て行く。
あ。
先生、ジャケット忘れて行った。
あたしは、ハンガーにぶら下がった先生のジャケットを見る。
先生の笑顔を思い出す。
「『おかえりなさい』っつって奥さんが脱がせてかけてくれるやつ?」
先生の奥さんになれるなんて…思ってない…。そんなこと…思ってないもん。
だけど、お母さんの言うとおり、先生は普通なら今付き合ってる人と結婚してもおかしくない年齢で…。
あたしが車椅子じゃなかったら…先生は…あたしを…奥さんにしてくれたかな…。
ジャケットが
滲んで
よく見えない…。
先生…夢、見てもいいかな。
それとも、見ない方が幸せかな。
「ゆかり…」
甘く優しい先生の声がよみがえる。
いつまで…そんなふうに呼んでくれるだろう…。