1973年のリサイタル

ヒデキ・愛・絶叫」でのヒデキの最高の絶

叫歌唱

 

元々フランスの歌手(ジョニーアリディー)さ

んのオリジナルですがヒデキはいち早くこ

の作品を自分のリサイタルに導入してまる

で自分のオリジナル曲の様に作品に入り

込んでの熱狂的な歌唱で凄いの一言です

本人はこの歌がかなりお気に入りで必ず

ライブの最後に歌いファンを魅了してエン

ディング(君を忘れない)に持って行った作

品でした

 

リサイタルでは最後の歌だから全エネルギ

ーを出し切ってのステージで今にも倒れそ

うなヒデキを観ながらファンは泣きじゃくり

ながらの声援で会場がうなってました・・・

それ程凄かったです

音源を聴けば納得されるはず・・・現場はレ

コードの10倍以上のファンの声援の大きさ

でした 声援以外何も聴こえなかった・・

 

僕もヒデキの凄いパワーに引き込まれてヒ

ートアップしながらドラムを叩いてました

彼はこの時18歳ですが大人の作品をこの

様に歌える何かが当時からあったんでしょ

うね作品に対して直ぐに入り込める生まれ

持った才能・・・元々勘がズバ抜けて良か

ったですから・・・

 

作詞家の千家和也さんもヒデキの情熱的な

歌いっぷりで作詞冥利につきたと思います

が・・ここまで他の歌手は歌ってくれないで

しょうね

作詞の内容が100%いや・・それ以上に魅力

的に生かされた歌い方だと思います

 

今改めてヒデキの歌を40数年ぶりに聴いてま

すが、当時伴奏していた時代と今聴いたのと

は格段の差でヒデキはやはり素晴らしい歌手

だったと実感している次第です

 

今この45年前のレコードがYouTubeに数名の

方がUPされてます

が中でも一番話題になっている曲です

アレンジは当時ヒデキの音楽アドバイザーを

兼ねていたワイルドワンズのチャッピー氏で

す なかなか盛り上がりのツボを得た素晴ら

しいアレンジですね

 

もうこの様な魂の叫びの歌い方の出来る歌

手は出てこないかもですね

エネルギーを出し切って歌ったヒデキに今は

感謝の言葉しか出てこないです。

 

とどかぬ愛

歌詞を紹介します 作詞 千家和也  編曲 渡辺茂樹
長い夜がやがてあける
人の声が外を通る
俺の胸にお前の手を
当ててお聞き愛の叫びを
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

遠い鐘がやがて明ける
人の声が外を通る
涙をふいてお前は今背中を向けて
服を着がえる
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

名前さえもおしえあわず
ただの一夜過ごしただけ
なのに古い昔からの
恋人たち そんな気がする
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

庭に咲いた花も見ずに
バスの走る通りに出る
広いツバの帽子かぶり
泣いた顔をエリにうずめて
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が

何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

演奏  永尾公弘とザ ダーツオーケストラ(18名) +ストリングス(10名) +コーラス(10名) ダンサー等々40名位の出演者        この時ヒデキは18才     正しく全身全霊で本当に100%熱唱の歌が聴 けます  

 

 

 

 

 

 

秀樹のバックバンドは永尾公弘とザ ダーツ(11名編成ジャズバンド) 1973年〜
ヒデキがデビューした頃の楽しい伴奏時代のエピソードです 是非ヒデキを思い出していつまでも応援してあげて下さい ひとりでも懐かしく楽しんで読んで頂ければ幸いです

 

 

 

永尾公弘とザ ダーツオーケストラのホームページ↓

http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=316386


当時秀樹の他にこのバンドはザ ピーナッツさんアイ ジョージさん岩崎ひろみちゃん等々の専属でもあり大変忙しいバンドでした

秀樹が18才の頃でデビューして少したってからの時代です

彼がまだ売り出し中の頃で全国ツアーに良く行きました、

当時秀樹のマネージャーがステージでギターを弾く時があり、歌っている秀樹をファンが引っ張って客席に落ちた時はすぐギターをやめて秀樹を慌てて助けに行っていました・・・・爆笑

この時代は(1973年)地方によってはアイドルの公演は観に行っては行けないと言う学校も沢山ありビジネス上色々プロダクションは試行錯誤していた時でした

それでも学校の決まりを無視して会場に詰めかけてくれた沢山のファンがいたのです・・・・
当時小学生・中学生・高校生が中心で、たまに成人女性も見かけました 当時男性ファンは来られてなかった様に思います

多分この時のファンの方々は今50代60代になられたでしょうね


とにかく秀樹は若さあふれ疲れ知らずの年頃でステージを走りまくってのライブでした・・・

力あまって良くステージで転んでました…もうなんでもありの時代で全力・絶叫型でした

ファンの声援も声が束になってステージに飛んで来る感じで凄いのひと言でした

バックバンドはビデキのその凄いスタミナに必死でみんな演奏していました

一部終ったら楽屋で大の字になって僕なんかヘロヘロになって死んでいました

1時間30分後は又2部のステージで一部と同じ事を演奏するので気合い入れないと途中でヘタるので大変だったです

6〜7人のBMバックダンサーもずっと一緒で、ツアーに出ると彼女達のステージ衣装が汗でびしょびしょになるので公演終ってホテルに着くなりみんな衣装を工夫して乾かしていました

僕らも同じでホテルに着くなり即洗濯が始まる訳でして・・・笑

秀樹にツアーの時良く下着(パンツ)を頂きました 「ハイ ジャッキーお疲れ様」って・・・笑

一部のステージで出演者は滝にうたれた様に汗びっしょりになっていたので・・・

劇場

浅草国際劇場・新宿コマ劇場・有楽町の日劇・・・等々

 

 

新宿コマ劇場の時は当時の歌謡ショー形式で漫談の宮尾すすむさんがヒデキの衣装替えの間にステージに出て来てトークする構成でしたがファンは宮尾さんが出てくるなり「帰れ~」とか「出てくるな~」って凄いヤジを飛ばしてました なんか宮尾さんが気の毒にみえた・・・(笑)
又ヒデキの振付師の一の宮はじめさんもステージに出て来てヒデキとふたりで振り付けの話しをする所もあって盛りだくさんの構成でした

 

 
それから国際劇場の時はバンドも2本で大盛り上がりのステージでした

 

当時国際劇場では恒例のレビュー「夏の踊り」の終った時でステージはその夏の踊りに使用した大きな滝があり秀樹はその滝にうたれて「とどかぬ愛」を熱唱してエンディングの構成でした
この時劇場では映画「愛と誠」を上演していました

この劇場出演の少し前にバンドからダンサーまで軽井沢で3日間合宿があり全員童心に戻って楽しみました
秀樹先頭で全員レンタ自転車借りて軽井沢の山の中を競争したり地元の方々とコミュとったり合宿場で夜秀樹達とトランプやったりして楽しんでいたのです

 
ダンサーは振付師一の宮はじめさんの門下生スタイル抜群のBMダンサーでした

この時は音楽プロデューサーとしてチャッピー(元ワイルドワンズのキーボード)が担当していて常に二人は構成を練っていたのです 秀樹もがんがんチャッピーに音楽の意見を言っていました

当時マイクパフォーマンスでは出来るだけ軽くて小回りがきくマイクをスタッフと色々考えていました
包帯をマイクにぐるぐる巻きにしたり・・・マイクスタンド台を取って変わりの物を付けたり等々・・・

又この一週間の国際劇場ライブの時に僕らのバンドの中に入ってギターの芳野藤丸君がゲストプレイヤーとして演奏していました 彼はまだこの時は無名でしたが、その後秀樹のバックバンドとして又自己のバンドSHOGUNでも活躍されました

ヒロイン オーデイション
映画「愛と誠」の愛役のヒロインのオーディションを銀座三越デパートの屋上で開催この時も秀樹は数曲歌うのでバンドも出演しました
審査員の秀樹とか、原作者の梶原一騎さん等々の5〜6人が審査されていましたが後の方はどういう方が審査されていたかは覚えていないです
バンドの前にずらり10代の女性が水着姿で数十人並んだ時は秀樹の伴奏していて良かったと、この時だけは思いました・・・笑

そして残念ですが若くしてこの前お亡くなりになられた早乙女愛さんが抜擢されたんです
審査終了後楽屋で早乙女ちゃんに「おめでとう」・・・良かった・・・って握手しました
手をにぎりたいだけだったんですが・・・笑

又国際劇場とか色々な会場に彼女はたまに顔出していました
リサイタル
1973年郵便貯金会館にて 「ヒデキ・愛・絶叫」 リサイタルより

下の音源はYouTubeにどなたかがUPされたものをお借りしてます

当時のリサイタル音源です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このリサイタルには数十名のストリングスをはじめ10名以上のコーラスとダンサーと当時のトップスタジオミュージシャンも参加、トランペットに羽鳥さんトロンボーンにチャンピオン等々の面々を向かえての40名以上の演奏者で超贅沢なリサイタルでした
リハをしっかりやっていざ本番でしたが・・・所が本番に大ハプニングがあり幕が上がると同時にすさましい声援が起こり何も聞えない状態での演奏だったんです
ヒデキも勿論バンドの音は聞え辛い状態で歌ったと思います
やはり歌とバンドがずれる所も出てきたんです・・・
今はかえってこれがお宝でしようね・・・ライブの醍醐味

演奏する所はオケボックス(ステージの前の所)だったのでダイレクトにファンの声援が直接聞えて凄い感じになったんです・・・
声援もそうですがファンから物も飛んで来てそれを避けながらのステージでした
録音用のマイクには物が絡み倒れるとか・・ハプニングの連続のリサイタルでした
レコードをあとで聞くとドンッ とかゾリゾリなんて聞えてます・・・笑


曲目

1)ラブ
2)イエスタディー・ワンス・モア
3)アイ ビリーブ イン ミュージック
4)孤独の太陽
5)シー ラブス ユー
6)ラブミー テンダー
7)クレイジー ラブ
8)カトリーヌ
9)トライア リトル テンダーネス
10)愛は限りなく
11)ちぎれた愛
12)恋する季節
13)恋の約束
14)チャンスは一度
15)情熱の嵐
16)青春に賭けよう
17)愛の十字架
18)とどかぬ愛
19)君を忘れない


特に9曲目の「トライア リトル テンダーネス」の曲は前半超ベリースローで非常に難しいテンポですが秀樹はその難しい作品をお見事に歌い込んでいます

この歌はトムジョーンズが歌ってますがアレンジもトムとほとんど同じです
18才の若さでこの様な難曲を選ぶ事も秀樹自身洋物には自信があったんでしょうね
今の18歳くらいのジャニーズ系の歌手でこの様な作品は多分歌えないと思いますが・・・・

当時、秀樹のステージでの歌はじっくり語り口調の作品が多いです・・・又彼自身ファンに訴えかける様に実にお見事に歌っています

18曲目の
「とどかぬ愛」も同じくスローナンバーを絶叫しての熱唱です
元々海外の作品ですが彼は自分のオリジナルのように歌っています

この作詞は千家和也さんでアレンジは渡辺茂樹君です なかなか聴かせ処のツボを得た編曲です

 

この頃音楽アドバイザーとして又アレンジャーでもいつも一緒だった元ワイルドワンズのチャッピー事渡辺茂樹君が担当していてヒデキと作品の事を熱心に打ち合わせしていました

 
とにかくこのリサイタルは凄いの一言でした
後半ヒデキもファンも大泣きで会場全体がうなっていた感覚でした
音源を聴いてもらえば分かるはずです・・・レコードで聴く声援の大きさは現場では10倍くらいのボリュームでした バンドもヒデキの歌もかき消され何も聞こえない状態でした
 
又このリサイタルは大成功で ヒデキもファンも号泣絶叫しながらエンディングの歌に続きました
最後の「君を忘れない」の時はエネルギーを振り絞って今にも倒れそうに歌いそのヒデキを見ながらファンは大泣きでした
このレコードは数回企画及び音源を編集して発売しています ヒデキもお気に入りのリサイタルでした
絶叫のタイトルはヒデキもそうですがファンの絶叫声援も含めてのレコードタイトルだったんでしょうね
 
ヒデキらしい素晴らしいレコードタイトルです
 


野外ステージ

富士急ハイランドとかよみうりランド等々の野外ステージも当時積極的にこなしていて 又ほとんどが真夏のライブだったので色々ハプニングが起きました・・・

例えばヘリコプターの縄梯子からステージに降りて歌う予定が強風の為急遽変更して飛行場に一旦帰るとか・・・(笑)

 

 

 

ステージ中電源トラブルになり慌てて音響係がステージに上がって修理したとか・・・
 
色んなハプニングがありましたが、それでも若さあふれるステージだったので もう何でもありの時代でした


同じ時期に野口五郎ちゃん郷ひろみ君の伴奏も沢山テレビ局でやっていました

 

 

後期の秀樹が完成する前の時代で若さと冒険心とアイデアに満ちたヒデキでした

 

 

ヒデキはたくさんの思い出をファンに残して旅立ちました・・・・ありがとう Bravo

「とどかぬ愛」 歌詞を紹介します 作詞 千家和也 編曲 渡辺茂樹
長い夜がやがてあける
人の声が外を通る
俺の胸にお前の手を
当ててお聞き愛の叫びを
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

遠い鐘がやがて明ける
人の声が外を通る
涙をふいてお前は今背中を向けて
服を着がえる
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

名前さえもおしえあわず
ただの一夜過ごしただけ
なのに古い昔からの
恋人たち そんな気がする
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

庭に咲いた花も見ずに
バスの走る通りに出る
広いツバの帽子かぶり
泣いた顔をエリにうずめて
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃
何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が

何故分からぬこの気持ち
何故届かぬこの愛が
Que Je Tame  〃 〃

以下繰り返し・・・ヒデキ後半号泣してのステージでした

 

 

1973年頃のバンドメンバー

サックス
佐藤
高橋
大場
矢野

トロンボーン
梶田

トランペット
永尾公弘 (リーダー)
大久保
細田
島袋
田中昇

ピアノ
大谷和夫
若林俊男

ベース
下村幸太郎
平田兼

ギター
吉橋
沼尻

ドラム
吉川憲 (ジャッキー)blog管理人

パーカッション
ひろし

ちぎれた愛/恋する季節/恋の約束/チャンスは一度

 

「ヒデキ・愛・絶叫」リサイタルより 1973年郵便貯金会館

演奏 永尾公弘とザダーツ(16名)

ストリングス+コーラス+ダンサー 計40名以上の豪華出演

18歳のヒデキ熱唱です

 

 

 

1966年「孤独の太陽」 アメリカのウォーカーブラザースのヒット曲 

1963年「シーラブス ユー」  ビートルズ 

 

「ヒデキ・愛・絶叫」リサイタルより 1973年郵便貯金会館

演奏 永尾公弘とザダーツ(16名)

ストリングス+コーラス+ダンサー 計40名以上の豪華出演

18歳のヒデキ熱唱です

 

 

 

 

当時カーペンターズの大ヒット曲をいち早く取り入れ熱唱

郵便貯金会館リサイタルより・・・1973年「ヒデキ・愛・絶叫」

演奏 永尾公弘とザ・ダーツオーケストラ(16名)+コーラス+ストリングス+ダンサー :計30名以上の出演者