※画像は映画『鬼畜』で怪演する岩下志麻。まさに「鬼畜」である!

お城マニアの憲さんにとって、今のような重機がない時代にあのような高い石垣をなす巨石をどのように運搬するのか、長年謎であった。

しかし、古代から日本においてはそのような巨石の運搬技術は発達していたようで、例えば石舞台古墳を見ればそれは明らかであろう。

参考
【石舞台古墳】


その、巨石を運搬する橇(そり)状の道具を“修羅(しゅら)”と呼ぶそうである。

これだ
修羅️ しゅら️初めて知りましたーー

【修羅(そり)】

これは、近世における築城でも同じ原理であった。

参考
こんなに大きな石材をどうやって運んだのか?

では、なぜこのような巨石の運搬具を“修羅(しゅら)”と呼ぶようになったのであろうか?

それは、こうである・・・。

巨石=大石を「タイシャク」と読み、それを帝釈天に引っ掛け、帝釈天を動かせるものは阿修羅すなわち修羅であると語呂合わせからきたとされている。

・・・と言っても、これも説明が必要であろう。

“修羅”とは“阿修羅”の略称であり、“阿修羅”とは仏教の守護神であり、血気さかんで、闘争を好む鬼神の一種である。

奈良にある興福寺の三面六臂の国宝、阿修羅像はつとに有名である。

参考
【阿修羅像】

しかしのち帝釈天などの台頭とともに彼等の敵とみなされるようになり、常に彼等に戦いを挑む悪魔・鬼神の類へと追いやられた。

参考
【阿修羅】

阿修羅とは?

ということで、大石(タイシャク)=帝釈天に戦いを挑み、その帝釈天を動かしていたのが阿修羅、すなわち修羅であるとの語呂合わせから巨石の運搬具を“修羅”と呼ぶようになったのである。

なんとも洒落人、江戸っ子憲さんの好みそうな“語源”である!

しかし、そう呼ばれるようになったのは当然ながら仏教伝来以降であり、古墳時代にこの運搬具がいかなる語で呼ばれていたかは定かではないそうだ。

・・・と、ここまではいわゆる“マクラ”である。

では、この“修羅”で思い浮かぶもう一つの単語は何であろう?

そう「修羅場(しゅらば)」である。

「あの、現場は“修羅場”だよ」など、現代でもまだ使われる単語であるが、この意味は何であろうか?

これも、その語源は「阿修羅」からきている。

修羅場(しゅらじょう、しゅらば)とは、やはりインド神話、仏教関係の伝承などで、阿修羅と帝釈天との争いが行われたとされる場所である。

これが転じて、激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる戦場または事件・事故現場といった状況を指す。

そして、ここからが重要であるが、日本においては、特に争いの原因が痴情のもつれである場合を指して用いられることが多いのである。

参考
【修羅場】

ちなみに、憲さんも57年間生きてきて、この「修羅場」を何度か経験している。

最近もまさに違う意味での「修羅場」を体験したが、それについては内密( ̄ー ̄)ムフフ。

この「修羅場」のお手本を描いたような映画を昨日みた。

図書館で久しぶりに映画を借りた。

松本清張原作、野村芳太郎監督、緒形拳主演の松竹映画『鬼畜』である。

参考
【映画『鬼畜』】

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%95%9C_(%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5)

予告編

この映画、1978年制作の映画である。あらすじについては上記のサイトに詳しいので参考にされたし!(ネタバレ注意!)

そして、その「修羅場」は映画の冒頭に描かれる。

それは、日本を誇る名俳優緒形拳、岩下志麻、そして小川真由美がまさに火花を散らしあうまさに「修羅場」中の「修羅場」と言ってもいいであろう、「修羅場」である。

もし、子供に「ね~、『修羅場』ってどういう場所なの?」と聞かれたら躊躇なくこの映画の冒頭シーンを見せつけてやればよいであろう。

「これがまさに『修羅場』という場所だよ!」と。

子供にとってトラウマになること請け合いてある!

そのくらい絵に描いたような「修羅場」だ。

実は憲さん、この映画をまだ「レンタルビデオ屋」(文字通りVHSのビデオテープ!)があった30年くらい前に借りてみたことがあった。

まだ20代の頃であった。

その時の印象と今回みて感じた感想が違うことに気がついた。

当時みた印象は、当然ながらも岩下志麻の怪演に集中していた。

特に、岩下志麻が一歳半の子役の口に飯を詰め込むシーンは強烈であり、映画『鬼畜』と言えばみた人のほとんど全てがこのシーンを鮮明に思い起こすであろう、それくらい「トラウマ」なシーンである。

というか、現代でこのようなシーンを撮影したとすれば、それは「犯罪行為」として取締りの対象となるのではないだろうか?というほどの代物である。

ということで、この『鬼畜』という映画の題名は岩下志麻を指すものだとばかり思っていた。

しかし、人生半世紀以上も過ぎて酸いも甘いも噛み分けた今に至ってこの映画をみ直してみるとこの映画でいうところの本当の「鬼畜」とは、平凡でお人好しで気の弱い主人公、緒形拳のことであるとようやく気が付いたのである。

それは、その規模では全然違うし、その例として挙げるのも適当かどうか疑わしいが、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者であり自身もナチによる弾圧から生き延びたハンナ・アーレントいうところの「平凡な人間の凡庸な悪」を思い起こさせる。
  
ハンナ・アーレントは「本当の悪は平凡な人間の凡庸な悪」であると述べている。

参考
憲さん随筆アーカイブス アメフト選手とアイヒマン
この随筆で、憲さんハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」について触れている!

若い頃にこの映画をみたときは先にものべた通りで岩下志麻の怪演に心を奪われ、主人公の緒形拳は気が弱く、ラストシーンでは泣き崩れるなど、本質的には「優しい」人物であると憲さんは「誤読?」していたが、やはりよくよく映画をみるとその「悪の凡庸さ」「本当の悪は平凡な人間の凡庸な悪」という意味で、緒形拳演じる主人公の「鬼畜」さ加減が突出しており、みていて辟易としてしまう。

そういう意味では岩下志麻の「鬼畜」さ加減などは、その「鬼畜」となる理由がハッキリしているので、「序の口」ではとさえ思ってしまうのである。

この映画の宣伝文句にはこうある。

「抱きしめてやりたい!この感動」

「清張・野村が現代社会に追う父と子の愛の絆」

本当だろうか?

この映画をみて「感動」などする人がいるのだろうか?

この映画で「父と子の愛の絆」を感じる人がいるのだろうか?

甚だ疑問である。

ウィキペディアにこのようなエピソードが書いてある。

以下、引用。

映画のラストで、利一(長男)が宗吉(主人公の緒形拳)を「父ちゃんなんかじゃないやい!」と否定するシーンは、観客によって解釈が分かれることが多い。「父親をかばった」とする意見と、「父親を拒絶した」という意見である。脚本の井手雅人の意図は明確である。幼少時に尺八奏者である父・菊次が芸妓と出奔、伯父夫婦に引き取られた経験がある井手は、利一に過去の自分を重ねて、自分を捨てた父親への恨みと拒絶を表したものとしてこの台詞を書いたのだった。ところがそれではあまりに救いがないと判断した野村は、利一が父親をかばっているのだと解釈する刑事たちの台詞を加えて、どちらとも取れる演出を施した。この脚本からの改変について、井手は終生「違うんだなあ」と愚痴をこぼしていたという。

以上、引用終わり。

憲さんは圧倒的にこの脚本家を支持する。

そういう意味では野村監督の演出は甘い!

それはこのようなサイトでの評価にもあらわれている。

以下、引用。

末っ子の庄二が栄養失調で亡くなるのは、原作の食糧難の時代背景が影響しているという。その為曖昧な表現になったのは、この脚色の唯一のミス。

以上

参考
名優緒形拳の名演による男の未熟さを徹底的に突き詰めた社会派映画の傑作

脚色のミスとさとなっているが、映画は全てが監督のものであり、これは脚本家のミスというよりも監督のミスであろう。

憲さんもそう思う。

末っ子の死因は「窒息死」でなければ・・・。

でも、そうしてら「事件性あり」として違う展開になっていたか?

それにしてもこの映画をみて、憲さんがもし、この三人(緒形拳、岩下志麻、小川真由美)と同じ立場であったらどう振る舞ったであろうか?

真剣に考えてしまった!

(少なくとも緒形拳のような隠し子を3人もこさえるなど絶対にしないであろうが!)

いずれにせよ、この映画全く感動することもなければ、「父と子の愛の絆」を感じることもほぼないであろう。

しかし、日本を誇る名優3人の怪演、そして何よりも子役の名演技により「社会派映画の傑作」と言うのには異論はない。

是非とも皆さんもみて損はない一作だと思います。

ただし岩下志麻の怪演でトラウマになるのも必至です!

(´艸`)くすくす

どーよっ!

どーなのよっ?

追伸!

この映画、1978年制作ということで、憲さんが11才の時に封切られたものであるが、その映像に憲さんもうっすらと記憶のある東京や東京近郊の街並みの映像が出てきて、大変懐かしい。

例えば主人公の緒形拳の住む川越の街並みの俯瞰ではいまはなき「第一家庭電器」の黄色い看板がみられて懐かしさを誘う。

参考
【第一家庭電器】

ということで、憲さん当随筆を書くに当たって、違う「街並み系」の“マクラ”用意していたので、せっかくなのでこちらも紹介しておく。

暇なときにご一読を!

以下

上野動物園の隣に鎮座しているのが、徳川幕府を樹立した東照大権現=徳川家康を祀るため寛永4年(1627年)に創建された上野東照宮である。

この東照宮、日光東照宮・久能山東照宮に並ぶ三大東照宮の一つと言われているとかいないとか・・・。

ここは、動物園や博物館などの喧騒から少し離れ、上野の山らしからぬ、普段は静寂に包まれている霊域である。

参考
【上野東照宮】


この上野東照宮、その本殿の豪華な装飾も見所であるが、参道の灯籠群もまた一見の価値がある。

拝殿近くに配されている灯籠は銅製で、徳川御三家が寄進した銅燈籠は、唐門の入口の両側に置かれている。

唐門から参道入口の水舎門に近くなるにつれ、大名の格式が低くなり、さらに低くなると銅製の燈籠ではなく、石灯籠になる。

上野東照宮の参道にはこの石灯籠が等間隔にびっしりと並んでいるのだ。

その列はまた圧巻である。

これらの灯籠は装飾目的で設置され、一度も灯りを点すことはなかった。

そして、これらの灯籠は、何世紀にもわたって広大な神社の境内全体に散らばっていたようだが、徳川幕府が倒れた後に東照宮の敷地が大幅に縮小され、敷地が狭くなったことにより、灯籠は現在のように距離を詰めて並べなければならなかったそうである。

ということで、この上野東照宮の石灯籠群はいわゆる「明治維新」後このように配置され、それが現在までその佇まいを変えないでいるという訳である。

参考
上野東照宮の銅燈籠は、諸大名のうち格式の高い大名が寄進した銅製の燈籠です。

寺社というのはある意味便利な存在である。

その施設の性格上場所やその建物などの佇まいも何年、何世紀にもわたり変化しないことが多いからである。

なので、古地図等を読み解くときは神社仏閣を探し、そこからその土地の場所を同定することが容易となる。

今回は古地図を読み解いた訳ではないが、この憲さんもよくぼたん苑を見学しに行った、“見慣れた”上野東照宮の石灯籠が並ぶ参道を奇しくも映画の中で見つけた。

その石灯籠の参道で跪き、子供を抱いて慟哭する俳優がいまは亡き緒形拳である。

その映画とは・・・

松本清張原作、野村芳太郎監督の松竹映画『鬼畜』である・・・。

以上が今回ボツとなった“マクラ”である。

念のため。

あなたはどちらのマクラがお好きですか?

(´艸`)くすくす

どーよっ!

どーなのよっ?

映画『鬼畜』について参考にしたレビュー
鬼畜 (1978) 緒方拳×岩下志麻 松本清張原作 怖さはホラーなみ!

「印刷モノ」をレビューする! 第2回:「鬼畜」

映画『鬼畜(1978)』あらすじネタバレ結末と感想

映画感想「鬼畜」

以上