※画像は山田湯管理人居住部分の佇まい。普通の民家である!
※この随筆は2007年6月13日に執筆したものに加筆修正しました。
人生は勝負である。生きていることは闘うことであり、すなわち、勝つか負けるかのガチンコ対決なのである。
温泉巡りも勝負である。
いい温泉にめぐり合えたときは至福の勝利感にひたる。温泉に浸かりながら、恍惚感にも似た勝利感に耽る。
逆に、会いたくて、会いたくて夢にまで見た温泉にやっと辿り着いたら、清掃中で入れない。休業中だった。温泉が潰れていた。
こんなときには重量級ボクサーのパンチに打ちのめされたような大きな敗北感を味わう。
長い温泉人生、こんな敗北感をいくつも味わってきた。
憲さんの人生、敗北の連続である。
和歌山県白浜温泉崎の湯。
有馬、道後に並ぶ日本三大古湯の一つに数えられる温泉。海に面した絶景の露天風呂でもあり、温泉マニアはおさえておきたい西の温泉だ。
2002年の連休に愛車のオートバイCB1300で出かけた紀伊半島一周ツーリングでこの温泉に立ち寄った。
しか~し!紀伊半島を房総半島と同じくらいの大きさだとたかを括っていた憲さんが甘かった。
崎の湯に夕方遅く到着し、「やっと、着いた!よ~し!入るぞ!」と鼻息荒く浴場に入る。
が~~~ん!!!
ない! ない! お湯が無い!
「お前さん、もうおしまいだよ。掃除中だ。」掃除のおじさんの声が無情にも私に突き刺さる。
立ち尽くす私。そして、泣きながら、空の湯船に入って写真だけ撮ったのを記憶している。(仕方なくこのときは牟婁〈むろ〉の湯に入湯した!)
参考
↓
【崎の湯】
https://onsen.nifty.com/shirahama-wakayama-onsen/onsen003434/
【牟婁の湯】
https://onsen.nifty.com/shirahama-wakayama-onsen/onsen003442/
【南紀白浜温泉】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%B4%80%E7%99%BD%E6%B5%9C%E6%B8%A9%E6%B3%89
奥深い温泉道の藪道を歩んでいるとこんな敗北感にさいなまれる時がごまんとある。
しかし、その敗北を糧に、「よ~し! 次こそは必ず勝利してやる!」という活力につながるのも事実だ。
今日は、そんな話をしよう。
誰もが知っている熱海温泉。
東京から約1時間、首都圏の奥座敷の熱海は、私が生まれる頃、そう、私の両親の時代は新婚旅行のメッカとして一大観光地として栄えた。さらに80年代バブルの時代はリゾートホテル、リゾートマンションの建設ラッシュに沸き、東京のバブル成金が大枚を落として行った。
しかし、バブルも崩壊すると投機的な建設ラッシュも下火となり、落ち着きを取り戻すが、客足が減り、ホテル建設ラッシュのつけで宿泊客の人数に比して客室数がだぶつき、相次いでホテルが倒産、建物は廃墟と化した時期があった。
さらに、温泉の枯渇が追い討ちをかけ、熱海といえばさびれた温泉街の代名詞とイメージされる時代もあった。
私自身、温泉道に入ったきっかけが混浴→秘湯という極めて真っ当なトレースを踏んでいるので、いわゆる“歓楽街系温泉”には全くといっていいほど興味が無かったというのが正直なところだ。
しかし、それは甘い認識であった。老舗の温泉は老舗の温泉として、それなりの実力を備えた存在である。熱海温泉も源泉数が熱海市に544井もあり、別府温泉、湯布院温泉、伊東温泉、 指宿温泉に次ぐ全国5番目である事実はあまり知られていない。
参考
↓
【熱海温泉】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%B5%B7%E6%B8%A9%E6%B3%89
温泉道を極めるにあたっては、このような“歓楽街系温泉”もやはり避けて通ってはならないものであることを、熱海に行くようになってから痛感した。
温泉の道は奥深いのである。
この熱海温泉、私がよく行くようになったのはもう一つ訳がある。
私の所属する労働組合の上部団体の合宿を、この熱海で開催する事が多いのである。
上部団体は全国組織であり、特に首都圏と関西圏の仲間が集う場合、交通の便を考えると新幹線が停まる熱海は絶好の立地条件にあるのだ。
前回も熱海で開催され、参加した。そのときは温泉旅館福島屋(現在は廃業)で入浴を楽しんだ。
参考
↓
熱海温泉 福島屋旅館
https://onsen.surugabank.co.jp/higashiizu/2917.html
今回も昨年に引き続いて、熱海で合宿が行なわれ、私も渋々ではあるが参加した。
組合の合宿は旅館の値段設定の関係で、日曜日から月曜日にかけて行なわれる場合が多く、今回の合宿も、日曜日の14時から月曜日の11時までという時間設定だった。そこで今回は、日曜日の午前中、月曜日の午後と山&温泉の計画を立案し満を持しての合宿参加としなった。
一日目
早朝自宅を出発し、熱海の一つ手前の湯河原で降りる。湯河原から伊豆山神社方面に登り熱海市街に下る。昼食をとって共同浴場に浸かり、合宿場のホテルへと向かう。
二日目は
昼に合宿終了し、バスで十国峠に向かう。日金山に登り、湯河原方面に下山し湯河原温泉に浸かり帰京する。
我ながら完璧な計画である。
6月10日、日曜日の早朝、予定より少し遅れて自宅を出発。東海道線で湯河原に向かったが、途中から大雨。これでは湯河原から熱海まで伊豆山神社経由で歩いて行くのは無理と判断し、熱海まで電車で行く。ここから既に予定が狂ってしまったが、遭難しては元も子もない。
熱海の共同浴場を楽しむことに急遽予定を変更した。
大雨の中、熱海駅前の家康の湯(足湯)と熱海軽便鉄道の静態保存されている蒸気機関車が出迎えてくれる。
参考
↓
【熱海駅前 家康の湯】
https://onsen.surugabank.co.jp/higashiizu/1460.html
【熱海軽便鉄道 7号機】
http://c5557.kiteki.jp/html/atami-keiben7.htm
実は熱海の共同浴場、数は多いのだがそれを探すのに難儀することこの上ないのである。
熱海には駅前温泉浴場、上宿新宿共同浴場、清水町共同浴場、渚共同浴場、水口共同浴場、水口第2共同浴場、山田湯、竹の沢共同浴場と8つの共同浴場がある(伊豆山地域を除く)。しかし、駅前共同浴場以外、どれをとってもその存在場所が謎と神秘のベールに包まれている。
そもそも、駅前の観光案内所で配られている観光案内図にすらその存在が記載されているものが少ないし、記載されていてもその場所は曖昧と書かれている。
何故か?
そもそも温泉街とは共同浴場を中心に形成されるのが普通である。草津しかり、野沢しかり。
しかし、こと熱海に限っては共同浴場が歴史的に温泉街の中心になった事はないし、なりえなかったのだ。
私の温泉バイブル、石川理夫氏著『温泉法則』に以下の記述がある。
「『熱海七湯』と呼ばれて源泉も湯量も多かった熱海温泉も、早くから内湯が普及した。したがって共同湯はそれなりにあるが、その比重は高くない。」
温泉街形成当時から歴史的に湯量が多く、内湯が発達したことにより共同浴場が発達しなかったのであろうと分析している。
参考
↓
石川理夫著『温泉法則』集英社新書
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784087202151
では、熱海に存在するこれらの共同浴場はどのような経緯で作られていったのか?それはこれからの研究課題であるが、そのような経緯を踏まえ、それらの共同浴場はひっそりと、かつ息を殺して熱海の町に点在する。
さて、どこに行こうか?
熱海駅に降り立ったのが午前9時半。午前中から開いている共同浴場は限られている。山田湯(8時~11時・午前の部)と清水町共同浴場(11時~)だ。
山田湯に行くことに決める。大雨の中、熱海駅前を出発する。
雨が降っている事は、温泉探しには不利に働くが、今回は地図もあるし、インターネットで調べた行きかたをプリントアウトしてきた。「そう迷うことはないだろう」とたかを括っていた。
私がプリントアウトしたホームページはこちらだ。熱海の共同浴場が詳しく画像つきで載っているので参考にされたし。(現在消滅)
しか~しっ!
迷った。
それも雨の中。地図とインクが流れ、よれよれになってしまった紙片を片手に、山田湯大捜索は困難に困難を極めた。
地元の人に尋ねる。
「山田湯?知らないな~」地元の人ですらその存在を知らない。まさに秘湯である。
もう一人に尋ねてみる。「山田湯?小さくてボロいお風呂だよ。石鹸もなにもない」マニアはこう聞くと脳内温泉アドレナリンが分泌して、期待に胸が高鳴る。しかし、この人の道案内も要領を得ない。
道すがら、看板も何もない。あたかも私の、そして一見者が来るのを拒むかの如くその行く手は謎に包まれている。
結局5人の人に尋ねて、やっとこさエリアを特定した。まさに温泉オリエンテーリングである。
ここまででもう雨と汗で体中ビッチョリである。しかし、まだ辿りつけない。そこで、最後は山田湯の隣にあるという洋食屋の旦那に聞いて、辿り着くことが出来た。
私は読図術や方向感覚が人よりも幾分長けていると自負しているが、その私ですら5人もの人に道を尋ねてやっと辿り着いた。
そんな山田湯に誰にも道を尋ねないで訪れる事はおそらく無理であろう。
もしそれが出来たならば、本当に温泉嗅覚が発達した「温泉探索名人」の称号が与えられるだろう。そう言っていいほどの複雑さである。
その佇まいは民家である。戸に「男湯」「女湯」と書かれていなければ、それを温泉の共同浴場であると判別する事は不可能であろう。
やっとついた安堵感からか、私の顔は今まで熱海の街を共同浴場を求めてさまよい歩く修験道者のような厳しい顔つきから、観世音菩薩のような慈愛に満ちた顔に変わっていたであろう。
時間は午前の部終了20分前の10時40分。「急がねば!」
私は意気揚揚とその“男湯”と書かれた戸に手をかけた。
「あれ?」
嫌な予感。
「開かない?」
その戸は施錠されていた。中に人影も見えない。
念のため女湯も。
開かない。
建物の右手に移動し、管理人が居住しているらしいエリアに足を踏み入れる。
「山田」の表札が掲げられている。その湯名の由来を一瞬にして理解する。しかし、そんな事はどうでもいい。
呼び鈴を押す。ピンポ~ン。
・・・。
誰も出てこない。
もう一度。
ピンポ~ン。
・・・。人の気配すらない。
血が逆流する思いに駆られる。
2007年6月10日、午前10時45分頃、熱海の共同浴場山田湯の前でずぶ濡れになった男が一人、形相を変え、わなわなと震えながら立ちすくんでいた。その事実だけは私の、そして日本の温泉道の歴史に永遠に刻み込まれることとなった。
営業時間は8時~11時。それも日曜日。確かに大雨が降っていたが、なぜ誰もいなかったのであろう?今もって謎である。
参考
↓
【熱海温泉 山田湯】
https://onsen.surugabank.co.jp/higashiizu/3500.html
私は気を取り直して清水町共同浴場へと向かった。
この時間は入れる共同浴場といったらもうここしかなかった。選択の余地は無い。
山田湯ショックに打ちひしがれ、重い足を引きずりながら、私は繁華街への清水町へと歩を進めた。
「早く湯に浸かりたい」濡れた体は温かい湯を欲していた。
その湯を見つけるには山田湯ほどの困難は強いられなかった。
しかし、それでも何人かに道を尋ねた。普通の住宅と並んでその共同浴場は存在した。
清水町共同浴場はその名の通り、清水町の町内会が共同で管理している共同浴場らしい。しかし地元専用にはせず、部外者にも温泉を開放しているようだ。
浴場の前に看板が掲げてある「清水町かけ流し温泉」注意書きが書かれている。「下の小川商店にて販売しております」早速入浴料を小川商店に払いに行く。
女将さんが対応してくれた。400円払う。「この時間は混んでいますか?」「今日はどぶさらいの日だからその人たちが来るかも知れません。二人くらいしか入れないので、満員だったら外で待っていてください。」
さらに「お名前は何ですか?」と尋ねると私の名前を硬い紙に書いて「これを浴室の前に名前が見えるように掲げてください」と言って渡した。
もらったチケットを手に浴場に向かう。言われたとおり紙を手製で作ったと思われる箱に入れる。
脱衣を済ませると早速浴場に入った。
一人先客がいた。
狭っ!
なんという狭さだ!
カランが二つ、湯舟も大人二人が入れるかどうかという大きさである。千葉の海水浴客相手の民宿の浴室のほうがまだ広いといった感じだ。
先客に挨拶をして、浴室に入る。身体を流し、早速入湯。雨で冷えた体が温まる。少し湯を舐めてみる。熱海独特の塩味だ。そんなにしょっぱくもない。温度は42度くらい。適温だ。塩化物泉は体が温まる。冷えた身体に生気が戻る。
源泉かけ流しと看板にあったが、実際は流されていない。ただ、源泉蛇口があり、自由に源泉を入れることが可能なのである。蛇口をひねると熱い源泉が注がれた。私の顔がほころぶ。
先客と温泉談義で盛り上がる。
定年を迎えた方だが髪を茶色に染めて若々しい。地元の町内会ではないが、散歩がてらよく利用するので回数券を持っているらしい。いろいろと熱海についての情報を教えてくれた。
先客が出てもしばらくゆっくりと湯に浸かっていた。
確かに狭いが、一人で入る分には何不足ない。いい湯と浴槽、ただそれだけあれば至福の時間は十分過ごせる。そんなことを証明してくれた温泉だった。
参考
↓
【清水町共同浴場(現在廃業)】
http://machispa.la.coocan.jp/html_shz_s/shimizucyou.htm
着替えて外に出ると、今まで降っていた大雨が嘘のようにやみ、陽が差していた。
今ごろ晴れたのにはやりきれない思いをしたが、いい温泉に入れたので良しとしよう。
時計を見ると12時半。そろそろ合宿会場に行かなくては。途中、あづま鮮魚店という魚屋が提供する金目鯛の煮魚料理で昼食をとった後、合宿会場であるホテル池田(現在廃業)へと向った。
参考
↓
あづま鮮魚店~熱海の定食屋
https://blog.goo.ne.jp/carpincho/e/ac937c99a1bec596a2d75d6f77dc94f8
まずは、今回の熱海・湯河原温泉勝負、前半は1勝1敗の結果となった。
どーよっ!
どーなのよっ?
(前半完・後半に続く!って、本当に続くのか?乞うご期待!)
(って、案の定後半には続かなかった! 残念!)