※画像は本著

憲さんの母校?東京大学本郷キャンパスにある赤門は江戸時代、この土地が加賀前田家百万石の江戸上屋敷だったときに、11代将軍徳川家斉の二十一女溶姫が12代加賀藩主(13代前田家当主)前田斉泰(なりやす)の輿入れの際に建てられた門であることは以前、憲さんの随筆で紹介している。

参考
【旧加賀屋敷御守殿門(赤門)】
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/b07_04_a.html

憲さん随筆アーカイブス(東大赤門について“マクラ”で簡単に触れている)
「賊軍」よ、永遠なれ! 安倍晋三の尊崇する吉田松陰とは何者なのか?松陰著『幽囚録』を読む
https://kensanzuihitu.livedoor.blog/archives/30081708.html

現在、この赤門は耐震工事のために残念ながら閉鎖されているが、この赤門を潜ると左手前方にこれまた古めかしく権威的な“内田ゴシック様式”の建物が建っている。

憲さん、東大の安田講堂を代表格とした古めかしいゴシック調の建物群、いかにも権威主義的でさらに言えば今となっては小汚くて、どうにも好きになれない。

参考
【東京大学の建造物】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9

【内田祥三(よしかず)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E7%A5%A5%E4%B8%89

蛇足だが、この内田祥三なる人物、関東大震災後の東京帝国大学構内の復興を主導し、「内田ゴシック」といわれるデザインパターンの建物を数多く建設したそうである。

また、太平洋戦争期には東京帝国大学総長にも就き、同大の運営に尽力。敗戦前は、帝都防衛司令部として大学を使用したいという大本営軍部の強硬な申し出を断固として断り、占領初期にはアメリカ軍が連合国軍総司令部、第8軍司令部として東大を接収要求した際に、各方面に働きかけて止めさせるなどなかなか気骨のある御仁だったようである。

おっと、閑話休題。

この赤門の前に建つ建物が“東大史料編纂所”である。

参考
【東京大学史料編纂所】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%8F%B2%E6%96%99%E7%B7%A8%E7%BA%82%E6%89%80

ここは東京大学の附置研究所で、国内外の史料の調査、収集・複写、分析、編纂、公開を行い、歴史情報学研究を推進することを目的とする研究所である。

その歴史は1793年(寛政5年)、徳川幕府の援助を受けた国学者塙保己一が開設した和学講談所を源流とする。

参考
【和学講談所】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E8%AB%87%E6%89%80

塙保己一といえば憲さん以前に随筆を書いたことがある。

それがこれである!
憲さん随筆アーカイブス 国学者塙次郎はなぜ殺されたのか? 伊藤博文の塙次郎暗殺は正義のテロリズムか?
https://kensanzuihitu.livedoor.blog/archives/30405802.html

憲さん、この随筆で塙保己一の四男である塙忠宝(ただとみ)こと塙次郎の暗殺事件について、その犯人が日本の初代総理大臣である長州出身の伊藤博文らであることを暴露し、その暴挙を糾弾している。

参考
【塙忠宝】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E5%BF%A0%E5%AE%9D

今回の随筆はこの「暗殺」についての論考である。

ところでなぜ、随筆の“マクラ”に東大の史料編纂所について書いたかと言うと、ここの先生が以前坂本龍馬暗殺の「真犯人」について新説を述べたテレビ番組を憲さんみて、それについての随筆を書いたことがあるのを思い出したからである。

こちらである。
憲さん随筆アーカイブス 薩摩討つべし! 竜馬暗殺の真犯人は奴だ! 坂本龍馬暗殺の謎に迫る!?
https://kensanzuihitu.livedoor.blog/archives/30432560.html

ここでは、憲さん坂本龍馬暗殺の直接の下手人は新選組から御陵衛士へスパイとして送り込まれた斎藤一で、その黒幕が西郷隆盛であるかもしれないという本郷和人先生の話を取り上げた。

その本郷和人先生がこの東大史料編纂所の教授なのだ。

そして、その東大史料編纂所は四男がこれまた暗殺で殺された国学者塙保己一が開設した和学講談所を源流とするということで、奇しくも「暗殺」のキーワードで憲さんの頭のなかで繋がったわけである。

(´艸`)くすくす

ところで、憲さん今回この本を読んで、やはり坂本龍馬暗殺の直接の刺客は本来の有力な説の通り京都見廻組の今井信郎であると結論づけた。

その本というのがこれである。
一坂太郎著『暗殺の幕末維新史 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』

東京新聞の書評欄で知った。

参考
東京新聞
暗殺の幕末維新史 一坂太郎著 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/80235

この本、結構新聞各紙の書評欄で取り上げられている。

朝日新聞
「暗殺の幕末維新史」書評 暗殺とテロで始まった近代日本
https://book.asahi.com/article/14166380

毎日新聞
本郷 和人・評『暗殺の幕末維新史』一坂太郎・著
https://mainichi.jp/articles/20201222/org/00m/040/009000d

日経新聞
(新書・文庫)『暗殺の幕末維新史』一坂太郎著
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69458920W1A220C2MY6000/

この本の著者の一坂太郎さんの書いた『幕末歴史散歩 東京篇』(中公新書)は良著であり、憲さん座右の書としている。

参考
一坂太郎著『幕末歴史散歩 東京篇』(中公新書)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784121017543

一坂太郎氏と言えば憲さんも講演を聞いたり、その著作『幕末歴史散歩 東京篇』(中公新書)なども読んで、一目置く幕末史の研究者である。

参考
【一坂太郎】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%9D%82%E5%A4%AA%E9%83%8E

参考(この随筆のなかで憲さん、一坂太郎さんに触れている)
「“僕”って何?」 それでもあなたは“僕”を使いますか? 友田健太郎著『自称詞〈僕〉の歴史』を読んで考える
https://kensanzuihitu.livedoor.blog/archives/22447687.html

で、前出の随筆では憲さんこう書いている。

以下、憲さん随筆引用。

この記事は以前の大河ドラマ『せごどん』向きに書かれたもので、今回先生(本郷和人教授)はさらに踏み込んで、実行犯を当時の近江屋の状況から推理し、左利きの剣士とした。

当時の剣術は当然右利きを是とするので、左利きの者は幼少時から矯正され右利きになおす。

しかし、その中で左利きの剣豪といわれたのが、当時御陵衛士に新選組の近藤に指示を受けて間諜(スパイ)として、潜入していた斎藤一だというのだ。

しかし、斎藤一左利き説は俗説ともいわれてきたのだが、それが歴史的事実となった根拠は番組では示されてはいなかった。

そして、先生はその背後には、御陵衛士が通謀していた薩摩藩がおり、その黒幕が「合理的かつ切れ者の西郷隆盛」であるとしているのだ。

参考
【御陵衛士】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%99%B5%E8%A1%9B%E5%A3%AB

坂本龍馬暗殺は一般的に京都見廻組の今井信郎が直接的な実行犯とする説が有力である。

参考
【京都見廻組】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E8%A6%8B%E5%BB%BB%E7%B5%84

【今井信郎】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E9%83%8E

西郷黒幕説もあるにはあったが、謀略陰謀説の与太話かと思っていたが、公共の電波で、それも東大史料編纂所が言うのだから訳が違う。

以上、憲さん随筆引用終わり。

しかーしっ!

憲さん、今回の一坂太郎さんの著作に触れどうやらこの本郷和人先生の説は“与太話”だったとの認識に改めた。

それは本著第四章「天皇権威の争奪戦」の「坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺」の「龍馬暗殺犯は誰か」の中にこう書かれているからだ。

長いが、その部分を引用する。

龍馬暗殺犯は誰か

 坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺は当初、遺留品の鞘(さや)と下駄から新撰組の仕業と見られた。
 だが、明治三年(一八七○)、幕府の見廻組隊士だった今井信郎が刑部省で自分たちが犯人だと自供する。旗本で剣客の今井は京都勤務を命ぜられ、慶応三年(一八六七)十月に着任して見廻組に加わったばかりだった。のち箱館五稜郭に籠もり新政府に抵抗後、捕らえられ責問されたのである。
 それによると見廻組与頭の佐々木只三郎が配下の今井・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥仲蔵・桜井大三郎を引き連れ、龍馬を襲ったとある。幕府にとり龍馬は前年一月、寺田屋で伏見奉行所の同心二名をピストルで射殺して逃げた、お尋ね者だった。佐々木は捕縛するのが難しければ、討ち取れと指示したという。
 ちなみに実行犯のリーダーだった佐々木は会津藩士の家に生まれ、旗本佐々木家を継いだ。講武所(幕府の士官学校)の剣術師範を務めたほどの剣客で、文久三年(一八六三)四月には清河八郎を暗殺している。龍馬暗殺後は鳥羽・伏見の戦いで受けた傷がもとになり、紀州の紀三井寺で明治元年(一八六八)一月十二日、三十六歳で没した。
 もっとも問題は、誰が命令を出したかということだろう。この点を今井は知らないとし、 幕府閣老など重役、あるいは京都守護職松平容保の差図ではないかといっている。見廻組は京都守護職の支配下にあった。
 高橋一雄『佐々木只三郎』(昭和十三年)によれば、佐々木の実兄でもと会津藩士の手代木直右衛門が明治三十六年に没する数日前、ある人に、「坂本龍馬を殺したのは実弟只三郎であり、それは某諸侯の命によるものである」と語ったという。同書は「某諸侯といふのは、のちに見廻組の属した京都守護職松平容保」 と推測する。
 手代木良策刊『手代木直右衛門伝』(大正十二年)では同じ話を紹介した後、「蓋し某諸侯とは所司代桑名侯を指したるなり、桑名侯は会津侯の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、終生此事を口にせざりしならん」 と推測する。桑名藩主松平定敬は京都所司代を務め、容保の実弟だった。所司代は、寺田屋で龍馬を取り逃がした伏見奉行所を支配下に置いていた。
 このように見てゆくと、大政奉還関係者へのテロを企てていた会津・桑名の指令により、龍馬暗殺が実行された可能性が高そうである。実行犯は史料により若干の異同があるものの、佐々木只三郎ら見廻組数名であろう。 
 なお、龍馬を主人公にした政治講談『汗血千里駒』が明治十六年に出版され、一大ベストセラーとなる。著者は土佐出身の坂崎紫瀾で、自由民権運動のプロパガンダ的な作品だった。『汗血千里駒』に描かれた自由と平等を求めて戦う志士龍馬像は、虚実はともかく絶大な人気を呼び、戦後は司馬遼太郎の長編歴史小説『竜馬がゆく』にも引き継がれてゆく。こうした龍馬ブームの中で、マスメディアを中心に龍馬暗殺をいたずらに「謎」とする風潮が生まれ、薩摩や後藤象二郎を黒幕とする推理小説が著されたりした。

以上、引用終わり。

この本で一坂太郎さんは、坂本龍馬、中岡慎太郎襲撃の犯人はやはり通説通り京都見廻組の佐々木只三郎配下の今井信郎としている。

また、その黒幕は京都守護職松平容保&その実弟の京都所司代桑名藩主松平定敬としている。

その動機は「大政奉還阻止」にあるそうだ。

やはりこの結論のほうがしっくりするだろう。

というか、一坂太郎氏はその証拠を多数提示しておりやはり説得力がある。

一坂太郎さん、何がすごいかというと幕末史におけるその事件現場、当事者の墓所、さらにはその埋葬方法までできうる限り詳細に調べ上げているのだ。

それは「幕末マニア」ならではの所業である!

こう考えると本郷和人先生の斎藤一実行犯、斎藤隆盛黒幕説はテレビ向けの余興なのかと思われてならない。

いつもながらテレビ、特に民放のいうことは信じられなくなる。

(´Д`)=*ハァ~

いずれにせよ、坂本龍馬「暗殺」は、「寺田屋で伏見奉行所の同心二名をピストルで射殺して逃げた」凶悪殺人犯坂本龍馬に対する京都見廻組の“警察活動”の一環だったのである。

・・・・・・・・・

この一坂太郎氏の『暗殺の幕末維新史 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』は本当に幕末の「暗殺事件」をよく網羅している。

くだんの伊藤博文による塙保己一の子息、塙次郎誤爆暗殺事件もその詳細と伊藤博文犯人説が詳述されている。

一坂太郎氏はこれについてこう述べている。

「明治になり初代内閣総理大臣を務めるなど政治家として栄達を遂げた伊藤だが、その手はずいぶん血で汚れていた。」と。

これは伊藤だけではあるまい。

薩長の暴力的に権力奪取し、後に勲章を胸にたくさんぶら下げて闊歩してい連中は多かれ少なかれ“その手はずいぶん血で汚れてい”たのである。

そして、この著作の終章ではその伊藤博文の安重根義士による暗殺事件にも触れている。

“おわりに”で一坂太郎さんはこう振り返る。

以下、引用。

 幕末維新に活躍した「英雄」だの「偉人」だのと称賛される人物の多くは、暗殺や暗殺未遂事件に一度や二度は関与している。近代化の牽引者として私が高く評価する伊藤博文も、 若いころは噂話で他人の命を簡単に奪ってしまった。しかも、終生反省していた気配が感じられない。やがて伊藤自身も暗殺されてしまうのだから、因縁めいたものを感じずにはいられない。
 いっぽう、現代の研究者のなかには、贔屓の「偉人」に限っては純粋だからテロではないとか、白昼堂々だから暗殺ではないなどとのたまう御仁もいて、時に呆れてしまう。なんでもかんでも、現代の価値観に強引に引き寄せようとするから、おかしなことになる。戦闘のプロフェッショナルである武士にとり暗殺は敵を倒す手段のひとつであり、それほど後ろ暗いものではない。

以上、引用終わり。

「近代化の牽引者として私が高く評価する伊藤博文」とは、萩出身の一坂太郎さん故だろうが、憲さんも伊藤博文の暗殺は遅きに失したが「因果応報」「天網恢恢疎にして漏らさず」の感である。

本随筆では触れなかったが、大久保利通の暗殺も同感である。

乙巳(いっし)の変(大化の改新)から桜田門外の変など良くも悪くも“暗殺事件”が歴史を動かしてきたことは事実である。

その上で、伊藤博文の塙次郎暗殺の歴史的事実を棚上げして、安重根義士の伊藤博文暗殺を非難し韓国を批判する日本政府の歴史認識はお門違いであろう

民主主義の社会においてテロリズム=要人暗殺を批判するのであれば、テロリズムによって成立したこの現代日本社会において伊藤博文はじめ薩長の連中を非難してこそ、その批判は正当化されるのではないか?

憲さんは痛切にそう思った。

皆さんはどうお考えであろうか?

歴史好きの方には是非とも本著のご一読をお勧めする。

どーよっ!

どーなのよっ?