本日もご訪問ありがとうございます。
遊び革命で愛の大爆発 善家 圭です。
 
今日は「言葉」についてい書いていきます。
「言葉」は言の葉と書きます。
だから表面に出てく言葉には枝があり、幹があり、根っこがあり、土があり・・と
裏に言葉を成り立たせるための構造がある。
このことを知ったときに、なるほど!!!と思ったのです。
 
今この話をするのは、私が幼い時から言葉にものすごくとらわれてきたのがあって、
そのことによってコミュニケーションがままならなったんですね。
 
最近はその仕組みを知り、言葉にとらわれなくはなりつつあり、
そうなってくると、とっても気持ちが晴れやか、すっきりになってくるので、
コミュニケーション下手、今どきの言葉でいうとコミュ障とか使われてますね、そういう方たたちに
何かしらのヒントになったらいいなと思い書きます。
 
私の言葉のとらわれ。
どんな言葉にとらわれるの?と聞かれると、ちょっと困る感じではあるのですが、
言葉を発することに抵抗がありました。
言葉を発したら、相手と自分が存在してしまう。
そこで何かしらの判断がなされてしまう。
そういうことが嫌だった気がします。
 
その判断の中でも言葉を発するだけで、相手の気分を悪くさせてしまう。
相手を怒らせてしまうと思っていたのです。
 
それは幼い時に、父にわがままを言ったことで、怒られて押し入れに閉じ込められたという
恐怖があったからです。
幼い子にとっては暗く、狭い場所は凄い恐怖です。
お母さんも助けてくれなかった。
 
また、ちょっと話はそれるけれど、幼稚園の時にはトイレに閉じ込められる事件があって、
トイレに入るのにしばらく鍵をかけられなかったり、エレベータにほ大人になるまで乗ることができませんでした。
いわゆる閉所恐怖症?
小さいときのショックって人生決めてしまうくらいなんですよね。
 
話しは元に戻りますが、自分の言いたいことを言うと嫌われる。
そういう思い込みができて、父とはほぼ話せない関係になってしまいました。
(話せなかっただけで、遊んでくれたりはしてました。)
そして学校でも全く言葉を発せず。
 
これ、話せなくてもいいやと思うのなら、楽だったのかもしれないけれど、
この時の私は意識では話したい、話せる私になりたい、本当の私ははなせるのに!!
そんな思いでいっぱいで、話せる私に変わりたくて仕方ありませんでした。
大人になるにつれ、少しは話せるようにはなってきたけれど、つい最近まで、
自分の意見を言うことや、質問することなど凄い苦手感満載でした。
 
そして次に言葉を使う時に、うっと詰まる言葉があります。
それがちゃんとした言葉以外の言葉を使うことに恥ずかしさを感じるということです。
ちゃんとした言葉以外というのも線引きが難しいのですが、
マイナスに聞こえる言葉を人に向かっていうのはできなかったです。
これも、お父さんに怒られた押し入れ事件が影響してますね。
 
そして思ってることを伝えられないジレンマも凄く大きかったです。
 
 
 
こんなことを書いていた昨夜、
今朝から、このことを体験させてくれる出来事があってびっくり!
 
旦那さんがお金を落としたみたいだから、バス停のところ見てきてくれないか。
そして近くのお店に聞いてくれないかとの連絡があり起こされた私。
 
えー!!結構な大金、そのまま落ちてるなんてありえないと思いながら見に来ました。
思った通り、落ちてはなく・・
さぁ、ここからが問題。「近くのスーパーの人に聞いて欲しい」
私の即座の答えは「NO」
なんで私が聞くの?どうやって聞くの?
喉元に何か詰まった感じ。すごい気が重い。
 
それでも、聞いてといわれたから聞きに行かなければとスーパーに向かうけれど、
中に入れない(笑)何となく様子を見ながら、スーパーの前を通り過ぎる。
えー、どうしよう。この道をまた戻るのも、だれが見ているわけでもないのに、変な人と思われるのではないかと思い、
すぐには引き返せない。
スパーはいる?聞いてみる?
 
結局そのまま戻ってきた。
 
で、旦那さんからのライン。
「聞いたの?」
それをみて怒りになってくる。自分が落としたんだから、自分で聞けばいいじゃんと。
ただ、それを言ったのではなく、自分の現状を伝えました。
「聞けない」
「どうして?」
「やだ。詰まる」
結局旦那さんが電話して聞いたのだけれど、初めからそうすればよかったじゃんと。
 
このつまり感が自分でもびっくりするくらい。
 
人に聞くという抵抗感かなんなのか、話さないというものすごい決断があるんだと感じたし
まだほどけきらない何かがあるという気づきが大きかった出来事でした。
 
言葉を発するとはなんて不便なことなのでしょう。
言葉になる前までにつくられる枝、幹、根っこ、土
それがわからないとモヤモヤだらけ。
 
この言葉にとらわれて、コミュニケーションがめんどくさいと思っている人。
上手く表現ができないと思っている人。
正直人と話すのが苦手と思ってる人
 
一緒に交流しませんか?
 
これまで書いてきたように、私自身もそうでしたが、
実はその枝、幹、根っこ、土、それらをつくりだす根本を理解でき、
それらを全て0化して、新たな土、根っこから始まる
言葉にとらわれなくなる技術と出会ったのです。
 
この技術を使うことで、言葉にとらわれて表現できない「私ダメだ」となるところが
まず「私ダメだ」がなくなります。
これが一番大事なところです。
 
今朝の出来事にしても、旦那さんに正直なところをアウトプットしなければ、
自分でやればいいじゃんという言葉だけのやり取りで終わり、話せなかった私ダメで。
私にそんなこと言ってくる嫌な奴で終わってしまうところです。
けれど、つまって聞くことできないことをつたえれば、旦那さんは自分でするし、
ごめんとも謝ってきたり。私も私自身の問題ではなく、単に言葉にとらわれり構造があるとわかるのと、もう一段階進めば、そうなってる原因もわかるので、自分を責めるkとが亡くなります。
 
なのでそのワークショップ付き交流場を開催します。
 
ここで注意は白馬の王子様は人間ではないです。
あなたを変化させるとっておきの変換装置。
それは自らつくるものなのです。
私はそれを手に入れ、私自身のアイデンティティーと関係性が凄い変化しました。
それによって言葉を使う表現というところも新たなイメージがやってきました。
 
表現が下手。
話すのが苦手と思っているあなた。
ぜひ時間を共にしたいなと思っています。
 
お申し込みはこちらまで
お会いできるのを楽しみにしています。