わたしのでき方~母のこと~

母はいつも人のために動いてる人。
それが私のイメージ。

母は戦後茨城生まれ。小さい頃に両親は離婚し、祖母は東京に出てきて働いてので、おじさん宅に預けられて育った人。

昔、お母さんは大変だったと話しを聞いたことがある。それからしたら、あなたは幸せと。

戦後の大変な時に、おじさん宅にも2人の女の子がいたから色々大変だったんだろうなと推測。
母も甘えたい時に甘えたい人がいなくて、大変だったと思う。周りに気を使うだろうし。

毎年夏に連れていってもらってたその茨城のお家は私にとっては楽しいところだったけど、母はどんな思いを持っていたんだろう…。

最近、おばあちゃんは、お母さんのこと可愛かったから魚の骨まで取ってもらってたと話しを聞いて、何か私のなかで勝手に作られてた母のストーリーと違ったことに驚いてた。

そんな母は結婚しても誰かしらのお世話をずっとしてた。
結婚当初から家には父の妹が住んでたり、従姉妹が下宿したり、盆、正月には親戚が集まり母はいつも台所にいた。

そして、弟2人がいて、3人の子育て。仕事で家にあまりいない父だったから、ほぼ1人で育ててきてる。

ときどき父型の祖母が家に泊まりに来て、
そして、母方の祖母は15ねんくらい同居して、最後は介護が必要な状態だったけど、母が診ていた。

忙しいんだな…大変だな…
それが私が母に対して持ってた思い。
そして、なんとなくの否定(母はそんなつもりは無い)を私は勝手に受け取っってた。

あなたはわがままだから…
三日坊主だから…お転婆だから…みんなに甘やかされて育ってるから…

私は母の前ではなんとなくできてない、いけてない私をつくってきてたんだな…。

そして、反発もあった。

専業主婦でずっと家にいた母。
それは父の思いでもあり、母の思いでもある。
父は両親が共働きで家にいなくて寂しかった。母は前述の通り。
2人の寂しい思いが、子供には寂しい思いをさせないでできた家族なのかもしれない。

でも思いっきり寂しかったけど笑

母みたく人に尽くすような私になりたくないと思ってた。
私はもっと自由でいたいと。
それが今につながってる。

電子レンジもない時代、ご飯を毎食後つくってくれた。
洋裁学校出てるから、よく洋服もつくってくれた。
手作りで色々つくることが趣味だった。
今はボランティアに精を出してる。
母は母の人生を楽しんでいるのかな…。

やっと父と二人きりの生活になったのは7年くらい前。
父が亡くなるまで5年間位しか2人の時間なかったけど、どんな思いだったんだろう?

今度聞いてみたい。

母の無意識にもすっごい影響されてた私。
やっぱり人の事伺うし、頼っちゃいけない、1人で頑張らなきゃと思って生きてきた。

両親の影響はめちゃ大きい。
私が解ければ、両親も解けてく。

あらたな出会いをしていきたい。



ぜんけ けい

尊厳ファミリーリライズプロジェクト
リライズ協会HP