こんにちは
今日は都立高校の受験日、娘も朝からバタバタと出かけていきました。
「何が不安かわからないから不安」
昨日の私の気づきをプロジェクト仲間にシェアして
そしてその仲間の気づきのシェアを聞いて
共通してたところ。
何が不安かわからないから不安。
例えば「学校へいかないこと」
子どもが学校へ行かないことが不安なのではなくて
自分の当たり前、世間で作られてる当たり前から出てしまったから不安。
そもそも学校が何のためにあるのか、どういう機能なのか、そもそも何をするところなのか、明確が規定がないまま、自分勝手につくられた思い込みの軸がなくなってしまうことに不安なんですよね。
他にも「お金がない」
お金がないことが不安なのではなくて
お金がある、それがあるから生活できる、世間で作られている当たり前。
その当たり前から出てしまうから不安。
そもそもこのお金の事も、経済の仕組みのこともほとんど知らないくせに、思い込みのこれがいいんだーからはずれてしまうから不安。
目の前の事象にとらわれてしまうけど、そもそも根本は教育が何か?お金が何か?それを使う自分は何か?人間は何か?をわからないから、そのことに対して不安なんですよね。
(↑あくまで私の観点です。)
だから人間皆不安です。
その不安を解消したくて、色々情報得たり、やってみたりするけど、根本の「不安」は根深く、根強いのでいつまでたっても不安な事象は起こってくるわけです。
「自分が何者なのか知りたい‼」と真実は熱望して、このような世界つくってるから、そもそもが安定してない。
この真実しった時に初めて、安心への階段がつくられるんですよね。
なので、人間としてこんな自分嫌だー( ▔•з•▔ )というのを感じて、その「こんなに自分」を仕組みのパターンとしてわかればわかるほど不安は安心に変わってくるという、素敵なシステムになってるみたいです。
何がわからないのか、何が不安なのか、現象学に留まらず、ハッキリ、明確にさせて、その根本にぶち当たること大事です。
私、ここの所めちゃ安心の心になってる変化を感じてます。
一緒に安心の心になりましょう。
不安解消法知りたい方はぜひ、私までご連絡くださいね。
ぜんけ けい