前回のブログの続き、その4

【生と死】
これは「いきたひ」という映画をみて、あらためて感じたわたしの観点ブログです。

体があると思うから「生」「死」が生れる。

呼吸をしてるから、
心臓が動いてるから
だから生きてる?

生の始まりは?
生の終わりは死?
死の始まりは?

私1度流産の経験あって、
本当に初期だったから、人の形も成してないし、人間の機能もないんだけど、「生かしてあげられなかった」事に自分を責めた。

祖母が亡くなった時、家で亡くなったのだけど、最初に気づいたのが私で、それがなぜ亡くなったと気づいたのかといったら、呼吸してるしてないとかではなくて、感覚的なものだった。

でもその小さな小さな命も、祖母の命も、父の命も存在としてみえる部分は消えてしまったけど、心にはずっと残ってる。

愛されてる、愛してる感覚。

分離が無くなったところで出会える感覚。

「生」と「死」はこの3次元世界で生きてる人間の脳で見る世界であり、その解析であり、意味づけ価値付けでもあるんだと思う。

生きてるという脳の捉え方しかないから、「死」が何かイメージないし、「生」の前が何かイメージがない。

その3次元世界の喜怒哀楽を目一杯楽しむようにできてる。

でも本当の自分からみたらあるのはひとつの動き。
生も死もない。
なんの境界線もない。
出会いたくて仕方ない。
感じたくて仕方ない。
大騒ぎしたくて仕方ない。

だから生死のある神秘な世界をつくり出す。

今ここつくって壊しての繰り返し。

人間の本当は一瞬で生まれて消えてを繰り返してる。

私だって、今のここあったりなかったり。

だから出会ってると思う。
小さい小さい赤ちゃんにも
祖母にも父にも。

大きく言ってしまえば、今まで誕生してきた全ての人と。

だから生きてる代表として、今ここどんなあり方で何と出会って、何を創造するのか真剣勝負がしたくなる。

全てが自分で決めること。

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認識技術★観術とは