こんにちは。
今日もしとしと雨。雨との出会いも神秘です。

∞子育て応援隊・マインドームコーチのKeiです。

今日は「学校との関係性」の話。

今日は娘が学校を休みました。
「かりびょうで休む」。・・かりびょう?・・仮病(けびょう)だね・・。
学校には「熱がある」と伝えてと。

娘は小学校1/3も通ってなく、中学校へ進んでます。
だからこの3か月めちゃくちゃ頑張ってるんだな・・というのが私の思い。

娘だけではなく、うちの子たち、学校との付き合い方がそれぞれです。

 長男はまじーーーめに小学校へ通い、中学校も通い、でも中2の3学期
学校へ行けなくなりました。見るからにエネルギー切れ。
そして高校へは行かなければで、中3の時復活し、高校へ進学したけど、
入学した高校が合わずで、2か月して行かなくなり、それでも高校は卒業しなければで
自ら通信制の高校を選択して、今は週一回のスクーリングと家でレポートやって提出という学校との関係です。

 次男は小学校1年生、2か月通ったきり、学校へは行ってません。小学校の頃は放課後や、行事の時、学期の始まりと終わりに足を運ぶことあったけど、中学生になってからは学校へは足を運んだことありません。
今は家で国語辞典とにらめっこして、漢字を覚えてます。

長女は小学校の時から自分の意志で行く、行かないを決めてました。
ずっと行かない期間が続いても、行こうと思ったら、何のためらいも見られなく行ってました。
勉強も家ではほとんどやってなかったけど、その辺も本人は気にしてなかった・・・のかな?

三男は1年生の頃は行くのを嫌がり、朝起こしても起きなかったり、夜遅くまで起きてたこともありました。何とか連れていくだけ連れていこうとしてたり、3学期は私も毎朝説得しながら連れていくのに疲れてほとんど行きませんでした。もちろん勉強もしない。
2年生になって、保健室登校するうちに、徐々にいろんな先生と関われるようになってきて、
はじめは全く勉強とかなく遊びだけだったけど、今は三男のペースで勉強したり、お友達と遊んだりしてるみたいです。
生活のリズムも規則正しくなってきました。

子供たちそれぞれの学校への関わりは、私が思っていた「あたりまえ」をことごとく打ち砕いてくれました。
だって、普通学校行くの当り前と思ってしまうし、自分が熱あってでも学校は休むのが嫌だったから、休むなんてありえないくらいに思ってました、私。

勉強もするのが当たり前、できるなら勉強できる優秀な子になって欲しいなんて期待もしちゃう。けど、それも本当に本人が興味もったり、やる気を持たないと無意味だなってわかりました。

お友達と遊ぶのも当り前。・・これは自分があまりできなかったから、当り前感はそんあ強くなかったけど、逆に期待が大きくなってました。お友達といっぱい遊んで欲しいと。
でもやっぱりそれも私の勝手な思いでしかない・・。

全て当り前から出発するから、その当たり前から外れたときに、凄い大きな問題があるように思ってしまう。
けど、その当たり前を0化して、本当に何もない、宇宙もないところから、出会っていったら、起こっていることには問題なんて何にもない。問題をいうなら、自分の観点に固定してしまってるところ。

「当り前」と思うのは自分の観点が作り出してる、思いこみの世界だから。
学校があるのが当たり前、そこに通うのが当たり前。
勉強する内容があるのが当たり前、それを勉強するのが当たり前。

そうではなくて、学校という場が存在して、子供が存在したときに、その場と子供がどんな関係性を築くのか、そこの場を通して子供が何を吸収して、何をつくり出しているのか、その関係性で観ることが大事と思います。

子供だけではなく、親自身も学校という場を通して、何を吸収して、何をつくり出すのか
その場を通して子供とどういう関係をつくるのか。

すべては関係性です。どんな関係もつくれるようになります。

当り前と思うことを0化したら、すごく楽になりますよ。
私の当り前を壊してくれた子供たち、ほんと尊敬しちゃいます。