こんばんは。
今日は中学校の公開授業があり、
久々娘が授業を受けてる姿を見ました。
英語の授業だったけど、少人数16人でグループにわかれて
ゲーム形式で学んでいて楽しそうでした。

三男も最近は保健室登校を楽しめるようになってきたみたいです。
養護の先生に悪戯したり、少し甘えてみたり、
ちょっとずつちょっとずつ居心地よい空間をつくり出しているようです。
勉強はほとんどせず、遊びが主みたいですけど。
朝もだいぶ起きられる心になってきたようです。

三男の「嫌だ」と思う気持ちをそのまま受け入れることを私ができたんですね。
今までは「嫌だ」といわれると、その嫌なところを聞いて、でもね・・と話していました。
私の基準を押し付けて、わかって、三男の気持ちを変えようとしてました。

考えはすべて因果関係。
Aだと思ったらB。
それをつくり出す、判断基準に観点固定があり
その観点固定があるかぎり、
ある条件になると、オートにその考えがでてきてしまう。
考えがパターン化されてくる。
それを私が心から納得できた時がありました。

それがわかってからは「嫌だ」という思いにとらわれて、全てが嫌だ出発だから
反射的に嫌だの反応をするパターンだと思ったので、
「嫌だ」を受け入れて、その三男の「嫌だ」を私の基準で変えようとしないようにしました。

わたしの心が「嫌だを変えて学校へ行かせること」にとらわれなくなり楽になったぶん、子供の心も楽になったのだと思います。

「嫌だ」という回数も減ってきました。

認識が変わると、関係性が変わる。
認識変化って面白いです。