昨日の出来事。
旦那さんが帰ってきてから、(大体いつも仕事が大変と思っているためか帰ってくる感じは重いのですが、)子供たちがパソコンやら、ゲームやらをずっとやり続けていることに対し
「その状態をみると、自分が何のために仕事をしているのかわからなくなる」と不機嫌な感じで言いました。
家族のために朝早く6時前には家を出て、よる遅く11時前後になることもしばしば、に帰ってくる旦那さん。平日は自分の時間さえなく、ただご飯食べて、寝るために帰ってくる感じ。
その自分に対して、「お疲れ様」の一言もなく、またパソコンやりすぎという自分からの注意も聞かずにいる子供を目にすると、自分の存在が何なんだーという感じになってしまうのだと思います。
旦那さん、ほんと、とっても頑張ってくれてる。
でも、子供からしたら、子供の観方もそこにあるので、わかっていてもなど、だから素直にコミュニケーションをとることができない。
お父さんはなんでそんなに強制したがるのだろうかと思っているかもしれない。
子供も精一杯頑張ってる。
みんな頑張ってるんだよね。母である私も。
今目の前に起こっている現象だけをどうにかしようとして、
それぞれの思いだけが正しい、自分の想いを通したいという状況では、平行線をたどるだけで、
交わることが出来ない。
たとえ、どちらかが妥協する形になって、その時は解決できたように見えたとしても、
いずれその歪がまた違う形になって現れる。
それが判断基準の問題。
今目の前に起きている現象には、必ず、そうなってしまう背景がある。
それぞれの心の動き、感情の蓄積、考え方がある。
そこをほどいていかないと、相手のことをわかろうとしないし、受け止めることができない。
本当のコミュニケーションが成り立たない。
条件や状況にとらわれない、本当の自分の心に出会うことが大切。
旦那さんは結婚する前から、子供が欲しいと言ってた人です。
子供が無事生まれてきた時はそれだけで幸せだったと言ってます。
多分子供に対する思いや、自分の中の理想とする親子関係もあったと思います。
それが今できてないと思ってしまってることが根本の問題なのかな・・。
子供が4人もいて、みんなが健康に生きている。
その事実、そこの意味価値をもう一度夫婦ふたりで共有していきたいと思います。
旦那さんが仕事で疲れて帰ってきても、子供の顔見れれば幸せ、子供の声聞ければ疲れも吹っ飛ぶくらいの家族関係を作って行きたい。
過去にとらわれない、今見えてる部分にとらわれない、それぞれの違いだけをとらない、
すべてがつながって、親と子という分離もなく、今ここが自分の判断基準、意識でつくられているというところからの出発です。
それにはまずは私のあり方。
観点を自由自在に移動させ、愛いっぱいで出会っていこうと思います。
それが出来る観術。最高の道具です。
小さな変化の積み重ね。大切にしたいです。
大切な家族の笑顔のために。