週初め2日、中学校を休んだ長男。
先生から電話がかかってきたりお友達が訪ねてきたりで、昨日、今日と学校へ行ってます。
でも「どうだった?」と聞くと「だるい」と。
授業の時間が苦痛らしいです。
次男は今パパとの固くなった関係をほどき中。
長女は自分の夢があるので、それに向かっては見事に活動的になります。
自分の中にどんな意志があるのかが大事と最近思います。
前回のブログで学校へ行くことが当たり前と思ってたということ書きました。
学校へ行く意味、勉強をする意味、そんな事まったく考えず、
みんなが行くから、みんなが勉強するから。
親になってもみんなが行くから、みんなが勉強するから。
そして学校という中に入ってしまったら、常に周りのお友達と相対比較。
勉強できるできない、運動できるできない、話すことができる子できない子、積極的な子消極的な子、科目の好き嫌い、お友達好き嫌い、先生好き嫌い、給食の好き嫌い・・などなど。
常にそんな思いと戦っていた気がしませんか?
楽しさもあるけど、嫌なことする苦痛もある。
達成感もあれば、失敗感もある。
しかもそれを判断する基準も一定ではない。
担任の先生、親、お友達、の判断基準が違うから
その見る人によってその気持ちが変わってしまう。
条件・状況によって変わってしまう基準に合わせていこうと頑張るか、合わせることに疲れてあきらめるか・・。
学校へ行くのが当たり前とほとんどの人が思ってる学校。
けど実はものすごい心の戦いの場で、そこに順応してける人もいれば、順応できない子もいる。
だから学校へ行くのは当たり前ではなく、
学校へ通って教育を受けることは定められているけど、全員が学校へ通えるわけではないという
認識を持つ事って必要だと思います。
学校へ通ってる子ももちろんいろいろな心の状態の子がいるし、
通ってない子の心も様々。
当たり前と思うのは100人の子がいれば100人の子の在り方、生き方があると
認識していることと思います。