昨日、今日と平日にも関わらず、
うちの子供たち4人は小さな居間のこたつの中で、それぞれの時間過ごしています。
いわゆる「不登校」ってやつです。
不登校って文科省の定義によると、
「年間30日以上欠席、病気および経済的理由を除く、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状態にある」ことらしい。
なので、うちの小学生組は「不登校」。お兄ちゃんはここのところ、ちょと休みがち程度かな・・。
「不登校」って学校へ行くことが当たり前という前提のもとつくられてる「言葉」のような気がします。
7歳を迎える年になったら学校へ行くことが当たり前、それに対し、本当に必要なの?と疑問を持って、考えますという親はほとんどいないと思う。
私も当然のようにいくものと思ってた。
日本の教育制度がそれしかないし、みんながそれをしているし、自分もしてきたし、それが当たり前。
行かない選択は全くなかった。
そんな当たり前を最初に打ち破ってしまった次男。
私はパニックです。
「どうしよう・・こんな予想もしないこと起こって、普通じゃなくなっちゃう」
今思えば、普通ってなんなんだ?という感じだけど、その当時は皆が何の苦も無くやっていることができなくなってしまったら、
親として失格、私はダメな人間だ!!くらいに思ってた。
当たり前が当たり前ではなくなることに、不安を感じる。
子供がどうのこうのというよりは私の基準が壊されることが問題。
かと言って親は自分の意志を持って子供に学校へ行くことを伝えているかといったら
そうではない気がする。
ただ法で決められてるから、義務教育だから、行くことが必須。
私立にする?公立にする?
公立で小学校を選択できる地域に住んでいたら、どこの小学校に行く?
そんな話は聞いたことあるけど、
小学校行く?小学校の在り方ってこれでいいの?学へ行かなかったらどうする?
みたいな話はほとんど聞いたことがない。
それほどまでに、学校へ行くといことが当然のこととなっていて
その中身や在り方、そこに通う子供自身の思いや、学校へ行かせようとする親の意志とかは
話したことなかった。
たぶん、子供が学校へ行かない選択をしなかったら、
今も学校へ行くことが当然、その中で成績がどうのこうの、お友達との関係がどうのこうのと
表面的な問題だけにとらわれていたと思う。
今の学校の在り方も知らず、本当に必要な教育も知らず、その子自身を見ることもできず、
ただただ周りとの相対比較の中で、学校を存在させてい、子供を祖印材させている恐ろしい
世界を作っていたのではないかと思います。
皆さんは、どんな風に思ってましたか?
学校へ行くということ。