昨日は三男の保育参観がありました。


ゼロ歳からの保育園生活で初めて対面して、参観できました。

(それまでは親の顔を見ると、泣いてしまったり、保育ができない状態になってしまう年齢だったこともあり、窓の小さい穴からみたり、マジックミラーになっているところから見たり、影からみてる参観でした。)


で、親子一緒にTシャツに絵を描く、親子制作をしてきました。


テーマは「生物」


うちの三男はライオンを描くことを選びました。


そして絶対に描きたかった虹。


ぜーーんぶ、三男の思うように描いたので、素敵な芸術作品が出来上がりました。

(親ばかです・・)


全部茶色で塗ったライオン。

どんな色ともいえない虹。

太陽や雲。チューリップ。・・きっと一緒にいないと何を描いたかわからない感じ。

でも、三男の中では満足の作品。子供の自由さいいなって思います。


でも、気になったのはお母さんたち。

結構こうあるべきにとらわれています。


ここはこの色で、この線に沿って塗って、ここはやってあげる?というより私がやる・・みたいな。

無意識のことだから、それが良い悪いはないんだけど、子供の判断基準がこうして親によって作られてしまうんだなと実感。


私は赤いライオンがいても、青いライオンがいてもいいと思うし、太陽は丸じゃなくてもいいと思うし、虹は七色でなくてもいいと思うんだけど、きれいな作品にしようと思うとそこにとらわれてしまうのが普通みたいです。

とくに今回作品展にだすという目的があったので余計にそうかも。

お母さんが満足する作品か子供が満足する作品か。その差は大きいですね。



それって、絵だけにいえることではなくて、親の判断基準っていたるところで子供の判断基準をつくる要因になっているし、それが子供の無限の可能を狭めてしまっていると思います。


子供が満足する人生。そのために、自由でとらわれない、育自と育児したいです