おはようございます〜。
ただいま
2時間以上かけて書いた
文が全て消えてしまいました![]()
以前なら「なんでこんなことに〜」
と思考を飛ばしていたことでしょう。
けれど「いま」の力を知ったわたしは
「お、消えた、もっかい書くか」
という感じですよすごいでしょう。
以前は当たり前に思っていた
「なんでこんなことに〜」
とか
「あの時こうしていれば」
という
まるで自分に時を巻き戻せる可能性があるかのような
もしもシリーズが、
完全に無意味だと腑に落ちてきました。
「なんでこんなことに〜」と一瞬湧いても
その思考をつかまないような感覚です。
このままいくと、
そのうち出てこなくなりそうな感じもします。
ところで
メサイアコンプレックスって
知ってますか?
簡単にいうと
「誰かを助けて感謝されて気持ちよくなりてえ」
です。
一見別に問題なさそうなのですが、
メサイアコンプレックスの場合
わたしには価値がない
という欠乏感をうめたいという思いが
根本にあります。
つまり
「助けたい」を隠れミノに
「わたしの自尊心満たして〜」
をひたすらやってるんですね。
「自分が幸せだから人を助ける」
が
「人を助けているんだから自分は幸せ」
に逆転しています。
前者は幸せが「ある」前提
後者は幸せが「ない」前提
そもそも「ない」ところに「ある」
をみようとしているんです。
旅行先で無くしたネックレスを
自宅で必死に探しているのと同じです。
永遠に見つかりません。
さて今日から
第6章突入です!
第6章
うちなるからだ「インナーボディ」
第1節「大いなる存在」が「ほんとうの自分」なのだ!
なんか文末に「!」ついてます。
アレンジじゃありません。
本書にもついてます。
目次で確認したところこの節だけでした。
この節書いた時テンション上がってたんですかね。
からだは「大いなる存在」につながれる入り口です。
出ましたよ「大いなる存在」
よく出てくるけどまだよくわからないんですが?
水中で一生を過ごす魚が「水ってなーに?」
と言っているのと同じです。
思考で理解しようとしてもできないんです。
思考はものごとを切り離し、分ける機能です。
それに対し「大いなる存在」は
主体と客体が一体になった分けられないものです。
ですので理解できません。
そもそも理解という言葉が
理を解く
つまり一体化していたものをバラバラにするという意味です。
一体になったものが「大いなる存在」なのに
理解したらもうそれは「大いなる存在」ではありません。
「大いなる存在は」理解ではなく
感覚で認識できます。
ほんとうのわたしは名前やかたちではなく永久に存在する
という感覚です。
その状態にあると完全に自由になります。
何から自由になるの?
「わたしは、肉体と頭脳だけの存在です」
という幻想から自由になります。
わたしの感覚だと、
とにかく生き残らねばという以上な執着がなくなる
という感じです。
わたしたちが生きていく上での苦しみ
人の目が気になったり称賛を欲しがったり
すごい人になりたがったり上に立ちたがったり
というのはそもそも、
「生き残る確率を上げる」という目的からきています。
そのためになら
賞賛されるわたし
大企業に勤めるわたし
高級車に乗っているわたし
自由な生活を実現しているわたし
といった「にせの自分」という仮面を
どんどんつけて重ねていきます。
さらにはその仮面を失う「恐れ」も追加され
とんでもなく重い顔面で
恐れながら日常を過ごします。
そんな人がほとんどです。
首いわしますよ。
首をいわして仮面を外すしかなくなる状況を
待っても別にいいですが、
待たなくてもいいんです。
「いまに在る」ことで仮面は外れます。
では今日も目の前のことに意識を向けていきましょう!
ちなみに2回目消えたんですが
その瞬間は心臓止まりそうになりました。
無事戻せた瞬間感謝がわきおこりました。
良かったです。
あなたの悩みや問題は、
出来事の捉え方によりあなたがつくっています。
気休めのエセポジティブではなく
その元の反射的になっている思考のクセに気づいて
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