はじめに⑴

 

 受験教育は戦後日本社会を特徴づける重要な社会制度となりました。 本ブログは、戦後昭和史をたどりながら、現代思想(哲学や社会学を含む)と世相を映す鏡である当時流行したマンガの力を借りて、受験教育の本質を探りながら、戦後日本社会の真の姿を明らかにしようとするものです。

 

 

 1959(昭和34)年4月、馬車に乗った皇太子殿下と正田美智子さんとのご成婚パレードがテレビ中継されました。これを機にテレビが一般家庭に爆発的に普及していったといわれます。東京オリンピックが開催された64年には、わが家の茶の間にもカラーテレビが置かれ、父親が画面に映る開会式の光景をカメラで撮っていたその写真が、わが家の古いアルバムの中に眠っています。

 

 映画にもとりあげられた昭和30年代、貧しくはありましたが、明るく活気にあふれた時代であったようにやはり思います。近所の公園で陽が落ちるまで走り回り、家に帰ると母親の作る晩御飯とテレビが最高の楽しみでした。

 宿題などきちんとやった記憶などはほとんどありませんし、学習塾などもあるにはありましたが、そろばん塾や補習塾が主流で、そこに通う子供もまだまだ少数派でした。学校や塾ではなく、テレビやマンガのヒーローが僕らの先生でした

 

 そんなおおらかな戦後昭和の時代風景ではありましたが、それでも中学生にもなると、遅ればせながら「受験」を意識するようになりました(いや意識せざるをえなくなったというのが正確なところです)。

 入学試験制度は、明治維新(1868~80年代)による統治制度の全面改革から始まり、大正時代(1912~1926年)にはすでに高等教育をめざした受験競争があり、受験産業が台頭していましたが、まだまだごく少数の特権階級に限られていました。1945年の日米戦争の敗戦により、思いがけず入試の門戸が一般民衆にも開放されました。 これが現在に至る入試制度の原点です。