親愛なる読者の皆様

暑い夏を過ごされていることでしょう。

わたしは7月の最初の2週間はヨルダン王国へ、人生で忘れえぬ演奏旅行になり、


そのあとはコンサートのためポンペイへいったのち、


今夜はガビーチェでのガラリリコをし、



明日からは椿姫の稽古が7月末まであり、

8月からはロッシーニ音楽祭の公演が月末まであります。

個人的なスケジュール管理ミスで中国のツアーに3か月行けず、今年の夏は休める、と思ったのでしたが、皮肉にも、より忙しくなり、9月のロッシーニの小ミサ曲の公演まで、日々、声を叩きつけつづけることになりました。

 

、、、、、いまは冷房の効いた劇場の楽屋でゆったりゆっくり書いています。

というのも、今回はリラックスして書ける内容、わたしがよく知る内容、なぜならわたしのテクニックだからです。

 

教師はじぶんのテクニックを語るべきではなく、語るべきは受け継いだテクニックだとは思います。

現役引退後、教師は小さいレッスン室で独自に実験し、発明することがあり、これをわたしは『コツ』と呼び、『技術』と呼ばない。

が、今回だけは、わたしのテクニックを、音大音楽院の先輩として、後輩であるあなたに『発声のコツ』をお話しさせて下さい。

 

というのも、わたしはいま同時に『ジラーレとカヴァー』という記事、ないしは『ジラーレVSカヴァー』という記事を用意していますが、

その前に、ある種の、わたし個人のコメントを挟んで、予備知識になるかなあ、と思いました。

つまり、わたし個人が、このジラーレとカヴァーにどう、歌手として向き合い実践しているかということ。

今記事は、そのうち、ジラーレに関してのトピックであるが、

そもそも果たして、このジラーレがなぜ必要不可欠か?

というか必要不可欠なのか?

いや、そもそもジラーレとは何なのか?

 

ジラーレとは何ですか?という生徒の単純な質問にしたいし、相手が受験生なら、あるいはアマチュアの方がそう尋ねるならば、わたしはこう答えます。

「声をまわすことですよ」と。

相手がプロであるならば、こう答えます。

「一般に、音楽界でひとびとが何をジラーレと呼ぶのかは、2つの定義があると考えられ、ひとつは、声そのものを回すことでる、つまり声そのもの回転させ、カーヴをつけることである。

もうひとつの定義は、息をまわし、そのラインのなかで歌うことである、おそらく多くのひとにとっての息のラインは後頭部を経て前方に回し、マスケラに至る、このラインに沿って声を出すことをジラーレと呼ぶ、これが二つ目の定義。

では、どちらかがジラーレのテクニックとして、定義上正しいのか、わたしは興味がない、なぜならその2つともオペラ歌手として使用しないし、2つともオペラ歌手の方法論としてトレーナーとしてそう教えないからである。」

では、何がオペラ歌手にとってジラーレなのか、それが今ブログの内容。

 

ジラーレしないでも立派にオペラを歌えます。

教師は、生徒にその手本を示してください。

まず、声はいちばん響く面がある。声を回さないで、その面を前方にして、まっすぐ出す(純粋な母音)。

イタリアでの師のひとりAugustiniは、口からまっすぐ金属的な響きを伴って出す、と言いました。

このことは音大の担任、故・郡司忠義氏も述べた、声は前、ということで、両者とも深くメロッキ派の教師です。

 

定義上、事実を複雑にするのが、カヴァーとの関係です。

わたしの先生、Anna Maria Bondiは、コペルトとジラーレに関するわたしの質問に対し、コペルトとはジラーレである、という驚くべきコメントを残し、これは真実です。

勝手ながら注釈すると、ジラーレされた声La voce girataがそのままLa voce copertaになるには、さまざまな条件が必要です。

つまり、単純に、ただジラーレしても、カヴァーされた声にならない。

たんに、半円形の息のラインに声を乗せても、あるいは声をたんにくるりと廻して出しても、どちらのジラーレ方法でやっても、それだけでは、APERTAな声が半円形に、あるいはカーブをともなって外にでるだけ。

たとえばBondiは、La voce girata = La voce copertaは同時にまた = Bassa laringe (低い喉頭)であると述べました。

では、実験してみましょう。

こんどは、喉頭を低くし、口からまっすぐ出してみてください、つまりジラーレしないで出すと?その声はアペルトですか、コペルトされていると感じられましたか?たぶん、このとき、あなたは個人的には、アペルトにだした、と感じた、声を回さないでだしたと感じた。が、聴いた人は、たぶんそう感じてない。

これがわたしが生徒にのべる カヴァーあり、ジラーレなし、の声(喉頭を低くすることがカヴァーの唯一絶対の方法であるかはレッスンでディスカッションさせてください。)

 

こうしたことは、APPOGGIOとSOSTEGNOの議論にも言え、Anna Maria Bondiは、このふたつは同じである、なぜならイタリア語で同じ意味だから(支える)、と述べたが、

やはりここでも同じことがいえ、トレーナーとしては、ほんらい一体であろうものをいちおう別々に分け考察します。つまり、Appoggio と Sostegno とに。横隔膜(息)の支えと、筋肉の支えとに。

 

さて、カヴァーとジラーレもそう、ほんとうは不可分だが、いったん、バラバラにして、ふたつに分ける。

そして、生徒には、①カヴァーされかつジラーレされた声、②カヴァーされているがジラーレがない場合、③ジラーレはあるがカヴァーされてない、④ジラーレもカヴァーもない、この4タイプの歌い方を示します、それはつまりパッサッジョでの4種類の歌い方ということ。推奨されるのは、当然、前3者の歌唱法。

 

わたしのテノールの生徒のケースにおいては、リゴレットから2つのフレーズを例に出して学ばせます。

ひとつは二幕のアリアの出だしのParmi(fa♯) 、もうひとつは一幕のアリアの出だしQuesta e quella (mi♭)。

このフレーズは、カヴァーとジラーレの両方がある声、あるいはどちらか片方しかないという声、あるいはどちらもない声、4パターンで歌え、【必ず本人にあった1パターンがあります】、それを探すチェックは、要するに、その歌手の固有のパッサーレを先生と学ぶことにつながります。全声種、この種の訓練はかならずわたしはやります。

これは国際コンクールで勝つためには、どうしても、どうしても、必要な準備。

 

さて、いちおう、カヴァーとジラーレとのふたつの概念に分けることに同意していただいたのであれば、

読者諸君とはそのうち書くリーズでこの議論をしたい、つまりジラーレ VS カヴァー、

どちらを優先するべきなのか?

この議論はそのうちほかのシリーズするとします。

 

今シリーズ、次の記事ではジラーレにスポットをあててゆきます。