読者の皆様、前回のブログから丸1か月空きましたが、

わたしの人生ではかなり波乱万丈でした、

3月にトスカを終えてからわたしはフリーになり、自分で仕事をぜんぶ取らなくてはいけなくなりました。

いちおう、去年の春からコンタクトをとっているエージェントがおり、

去年9月からオーディションを受けていますが、

身分としては、オペラ歌手ならぬオペラニートです。

 

が、今年の夏は、大ミスを犯し、こけら落とし記念の中国のツアーに行く期間に大量の仕事を入れてしまい、

わたしは夏の中国の2か月のツアーに参加できなくなりました。

よって、この、市立劇場との仕事はシーズン開幕の、椿姫のジェルモン役からわたしの仕事が始まることになりました。

いかに、スケジュールをエージェントによって注意深く管理されてきたか、、、ということですね。

 

しかしながらこのミスのおかげでずっと断り続けていたROF(ロッシーニオペラフェスティヴァル)の仕事で

夏を過ごせることになり、つまり、わたしのオペラ歌手人生ではじめて、自分の枕で寝ることのできる夏になりそうです。

 

10日あとには人生初の中東でのコンサートがあり、人生初ずくめです。

 

さて、、、、

前回の密閉のコラムと関連した記事として、

本日は、鼻声、について語りたいですが、

じっさいのところ、この記事は、読者の皆様には、前回の密閉同様、まだ時期尚早である方も多いかもしれません。

 

というのも、鼻腔共鳴と声楽とは、ある意味ではセットだからです。

わたしの考えではこうです、まずは声楽を学ぶ必要があります、

しかし、ある段階からオペラ歌手として、また国際的競技者として鼻腔共鳴ではないやり方で、

大きな声でかつ洗練された声を目指す必要が出てきます。

このときむしろ鼻腔共鳴を否定せねばならず、新しいテクニックとしてカヴァーを学ばねばなりません。

 

ところで、声楽の先生のだれも鼻声をよいとは言っていません。

いっぽう諸先生方が提案するのは鼻腔共鳴です。

しかしわたしに言わせれば、鼻腔共鳴は良いが、鼻声はいけない、という言い方に、

指導者として、頭では納得しても、

いちオペラ歌手としては納得してません。

 

しかし、鼻腔共鳴を悪者には絶対にできません、鼻腔共鳴が悪者ならば、そもそも声楽の最初は、何を教えるのですか?

あるいは、アマチュアの合唱団では、どう、声楽という世界に一歩、踏み入れさせますか?

 

受験生から音大生、それから音楽院学生に至るまで、最も大事なことはあるスタイル、声楽的様式を守ることで、それは真にオペラティックな歌い方を学ぶ前の基礎でないといけません、と、つまらないことではあるけれど、教育者としては、そういわざるを得ません。

 

このとき鼻腔共鳴を避けるならば、どのように洗練できますか?

 

つまり、鼻腔共鳴とそれにまつわるテクニックとは、必要悪、

それは声楽を納めるうえで罹ることが避けられない病です。

 

そこである程度の、妥協した、過渡的な歌唱を、音大生の皆さんには提案する。

たとえば、声はある程度、うしろを通し、マスケラへアッポッジョを置き、つまり鼻腔共鳴を避けないが、

喉頭で声はしっかりコントロールするという歌い方。ヴォリュームはないが、マックスの様式感で歌えるので、音楽院留学には最大級に有利です。これは1910年から30年に活躍した幾人かの歌手もやっていた歌い方。

音楽院などの学業を終え始めたら、この方法論から、徐々に、口から音を出す、というオペラのやり方にシフトチェンジしていくことになります。

 

口からちゃんと音を出す、ことは、正しいのであるならば、

なぜ初心者からこの正しいオペラ的なポジションで教えないのですか?それはオペラ歌手になるためのショートカットでは?

わたしはこの問いには答えません。

それは、オペラを学ぶ上で声楽を学ぶ必要はないのではないか?と問われてるのと同じで、その問いの答えはそもそもはっきりしてるはず。

 

興味があるのは、プロをこのオペラ的なポジションに導くプロセス、タイミング。

しかも、洗練を、そのポジションで目指させるのです。

 

もしあなたが偉大なディ・ステーファノのように、口からダイレクトに出たすべての音が美しく優雅に洗練されてる場合はともっかく、

ふつうはカヴァーを体感ではなく理論で学ばねばなりません。

 

*********

 

一歩下がって、そもそもカヴァーと、この口から抜けた、アンチ鼻腔共鳴の歌唱に関して述べましょう。

 

カヴァーのテクニックは、この口から抜けたオペラ的ポジションにとって、『不可欠なテクニック』であると同時に、

『前提』でもあります。

 

前提であるというのはどういうことかというと、そもそも鼻に行かないように、マスケラを密閉することで、この口から抜けたポジションを達成できるからです。

 

それから必要不可欠なテクニックとして、喉頭を駆使し、喉頭での密閉を通して、カヴァーし、口から抜けた音には本来欠けてる洗練、La voce rotondaを可能にします。

 

つまり、口をあけてそこから歌う、とは、もっとも野蛮でシンプルな歌い方にみえて、じつはプロにしかできない最も理詰めなテクニックです。

 

*********

 

このブログは音大の諸先生、また講師である諸先輩方もご覧になっていますから、もし批判があれば、有り難く頂戴したいところです。しかしながら、どれほど美しく、品よく、洗練されて、レッスン室に響いても、大劇場では消えてしまいます。

いや、美しい倍音をとらえ、丸みのある、優美なクラシカルな音であればあるほど、オーケストラの音と混ざってしまいます。

 

こういう風に歌うことは、一方では室内楽的、歌曲的、と言われますが、歌曲のコンクールも結局、大空間で国際的な競争相手とともに戦わねばならず、結局、上記の、口から音を抜いてかつ洗練させるしかない。

 

これは、わたしにとって、こういう歌い方が正しいというわけではなく、たんなる、あけすけな真実、大ホールでちゃんと聞こえるという、スタートラインに過ぎない。

 

皮肉だけど、劇場で働き始めれば誰もが一発で気づくことです。が、そこにいくまでのオーディションで、そういう声を求めていて、それは、レッスン室ではつかめない。

 

*********

 

去年は4名の生徒が各オペラ劇場の研修所で学び始めたのでした。

歴史ある劇場の研修所で学び始めた生徒が、質問してきたところによると、1800席の劇場で、じぶんの声がちゃんと通っている感じがしない、ちゃんと通るはずだという声を出すこともできるけど、そういう声の出し方では喉が痛くなる、、、、、こういう感慨を20代前半で得ることができたことはあまりに幸運です、これがつまり、国際コンクールで早い年齢で勝つ大前提。

 

さて、彼女は、ちゃんと通る声が何かをつかんだが喉が痛くなるといった、というのも、口からダイレクトに出た音は1800席だろうが、もしかしたら2800席でさえ、聴こえるけども、喉を守るには、喉頭でのカヴァーの技術が必要、それもたんに喉頭を下げることではなく、ちゃんと声帯を厚く柔らかく合わせる技術が不可欠。

これが、歌う時の、素晴らしいクッションになり、音も素晴らしくなる(声帯靭帯がより鳴るため)。

 

でももしかしたら大空間で歌わないと鼻にかかった声でずっと歌い続け、結局、それは最終的には喉にもよくない。

そして結局、マイクをつかったり、小さい部屋で録音した音源をアップすることになり、

それは技術的にもっともっと後退させます。

 

まあ、もっとも、わたしなんかは、フランクフルト旧オペラ座(Frankfurt Arte Oper)の2800席を除くならば、そんなに大空間で歌ったことがないのですが。デビューした新国立劇場中劇場は1000席(24歳のわたしには大空間に思えたものの)、イタリアでは1800席以上の劇場で歌ったことはない。

しかし、はっきり言うが、鼻に声をもぐらせて歌うならば、こうした中サイズの劇場でもオーケストラに埋没するには十分です。

 

************

 

密閉はじっさい二種類あり、それをどちらかにすることで、いわば過渡的な歌唱法をできるのかもしれません。

 

これは指導者としての考えです。

 

たとえば前に述べた、すこし鼻に入った、いい響きを生む歌唱法はプロの方法でも悪くないです。

当然、ヴォリュームは、減りますが、イタリアでいうところのGRAZIAな音で、しかも、自然な暗さがあります。

これはマスケラの密閉をやめ、うしろに音を通してあげるとできる。でもこのとき、喉頭の密閉まで取り去るならば、

カヴァーするために、母音を丸めるしかなくなり、これこそ、もはや、舞台で通用しない声を作り上げることになります。

しかし、いちおうの歌い方としては、どんなジャンルの歌もそつなく様式をもって歌えるかもしれません。

歌う時の安定感のために、ヴォリュームを犠牲にしているような歌い方、

そして、この歌い方は、この記事では、全面的に肯定できない、なかばナザールの歌唱。

 

もうひとつの過渡的な歌唱法は、上記よりも、舞台での発声としてよりおすすめですが、しかし、音楽院の試験やその内部での歌唱としては上記の歌唱よりもおすすめではない音です。

つまり、マスケラを密閉し、喉頭はナチュラルに自由にする方法です。

とくにテノールには良いかもしれません。すこしアペルト気味ではあるかもしれませんが、わたしは多くのイタリア人巨匠が、

生徒をまずはこのポジションに置くことを目撃してきました。

が、先にも述べたように、すこし元気が良すぎて、何を歌っても、O sole mio に歌える歌です。

また、歌う時のバランス感覚が非常に難しく、コンディションが保てません。

しかし、歌手としては、このように歌っている学生に好感を持ちます。

というのも、この歌唱は、『口声』ないしは『喉声』かもしれないが、『鼻声』ではないので健全にホールに響きます。

 

この2つの歌唱法を、このブログとしては、過渡的な歌唱法として、音大生、その卒業生くらいに提案しましょう。

 

といっても、わたしの生徒に入門したひとは、おそらく、両方を一緒に学ぶことになるでしょう。

 

鼻声は、じつは奥深いです、いずれシリーズで、来年あたり、また書かせてください。