今日はプレスリーの誕生日
今日1月8日は、ロックンロールの帝王
エルビス プレスリーの誕生日です。
1935年1月8日にエルビスは生まれました。
生きていれば今年で76歳。
でも42歳の若さで、昇天しました。
テネシー州のテュぺロという小さな町で誕生し、育ったのは、メンフィスです。
まだまだ、人種差別が激しかった時代でした。
プレスリーの家は極貧だったので、
アフリカンアメリカンの教会に通ったりして、牧師の説教を聴き、一緒にゴスペルを歌ったそうです。
その為、彼はブラックゴスペルにはかなり詳しかったようですね。
メンフィスはブルースの町でもあり、カントリー&ウェスタンの音楽も流行っていたので、
彼の音楽のルーツは、ゴスペル、ブルース、カントリーなのです。
1954年にデビューした曲「That's all right mama」もブルースです。
この曲、後に色々なロッカー達が、カバーしています。
ロックンロールと言う言葉は当時既にありました。
(この言葉、元々ブルースの曲名から付けられたそうですね)
ビルヘイリー、リトルリチャード等が当時のロッカーでしたが、
世界に発信したのは、間違い無くエルビスです。
色男だし、歌はうまいし、声は甘いし、なんせカッコ良い。
当時の女性達の爆弾のような声援を背に
世界のスーパースターにのし上がっていったのです。
でも、不良の音楽というレッテルを貼られ、教育委員会に
レコードを焼かれたりしたようです。
又アフリカンアメリカンの教会は、踊りながら飛び跳ねながら、歌いながら、説教したようで、
それを見ていたエルビスは自然と歌うときに体を動かす癖がありました。
その為、デビュー当時に爆発的人気があった、TV番組「エドサリバン ショー」に出演したとき、下半身をカメラに
写さないようにカットされました。
今では信じられない事ですね。
又、エルビスは人種差別が大嫌いな人でした。
70年代当時、まだまだ人種差別が激しかった時代。
彼のコンサートには3人の黒人ボーカル女性がバックをつとめていました。
(ホイットニーヒューストンのお母さんもいた時もあるのです。)
彼女達をバックとして使うのは止めて欲しいとある知事から、依頼があったとき
エルビスは、ではコンサートは中止する、といったそうです。
彼の功績はその後の偉大なミュージシャンを生んだ事ですね。
ジョンレノンが「ハートブレイクホテル」を聴いて
グループを結成したり、多大な影響を後のロッカーに与えました。
エルビスの影響を受けていない、ロッカーはいないのではないでしょうか。
彼の人生で、一番可哀想なのはマネージャーが守銭奴だった事です。
つまらない映画に何本も契約され、貴重な音楽活動を出来ない時代がありました。
60年代です。丁度ビートルズがエルビスに会いに行った時代ですね。
(但し、唯一当時自分で納得できたと思うレコードはゴスペルアルバムでした。
エルビスは生涯3度、グラミー賞を受賞しています。その全てが、ゴスペルなのです。)
又、マネージャーとエルビスの契約は売上の50%:50%だったようです。
信じられますか?五分五分ですよ。
又、マネージャーのギャンブルの浪費の為にエルビスの音楽の版権を
当時のレコード会社に売られた事もあったのです。
後に、矢沢永吉がエルビスの自伝映画を見たとき、
滂沱の雨を流したそう。
自分で音楽活動を管理できないエルビスを哀れに思ったそうです。
エルビスは南部の片田舎の貧しい純朴な青年でしたから、世界の大スターにしてもらった恩を
忘れられなかったかもしれません。
でも僕は今でも、もう少し金儲けではなく、音楽に理解を示す
マネージャーがエルビスに付いていたら、彼の人生は変わっていたのではないか、
と思っています。
しかしこんな環境であったのに、エルビスの歌声は未だに人々に影響を与えています。
衰える事はありません。永遠ですね。
日本でも「Viva エルヴィス」という新譜がソニーミュージックから出ました。
是非若い方達にきっかけとして、聴いて欲しいCDです。
内の店名「アーロン」は
エルビス・アーロン・プレスリーをこよなく愛しているので、店名にしました。
長くなりましたが、ご容赦を!