皆さま、こんにちは。今日は、最近世間を賑わせているあるニュースと、そこから派生する奇妙な印象、そして古代中国の賢人の言葉を絡めて、ちょっと深掘りした考察をしてみたいと思います。

 

 ご存じの通り、元人気タレント中居正広氏の性加害問題を巡り、フジテレビが被害を受けた元同社アナウンサーの女性に直接謝罪し、補償を行うことで合意しました。このニュースは、長らく燻っていた問題に一つの区切りをつけ、被害者の方のコメントも、その痛みを抱えながらも前を向こうとする強い意志を感じさせるものでした。

 

 しかし、この一連の動きの中で、私を含め多くの方が首を傾げている点があります。それは、中居氏の代理人弁護団の対応です。特に、その中心人物とされている長沢美智子氏という女性弁護士の戦術に関して、違和感を覚えるのは私だけではないのではないでしょうか。

 

 なぜ、女性である長沢弁護士は、あそこまで執拗に中居氏を擁護し、性加害を否定するような弁護を続けるのでしょうか? 

 しかも、その主張はすればするほど矛盾点を露呈させ、枝葉末節な点をあげつらうばかりで、世間の失笑を買っているように見えます。当初は世論を中居氏に有利な方向へ誘導しようとしたのかもしれませんが、結果は全く逆の効果しか上げていません。

 

 中居氏側の弁護団は、これまで反論声明を出すに留まり、積極的に訴訟を起こすなどの法的行動には出ていません。その結果、世間の大多数は中居氏への同情どころか、「女性弁護士の陰に隠れて石を投げている悪あがきの禿げ散らかしたジジイ」という、なんとも不名誉な印象を強めているのが現状です。

 

 「優秀」と評されることもある長沢弁護士が、なぜこのような稚拙とすら言える戦術しか取れないのか。

 もちろん、所詮弁護士は法律のロジックの専門家であり、他人の気持ちが分からず、民意や世論の機微を把握していないだけ、という見方もできます。

 あるいは、単純に中居氏から多額の弁護費用を「引っ張る」ために、無意味な抗議を長引かせている、という シニカルな意見すら耳にします。

 

 しかし、もし、そうではないとしたら?

 

 実は、彼女は中居氏の行動に対して、内心では深い怒りを抱いているのではないか――。

 

 ここで、かつて思想家の会田雄次氏が、その著書「決断の条件」の中で解説した、韓非子の「小忠を行うは大忠の賊なり(小さな忠義は大きな忠義の敵である)」という言葉を思い出してみましょう。

 

 会田氏は、この言葉を楚の共王と将軍子反(しはん)、そしてそのお付きの穀陽(こくよう)の逸話を用いて解説しています。


昔、楚の共王が鄢陵(えんりょう)で晋の厲(れい)公と戦った。楚軍の旗色は悪く、共王自身も眼に傷を負った。

 

戦いのさなかに楚の将軍子反は渇きを覚え、水を求めた。すると、お付きの者の穀陽は、酒をみたした盃(さかずき)を差し出した。

「むむ、だめだ、酒ではないか」。

「酒ではありません」と、穀陽が言うので、子反はそれを受け取って飲んだ。

もともと酒が嫌いな方ではない子反は、うまいと思ったら、口から離せずとうとう酔っ払ってしまった。

 

その日の戦いは終わり、共王は、いざ明日こそはと、相談のために子反を呼びにやった。だが、気分が悪くて行けないという返事である。

そこで共王は車で子反の陣に出かけたが、陣の幕をくぐるや、酒のにおいがぷーんと鼻をついた。

 

共王は腹を立ててそのまま帰ってしまった。

「今日の戦いでは、このわしまで傷ついた。こうなっては、たよりとするのは、将軍である。その将軍があの有様だ。あれは楚の国など忘れはて、わが軍がどうなろうとかまわぬ証拠だ。もう戦いはやめた」。

共王は軍を引き上げて国に帰ると、大罪を犯したとして子反を斬った。

 

穀陽が子反に酒をすすめたのは、何もそれで子反に恨みをはらそうとしたわけではない。忠義をつくすつもりだったのだ。それが、子反を殺すことになった。

 

だから、わたしは言うのだ。「小忠を行うは大忠の賊なり」(「小さな忠義は大きな忠義の敵である」)。


 この韓非子の逸話は、部下である穀陽が「将軍の喉の渇きを癒やす」という個人的な、小さな忠義を果たそうとした結果、将軍子反を泥酔させ、ひいては国を危うくし、子反自身の命を奪うという大きな裏切り(忠義の賊)となったことを語っています。

 

 しかし、会田雄次氏は、ここでさらに恐るべき洞察を解説します。

 韓非子は、穀陽が忠義を持っていたにもかかわらず子反を殺すことになった、と言いました。しかし、もし穀陽が子反に個人的な恨みを持っていたとしたらどうでしょうか?

 酒を勧めるという個人的な小さな欲求(喉の渇きを癒やす)を表面上は満たしてやることで、相手を巧妙に陥れ、復讐を果たすことができる。

 しかも、子反は穀陽を恨めない。自分が欲に溺れたと嘆くしかできないのだから。なんと素晴らしい恨みの晴らし方だろう、と。

 

 この会田氏の解説を、中居氏問題における長沢弁護士の対応に当てはめてみると、どうなるでしょう。

 

 長沢弁護士がもし、中居氏の行動に内心では反感や怒りを持っていたとしたら?

 彼女は、中居氏の「事実を認めない」「自分を正当化したい」という下らない個人的な要求や欲求に、表面上は忠実に、ロジックだけで応えているのかもしれません。しかし、その結果として、世論がさらに中居氏に激怒するような声明を出し、火に油を注ぐような結果を意図的に示唆しているのだとしたら――。

 

 その結果が、中居氏の想定とは全く異なる世論の炎上だとしても、それは「下らない主張をしている中居氏が悪いのであって、彼女は何も悪くない」。むしろ、弁護士としての職務を全うしたと堂々と主張できる。

 そして、世論は中居氏を性加害者と明確に認定し、フジテレビは被害者へ補償を行い、長沢弁護士は多額の弁護費用を得る。

 

 なんという素晴らしい仕事ぶりであろうか。真に有能な人は、こうも巧妙に、そして静かにその目的を達するものなのか、と。

 

 もちろん、これは一つの穿った見方かもしれません。

 しかし、現在の状況が「優秀な弁護士による、あまりにも稚拙な戦術」に見えることへの、ある種の解答として、この「小忠」と「大忠の賊」の裏の解釈は、妙な説得力を持っているように思えるのです。

 

 皆さんはどう思われるでしょうか? ぜひコメントでご意見をお聞かせください。