ストリートピアノの明日(ストリートピアノ33)

老害がピアノを習ってた頃(1970年代)、

バイエル前→バイエルの赤と黄→ブルグミュラー→ソナチネ→ソナタ、ショパン





たまたま姉と一緒に習ってた時の先生のN先生は、とにかく優しくて、生徒さんもたくさんいたなあ


無断で姉(≧▽≦)

生徒さんは皆女子で、たまにある発表会(新聞会館か国際会館か忘れた💦)にしか会わないわけだけど、みんな無口で先輩の女子達は、ツンツンしててなんだか怖かった

発表会の後に食べれるケーキのバターケーキがなあ…日頃不衛生な駄菓子を常食としている老害にとってはそれも敷居が高かった💦


無断で姉その2(≧▽≦)

結局6歳上の姉の高校受験の時に、姉と一緒に辞めたけど、N先生の人柄も良く、その後も家によく遊びに来られてた。近年亡くなられたんだけどね…


以前ブログにも書いたけど



特にピアノに目標(姉のついでに習わせてもらってた程度)を持たない老害少年も、ピアノに対してそんなイメージ(型苦しい💦)があったせいかピアノを改めて習おうとせず、長〜いブランクが出来てしまった💦

ブルグミュラーで終わってたし💦


ピアノの基礎とか指とか出来てなくて苦労するんだけど…


いや、ちょっとまてよ


今ピアノ教育として、昔と全然違う教え方してるみたいだ(´・ω・`)

コロナ禍、様々なピアニスト、ピアノの先生達がネットでレッスン動画をたくさん出しておられて、見てビックリした

全然教え方が違うじゃん(・。・)



調べてみた


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1970年代までは、ハイフィンガー奏法

手首を固定して、指の力で弾くツラい奏法だ

1948年頃、「子どものための音楽教室」が出来ピアノの英才教育が始まって、名門桐朋の土台をつくっていったみたい

1期生にあの中村紘子さんたちがおられ音楽教育にも尽力された

すごいなぁ~

そういえば、テレビの趣味のピアノ(ピアノとともに)みたいな番組があって、色んな曲を教えてて、なかにはショパンのバラードとかスケルツォメフィストワルツとかも中村紘子さんが学生に教えてた



すごい気迫の練習(音大受験ともなると当たり前のレッスンなのかなあ)で、これホントに趣味のピアノ?



たしかにスゴイんだけど、楽しいのかなあ…って思ったり…


世界一ピアノを習ってる(授業でもオルガンやら鍵盤ハーモニカ)日本なんだけど、ピアノ離脱するのも世界一らしい



1980年代になると、従来のハイフィンガーでは表現力のうえで、世界的コンクールでも日本は遅れをとり、音色が硬いやら暗いやらで技術革新が迫られる

ハイフィンガー奏法から脱力、重力奏法に代わり、従来の古典派→ロマン派の順番じゃなく、平行して色んなピアノする様になってるみたいだね!


それで、ショパンの前に挫折する人が多かったんだね!そういえば、古典派とロマン派って全然弾き方が違うもんね

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ちなみに老害は、すべて中途半端になってるよ

(その前に練習してないし)


まだベートーヴェンの音色はマシかなあ
って自分で言ってるし、そのまえにもっとちゃんと弾けよ〜(≧▽≦)


久しぶりのショパンマズルカだけど、音が硬いよ〜って、そのまえにもっと練習しろよ(´・ω・`)


でも、ピアノを弾くのが楽しい\(^o^)/



それでいいじゃん


みたいな(≧▽≦)




いま、ピアノが町にたくさん置かれるようになった

ストリートピアノが珍しい存在が無くなってきて、ピアノを通して他人同士がコミュニケーションをとれるようになった

ピアニストもピアノの先生も愛好家も学生さんも習い始めの生徒さんや子供たち、まったくピアノに触れた事が無い人まで、みんな同じだ


クラシックありジャズありイージーリスニング、ポップス、懐メロ、子供たちの歌にゲームミュージック…


みんな同じだ


町の文化



ピアノを最初に作って継承してきた人たちも、尊厳とか思想が背景にあるにせよ、この町の光景を望んでいたのかもね