night and day(ストリートピアノ24)

老害は北海道移住したのち、一時的に出稼ぎをしていた時期がありました。

 

 

出稼ぎとは??

 

寒冷地の農村では冬になると稼ぎがなくなってしまうことから、仕事のある都会に行くようになりました。都会の労働者不足を補う役割も果たしていたのが出稼ぎです。

 

出稼ぎ手帳

 

 

 

 

 

 

出稼ぎ先は山パン武蔵野工場

ちょうどそのころ、旧男子寮というものが存在していて、歴史を感じたなぁ

 

 

やがて男子寮が解体され、社員さんの寮で生活するようになりました

 

 

 

最初思うように作業ができなかったり、若い職員さんに馬鹿にされたり、

挨拶しても半分の人が返してくれなかったり…

悔しいことばかりがあって、つらかった…

 

ただ、そこは東京の地盤というか、一生懸命努力したら、不思議と

仲良くできる人が増えていき、だんだん信頼関係がみんなとできるようになり

大変だけど毎日が楽しくて楽しくて!

東京って人情が薄いって言われがちだけど、それは人が多くて誤解されてる

サッパリしてる人が多いけど、人情は熱くて優しい人が多い

 

夜勤が多かったなぁ…

でも、楽しかった!!

 

送別会は…つらかったなぁ…( ;∀;)

 

 

休日は友人と遊んだりピアノを弾いたり…

国立でのイベント前は、ピアノが弾けるところを探したり

ピアノ教室無料体験レッスンを回ったり…あ…これはダメだよね"(-""-)"

 

そのときの連弾です

 

 

 

 

 

そんな事を懐かしく思い出しながら…ふと、西舞子の海岸をフラフラ





 あのとき

夜も昼も

たくさん遊んで、働いて

笑って泣いて感動して悲しんで

輝いてたかもしんない


もっともっと

輝きたい


と考えてたら

いつものハーバーランドに来てた