中越
寒くなりましたね~
いやぁ寒い寒い…
電気、油の値段が急騰して
ますます生活が苦しいよ"(-""-)"
ところで、
寒いって云ってる老害も
1995年 震災
1997年 北海道釧路へ転勤
1999年 北海道上川で酪農
(中略)
ある理由で、酪農を辞め
生きるために仕事を転々
そんなとき
夏期 冬期 の期間労働として
2012年の冬から2年間
JR北海道パートナーズで
鉄道除雪の仕事をしてたりしてました
駅や信号所に待機したり、泊り込んだりして
ラッセル車、ロータリー車で除雪出来ないポイント箇所を
スコップ、ママダンプ、つるはしなどで、
氷を砕いたり、雪をどけたり
冬の北海道で体をはった仕事をしてました…
今からじゃ、考えられないけど…
管轄は、
「上川駅」「安足間駅」「中愛別駅」
「上越信号場」「中越信号場」
ふと、「中越信号場」での泊り込みを思い出しました
中越駅が開業終了したのは、2001年
炭鉱で栄えた街も、今では資材置き場こそあるものの
人口ゼロの街
かつては、機関車などの転車台があったりと
賑わいをみせてたみたいだけど
今では、単線の行き違い場所として
ホームは撤去され、梯子で列車から乗り降りして
作業員交代する一日業務
ホームもなく、留置線、転車台も撤去され
スリムになった構内は3線のみ
↓当時のメモ書きです
斜線を付けたところは特に雪が溜まりやすく
ポイントが雪だらけとなると
「不転」とされ、ポイントが変わらなくなり
列車は不通となってしまう
ポイントが動かなくなったら
やかんの熱湯をぶっかける
パシンと轟音とともに凍ったポイントが解放され切り替わる
隙間に足を入れてたら、強烈なサンドイッチに…
そうならないため、事前にポイント手前から
線路上の雪を取り除かなければならない
しかも、列車と列車の隙間時間の間に…
そのため、↓の運行表が配られ
作業前後に鉄道指令に電話連絡しないといけない
↓これが電話
右側の黒い電話 今時手回しの電話は、
隣接する駅や信号所に連絡する電話
真ん中の白い電話は、鉄道指令や他所の駅などにかける電話
1人が除雪員、1人が見張り員の2人体制
あるとき、息子ぐらいの除雪員と泊り込み
吹雪いて氷点下20度後半くらいになり
除雪作業してたところ
「眠くなりました…」
冬の遭難者と同じこと言ってる
あれは、映画の世界だけじゃないんだ
ほんとうに、そうなるんだ…
と、感心してる場合じゃない
必死で励ました
耳も凍傷でバリバリだし…
ただ、作業の合間は
暖かい旧駅舎の中で
漫画本を楽しんだり
雑談を楽しんだりしてたので
あまり大変だったイメージが残ってないんだよなぁ
ただ、1日1メートル近くつもる日などは
雪が横から降って
雪をどけてもどけても
ズンズン積もって、視界が1メートルくらいしかとれなかったり
あんまりひどいと、外にも出れず 旧駅舎で待機してた
それもそのはず、無理した除雪員の悲惨な列車事故は
JR職員からの研修や、たくさんの話などで刷り込まれているので
無理は絶対できない
ひとつの判断ミスで
命を落とす仕事
よく、雪のために列車が不通になったり遅れたりして
街の人たちは不満を言うけど
日々、こうした作業員たちが流した汗を思い出してほしい
っと、そんな老害も、
いまでは、モンクを云うようになったけど…
↓これが、ロータリー車
雪を吸い込んで、遠くに飛ばすんだよ
あれ?これ、隣の「上越だったっけ」
ここも人口ゼロの街
少し前まで、仙人が住んでたらしい…
標高が634m、スカイツリーの高さと同じなんだよなぁ
おばあさんが夜な夜な、駅のロータリー跡で座ってた
足はなかったけど…