山口 香織(kemuhime)のプロフィールはこちら。
毎回毎回、灰汁のある内容でごめんなさい(笑)
もうなんというか違和感や心地悪さがよりはっきりわかるようになってしまって。(まあそれがあるからこそ心地よさ、を選択できるようにもなった訳ですが。)
やはり毎回言ってますが、起こる現象よりも
「どういう意識でいるか」が大事ですね。本当に。
実は、私、今でこそこうやってブログ更新してますが、書き始めるのに1年以上かかっているんですよ。(笑)
とにかく怖いのです。公開できない。(最初の頃はえいやっって感じで投稿してました。笑)
きっとね、きれいごとばかりだったら公開できたのかもしれません。
いや、それはもうできるマインドではなくなっていた。
そう、もはや世間的にいい悪いの話ではなく、自分自身に嘘をつきたくなかったのです。
「あなたはわたし、わたしはあなた」の観点から、エネルギーの法則の観点から言うと、
外側に嘘つくこと=内側に嘘つくこと
になるわけですね。
(ちなみに嘘をつくことが悪いこと、と言ってるわけではありません。私が個人的に心地よくないから選択しないだけ。)
で、嘘をつけない、ということは、闇の部分、ネガティヴな部分、醜い部分、汚い部分、弱い部分、エゴ丸出しの部分、いわゆる煩悩まみれですよー。ってことも認め、公開していくことになる。
それで、そもそも煩悩まみれ、ってことが悪しきもの、という認識でいるから怖いんですよね。(まあ、仏教が多い国で生まれ育ってますからね…。)その先に嫌われる→生きてる価値がないってなるから。
例えば。最近こんなシーンに出くわしました。
女子の世界ではよくある風景(笑)ですが…。
数人で、ある人のうわさ話や、悪口、文句なんかを言ってたんですね。
そこへ、清廉潔白、というか普段から「人のことを悪く言ったりしてはいけない」とか「文句や悪口を言っている人の顔はすごく醜い」とか「言霊だから、なるべく綺麗な言葉を」とか言ってる方がそこに入ってきたんです。
すると、面白いくらいに全員ピタッとその話はやめて、ポジティヴで綺麗ごとの話に花を咲かせ始めたんです。(笑)
その光景、なんだかすごく気持ち悪くて。
きっとね、本当のところなんてわからないですが、その清廉潔白な方もね、
「善悪」の話ではなくて、「感情の取り扱い方」について言っているんじゃないかなあと思いますけどね。(もしかしたら、超絶嘘の綺麗ごとな人かもしれないし…。笑)
生きていれば、文句や悪口言いたくなることなんて多々ありますよね。
理由だって様々で、理不尽なこともあれば、自分に否があっても認めたくない場合や、単に自分の調子が悪いだけの時もある。(ホルモンバランスとか)
それを認めてしまえばいいのに、さも「そんなこと思っていません、私は。」みたいに綺麗に装っても、すっごく気持ち悪いエネルギーとして伝わってきます。(同時にその人自身もなにかしら気持ち悪い感覚を得ているんだと思います。)
なんかね、たまに見るんですが、悪口言っていても(その人にとっては悪口ではないのだと思いますが)スカッとして心地よくてなんだか笑えてしまう人っています。
きっと、自分の中の全ての部分を受容しているからなんだと思います。そして、そこに悪いことだから~、とか罪悪感を乗せていないんだと。
いやあ、私、そう思った(そう感じた)のよ~マル。みたいな。
そこに善悪のジャッジが混ざっていない。
同じ行為に見えても、意識が違うんですよね。
ある日の空。ウロコがすごい。
闇の部分、ネガティヴな部分、醜い部分、汚い部分、弱い部分、エゴ丸出しの部分、いわゆる煩悩まみれって、そもそも悪しきものなのだろうか…?
その感覚そのものは私のものではないし、ただ在るだけ。なんですよね。
そこに解釈や思い込みが入って、そのうえで善悪で裁くようなことになってしまうからややこしくなる。
だから、嘘の綺麗ごとでそれを覆い隠さないで、
いっそのこと、その煩悩を認めて感じて、受け入れてあげてください。
あ、それで最初に話は戻りますが、そんなことをやっているうちに自然と自己開示が怖くない自分になっていました。
1年以上かかりましたけどね。(笑)
自分を大切にするって、この世界ではよく言われていることですが、漠然としてよくわからないって思うこと、ないですか?
言葉で説明すると色々な表現や説明ができますが、(だからこそわからなくなるのかもしれませんが。)
一つ言えることは、
「自分の本音(肚の声)を聴いてあげる」
これに尽きます。
そして、それが綺麗なものではないこともあるのですよね。(というかまあまあエゲツナイことだったりするのかも。)
とにかくそれをただ聴いてあげてください。
それをずっと続けていくと、言うことが変わっていくような気がします。
これはまだ実験中なので、はっきりと断言はできませんが、個人の欲求というかエゴというか、そういうのが聴いてもらえる、というのがわかると、
(もうそれに飽きてきて笑)今度はもっと違うところにエネルギーを使いたくなる、というか、
エネルギーが拡大していくと同時に使う範囲も拡大していくような感じ。
もちろん、一直線ではなく、上がったり下がったりしながら(不安定ながらも)拡大していくものなので、目に見えてはっきりわかるものではないのかもしれませんが、
間違いなく、そのままで何も変わっていない、ということはありません。
だけど、そのスタート地点の欲求がね、煩悩まみれだったりするから受け入れたり聴いてあげることを無意識にしないでいるところってありませんか?
でも、そこ、感じてあげないと進んでいけません。
しかもね、それを感じてあげたら、本当の本音(なんだそれ。笑)、魂からの本音、とでも言うのかな、それが出てきます。
まぁでも、まずはその前に「認識できる本音」を聴いてあげよう。
(ムカつく〜とか。そしたら次は悲しい〜とか悔しい〜とかが出てくるかもしれない。それで、あ〜私こうしたかったんだ〜ってなって、本当はこう思ってたのか〜ってなったりね。)
これ、個人的な観点で勝手に言ってますが、ブッダにも煩悩ってあったんだと思うんです。(実感がないとそもそも煩悩ってなんぞや?ってのも説明できないし。)
けれども、彼は(彼呼ばわり笑)それをかなり俯瞰した立ち位置で観察できるのではないのかなあと思うのです。
だから、ないものとする、とかそもそも清廉潔白だとかではなく、ね、
「嘘の綺麗ごとよりも本音の煩悩を。」
これが本来の自分で生きる第一歩だと思います。
山口 香織(kemuhime)
