第1話 さよなら、よーへーさん。(前編) | よーへーさん。

よーへーさん。

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「別れは悲しいけど、さよならだね。」

「うん、悲しけどさよならだね。」

「今までありがとう。」

「ありがとう。」

よーへーさんは、きつく握りしめていた心の手をそっと緩め、それを手放した。

よーへーさんは、39歳になっていた。

 

 

 

 

よーへーさんが握りしめていたそれは、はじめは仕事、家庭、不倫という形で現れた。

何度も何度も勇気を出しては飛び込んで、視界を遮る煙をかき分けても見つからない火種。

 

「いい加減、死ぬか降参したいよ」

薄暗い部屋の、だだっ広いベッドの上で、よーへーさんはつぶやいた。

窓の向こうには、みずがめ座下弦の月。

 

止まらない思考。

 

人は、1日に6万回も思考する生き物らしい。それも、ほとんど無意識で。

そう、よーへーさんの日常の9割は無意識の自動反応でできている。

無意識が自動反応を呼び、自動反応が次の無意識を生む、無意識の無限増殖。

思考に操られた意識が体を動かすロボット状態。オートパイロットライフ。

 

とりとめもない思考を巡らせながら、よーへーさんは、意外と落ち着いているなと思った。

なによりも、まず落ち着くことだ。それも年単位で、3年くらいのつもりで落ち着く。

 

 

思考は観念によってつくられている。思い込みと言い換えてもいい。

そして、観念がつくられたのは誰のせいでもなかった。

よーへーさんは、度重なるダイヴによってそのことを分かっていた。

 

今までの体験も無駄じゃなかったということか。

よーへーさんは、そう思えたことが少し嬉しかった。

 

近くを流れる川の水音が聞こえる。

 

 

 

 

「上、下」「正しい、間違い」「良い、悪い」「こうあるべき」

「そういうものだから、こうしなければ」「私はこういう人」…、

「私」や「人生」は思い込みでつくられていて、人は「ほぅらね」と証拠探しの旅を続ける。

世界の果てまで自分探しに出かけても、

きっと「ほぅらね」「やっぱり」という証拠しか見つけることはできないだろう。

 

 

よーへーさんは、自らの晴れないもやもやを思った。

満たされることのない気持ちを。

「不快だよー、違うよー」と叫ぶ感覚を、「それは正しくない、こうすべきだよ!」と

思考が押し殺すことでもやもやは生まれる。

そして、もやもやの煙は、いくら消しても無くなることはない。

無くすためには、火種を消す必要があるのだ。

 

そう考えはじめたとき、不意によーへーさんを大きな不安感が襲った。

サインだ。

 

同時に、よーへーさんは確信した。

今、最も不安で手放したくないところに火種がある。

 

あまりにも早くから、長い間観念を培ってきたことで、

本来誰もが備えているはずの「感覚」を麻痺させてしまっているのだ。

 

 

もやもやがありがたい。と、よーへーさんは思った。

もやもやする気持ちが、感覚が完全に失われてしまったわけではないことを示していた。

 

 

よーへーさんは、最も不安で手放したくないことを思うことにした。まったくもって勇気のある男だ。

 

 

後編へつづく)