「別れは悲しいけど、さよならだね。」
「うん、悲しけどさよならだね。」
「今までありがとう。」
「ありがとう。」
よーへーさんは、きつく握りしめていた心の手をそっと緩め、それを手放した。
よーへーさんは、39歳になっていた。
よーへーさんが握りしめていたそれは、はじめは仕事、家庭、不倫という形で現れた。
何度も何度も勇気を出しては飛び込んで、視界を遮る煙をかき分けても見つからない火種。
「いい加減、死ぬか降参したいよ」
薄暗い部屋の、だだっ広いベッドの上で、よーへーさんはつぶやいた。
窓の向こうには、みずがめ座下弦の月。
止まらない思考。
人は、1日に6万回も思考する生き物らしい。それも、ほとんど無意識で。
そう、よーへーさんの日常の9割は無意識の自動反応でできている。
無意識が自動反応を呼び、自動反応が次の無意識を生む、無意識の無限増殖。
思考に操られた意識が体を動かすロボット状態。オートパイロットライフ。
とりとめもない思考を巡らせながら、よーへーさんは、意外と落ち着いているなと思った。
なによりも、まず落ち着くことだ。それも年単位で、3年くらいのつもりで落ち着く。
思考は観念によってつくられている。思い込みと言い換えてもいい。
そして、観念がつくられたのは誰のせいでもなかった。
よーへーさんは、度重なるダイヴによってそのことを分かっていた。
今までの体験も無駄じゃなかったということか。
よーへーさんは、そう思えたことが少し嬉しかった。
近くを流れる川の水音が聞こえる。
「上、下」「正しい、間違い」「良い、悪い」「こうあるべき」
「そういうものだから、こうしなければ」「私はこういう人」…、
「私」や「人生」は思い込みでつくられていて、人は「ほぅらね」と証拠探しの旅を続ける。
世界の果てまで自分探しに出かけても、
きっと「ほぅらね」「やっぱり」という証拠しか見つけることはできないだろう。
よーへーさんは、自らの晴れないもやもやを思った。
満たされることのない気持ちを。
「不快だよー、違うよー」と叫ぶ感覚を、「それは正しくない、こうすべきだよ!」と
思考が押し殺すことでもやもやは生まれる。
そして、もやもやの煙は、いくら消しても無くなることはない。
無くすためには、火種を消す必要があるのだ。
そう考えはじめたとき、不意によーへーさんを大きな不安感が襲った。
サインだ。
同時に、よーへーさんは確信した。
今、最も不安で手放したくないところに火種がある。
あまりにも早くから、長い間観念を培ってきたことで、
本来誰もが備えているはずの「感覚」を麻痺させてしまっているのだ。
もやもやがありがたい。と、よーへーさんは思った。
もやもやする気持ちが、感覚が完全に失われてしまったわけではないことを示していた。
よーへーさんは、最も不安で手放したくないことを思うことにした。まったくもって勇気のある男だ。
(後編へつづく)

