民進党は、またまたまた愚かな選択をしましたね。

いつになったら、まともな党に成長するのでしょうか。

 

<こんな話も思い出します。

芸能人から大臣にまでなった蓮舫さんが、1992年4月、TBS『3時にあいましょう』の司会に決まったとき、こう抱負を語っていました。

 

「いまのワイドショーは誰と誰がくっついたとか、誰が死んだとかばかりで、イメージがよくありませんね。ワイドショーは私が変えていきたいと思います」

 

 このとき、主人(注:梨元勝)は、水着姿のキャンペンガールから司会に抜擢された彼女に対して、批判というより、心配そうにこう言っていました。

「世間知らずのままキャスターになって、はりきっているのはいいけれど、現実の壁を越えられるかな」

 

 その言葉どおり、蓮舫さんは、6月には早くも「誰と誰がくっついた」渦中の人になっていました。蓮舫さんは、スタイリストで資産家の御曹司との交際を女性週刊誌に書かれ、記者会見を開かざるをえなかったのです。主人は、彼女の考え方を通すなら、記者会見などする必要はないと言っていました。

 主人は、この建て前と本音、理想と現実のハザマで生きてきたと思います>(梨元玲子著『愛という名のスクープ』)

 

 蓮舫の勝気な性格と世間知らずがよく表れているエピソードです。とても党の代表が務まる器とは思えません。民進党は自ら「最大不幸社会」を選んでしまいましたね。

 

 いくらなんでも、二重国籍を知らなかったとは、議員どころか大臣を務めたことのある人間の弁明として、話になりません。「私は誰? ここはどこ?」と言っている迷い人同然です、これは。それに、1997年には、女性誌『CREA』で「私は台湾国籍」と話しているそうじゃありませんか。

 

 大臣にもかかわらず、国会をファッション誌の撮影に利用していました。東北大震災のときにも、パフォーマンスのため、例の立てエリでコンビニに「視察」に行って、顰蹙(ひんしゅく)を買っていました。彼女の「お行儀」の悪さは目に余りますね。

 

 私は長い人生で、いろいろな人間あるいは人間関係を見てきましたが、もっとも劣等なのは「他人に厳しく、自分に甘い」人間だと感じています。残念ながら、彼女はその類です。本来、政治家は「自分に厳しく、他人に優しい」人でなければなりません。

 

それでも、民進党は彼女を代表に選んでしまったのです。確かに何も考えず、イメージだけの党らしい選択です。しかし、民進党は「頭の洗濯」をしないと生き残れないだろうと思います。

 ただし、日本のことを真剣に考えている優秀な議員は民進党にたくさんいます(といっても、総議員数が少ない)。

 その「まともな勢力」によって、この不幸から、どう抜け出すのか。期待はそこにしかありませんね。

 がんばってくださいよ、まともな議員。