日本人は情緒的なフレーズが大好きです。

だから、中身のまったくない鳥越俊太郎に1票入れてしまう有権者が130万人も現れてしまったのです。

「内なる声に導かれて」出馬表明した鳥越のスローガンは、「住んでよし、働いてよし、環境よし」でしたね。まったく、情緒的なフレーズばかりです。

 三つの「よし」は中身がないものの、害もないので、よしとしましょう。

 ところが、最後にヤケをおこしたのか「女性によし」を追加! まったく情けない爺さんです。

 

 こんな鳥越に票を投じた130万人の東京都民は、心から悔いて、猛省しなければなりません。

 

さて、本題は情緒的という話でした。ここからは、以前に書いたものと、ほとんどダブリます。改訂版ということで、お許しください。
 

「地球にやさしい」、「人間の命は地球より重い」──これって、自分たちこそが守られているはずの地球に対して、あまりにも傲慢(ごうまん)だと思いませんか。

 

人間にやさしい環境の地球があるから私たちは生きているのですし、地球の命のほうが人間よりはるかに重いのは自明でしょう。46億歳の地球とわずか500万歳の人間ですよ。知恵の量も、地球のほうが断然勝っているでしょう。ひとたび地球が怒り、暴れたら、人間などひとたまりもありません。その兆候はすでに世界各地で表われているのではないでしょうか。

 

異常気象、自然災害などと呼ばれていますが、地球にとっては心外なこと。原因はすべて「人間ども」にあると、怒っているのです。日本のエネルギー問題を考えるとき、領土を中国やロシア、「イスラム国」に侵略されるのではなく、地球温暖化による海面上昇によって国土を奪われていく国がいくつもあることを忘れてはいけません。

さらに、樹林、森林、草原の喪失など、人間の犯した罪に対して、地球の怒りはさらに爆発していくでしょう。

 

たとえば、単純に「原発ゼロ」などと叫ぶ前に、まず、世界規模でエネルギー問題を考えるべきなのです。もしかすると、「反原発」運動は将来、日本に致命的な結果をもたらすかもしれません。安定供給でき、しかも安価で環境への影響が少ないエネルギー源が確保できるまでは、原発を止めるという愚をおかしてはなりません。

 

ところで、日本には、平和憲法という情緒的なニックネームの憲法があります。

情緒的な名称ゆえに、日本人は「平和憲法」が大好きです。

大好きだから、いつまでも抱きしめて離したくないのだと思います。子どもにとっての、ぬいぐるみのような存在でしょうか。

 

中国にいかれている人をパンダ・ハガー(パンダを抱く人)といいますが(逆の人はドラゴン・スレイヤー=龍をやっつける人)、それにならって、頭の中が幼稚園の憲法死守派を「憲法だっこちゃん」と呼んでみてはどうでしょうか。かわいいでしょ? 

 

そして、平和憲法を抱きたがるのは、日本が言霊(ことだま)信仰の国だからかもしれません。

言霊信仰とは、ご存じのように言葉には霊魂が宿っていると信じることです。戦争のさなかでさえ「退却」では縁起が悪いから「転進」と言い、同じように、戦争に負けたにもかかわらず「敗戦」を「終戦」と言い替えるたぐいのマイナスイメージを持つ言葉を「忌み言葉」だとして使わないことだとも言えます。「する」はお金を「する」に通じるから、スルメを「アタリメ」、すり鉢を「あたりばち」などという例がよく上げられます。

 

日本国憲法は戦争の放棄、軍隊を持たないことが最大の特徴だとするなら、平和憲法ではなく、戦争放棄憲法と呼んだほうが、より適切だと思います。しかし、戦争という言葉が入っているだけで、戦争が起こるのではないかと恐れるのが言霊の国です。

ですから、安保法制を「戦争法制」などと言っていると、本当に戦争が起こってしまうかもしれません。自民党のいう「平和安全法制」にしておけばよかったのです。

あーあ、「民共党?」は失敗しちゃいましたね。

 

民共といえば、参院選前に、日本の医療制度を調査するため来日したジョンズ・ホプキンス大学教授(アメリカ人)が、新聞に「民共」と書いてあるのを見て(日本語に堪能です)、「民共って言葉、初めて見たけど、なに?」と質問してきました。

「民進党と共産党が参院選で協力することを決めたので、マスコミがつくった造語だ」と説明すると、一言「クレージー!」。

 

 こういう共闘は民主主義国家では、ありえないということでしょう。

ホントに困った人たちです。この民共の元凶・岡田負けやは、こともあろうか都知事選の投票日前に、「民進党の代表選には出ない」と表明しました。無責任にもほどがあります。これで、岡田を支持していた蓮舫が代表にでもなったら、さらに最悪の民進党になると思います。親日派が多い台湾人なのに、水着でキャンペンガールをしていたこの先生は、日本が大嫌いなのです。

その典型的例が例の「世界一になる理由があるんでしょうか。二位じゃダメなんでしょうか」発言。科学者からは猛反発を食らい、立花隆からは「野蛮人」と言われましたね。

代表をめざす前に、金美齢大先生の爪の垢でも煎じて飲みなさい。もっとも、金美齢は垢すら蓮舫には上げないでしょう。

 

共産党などが情緒的に訴えてきた「平和憲法を守っていれば、平和な人生が送れる」。

そう夢見ながら、日本人は長い間、安心して眠ってきました。

しかし、これまで私たちが享受してきた「平和」は、憲法の「おかげ」などでは決してありません。日本の平和憲法が本当に平和を築く力をもっているのなら、世界中で絶え間なく戦争が起こるわけはありません。

 

現在の世界情勢を見ても、ただただ、日本だけが平和なのですから、すべては、アメリカの「おかげ」だということを素直に認めるべきでしょう。アメリカではドナルド・トランプが日本の安全保障「ただ乗り」を批判していました。日本もいいかげんに、「自分の国は自分が守る」という意志を持たないと、アメリカに見放された場合、「お手上げ」です。

 

1年前、ほとんどの日本の学者、評論家、ジャーナリストは「トランプを支持するアメリカ国民はほとんどいない。ごく一部の金持ちだけだ」と断言していました。

これが、まったく「的外れ」だったのは、今のアメリカがますます「内向き」になっていることを、見抜けなかったからです。

平和安全法制の議論のとき、アメリカの戦争に巻き込まれると騒いでいた愚か者たちも、「同じ穴の無知な」人というべきでしょう。

 

戦後、日本が平和を保つことができた最初の「ラッキー」は、連合国(戦勝国)の共同統治ではなく、実質的にアメリカ合衆国単独の占領だったことです。

 

若い人はよく知らないと思いますが、日本が戦争に負けたあと、ソ連(ロシア)は「北海道を占領させろ」、「せめて北海道の半分をよこせ」とアメリカに迫っています。それをアメリカが断固はねのけてくれたからこそ、北海道は日本の領土のままだったのです。

 

ソ連の要求をアメリカが飲んでいたら、日本はドイツの東西や朝鮮半島の南北と同様、共産主義国家と民主主義国家に分断されていたはずです。

当時、日本にうようよいた共産主義者たちは当然、北海道に「天国」を求めて移住したでしょう。ただ、結果は、「なんてバカな幻想を見ていたのか」と「脱北者」が続出していたと思います。

 

もっとも、日本は領土を分断されなかった代わりに、憲法という名の国民を分断する、とても困った贈り物をいただいてしまったのです。

お酒は1滴も飲めず、スイーツ大好きなお父さんと甘味は苦手、でも、お酒ならなんでもいけるお母さんのところに、ウイスキーボンボンが贈られてきたようなものです(あまりに比喩がひどすぎますが)。

 

日本は戦後、アメリカの「おかげで」民主的な憲法をマッカーサーから賜り、アメリカの援助の「おかげで」奇跡の経済復興を成し遂げ、アメリカの軍事力の「おかげで」平和を維持してきました。伊勢の「おかげ横丁」ならぬアメリカの「おかげ横丁」で暮らしてきたようなものです。

 

それなのに、「アメリカのいいなりになるな」、「アメリカ軍は日本からから出ていけ」とはあまりに恩知らず。日本人の美徳「恩返し」の精神はどこにいったのでしょうか。

もっとも、こう言っている人の大半は、アメリカよりソ連(ロシア)や中国のほうが民主的だと思っていたのですから、おそろしい妄想です。

 

とはいえ(実は、ここからが大切です)、アメリカの「おかげ」で、日本がすっかりアメリカの属国に堕してしまったのは悲しくも情けない現実です。そろそろアメリカの「おかげ横丁」から引っ越さなければ、日本の独立はいつまでたっても果たせません。

 

日本では、詩集『草の葉』で知られる詩人ウォールト・ホイットマンが祖国アメリカに捧げた詩があります。

 

 アメリカ合衆国に、すべての州に、すべての都市に向って私は告げる──

「抵抗は強く、服従は少なく」と。

 ひとたび無条件に服従すれば、すぐに奴隷になってしまう、

 ひとたび奴隷になれば、この地上のどんな国家も、州も、都市も、その自由を

ふたたび取り戻すことは永遠にできないのである。(「アメリカ合衆国に」佐渡谷重信訳)

 

まるで、敗戦直後の日本に対し、注意を促しているようにも響きます。ホイットマンは「草の葉」の原稿に死ぬまで手を入れつづけ、改訂版を何度も出していたそうです。

日本の憲法もこれぐらいの熱心さで、より良いものへ、さらにより良いものへと、「改正」していきたいものですね。