平敷屋タキノーから望むホワイトビーチ
今日の午後は仕事で
勝連半島へ来て
高台の平敷屋タキノーへ
平敷屋は昔の村名で
タキノーは池を作った時に出た
土で盛った高台のことで
平敷屋地域では結構
大事にされている場所
1900年代後半まで
平敷屋地域で亡くなった故人を
出棺の際にタキノー前を通り
平敷屋村とのお別れを
させたと言われています
現在もやっているかはわかりません~_~;
この地域には川も無く
湧水が数ヶ所しかない場所で
水量がかなり少ない村の為
毎日、遠い所まで行って村までの
水運びはかなり重労働だったようで
平敷屋朝敏(ヘシキヤチョウビン)が
池を作った事に村人はとても喜んで
村のシンボルになった事は
間違いありません
ちなみに
初めから水の近くに家を作れば
水運びもしなくて済むし楽で良いんじゃね?
って思ったけど
琉球王府の決まりで琉球的風水を基準に
住宅街の場所が決まってました。
許可なく人の移動する事も禁じられています。
朝敏は王府役人で
上級役人は
領地の地名と名で呼ばれます。
だから、平敷屋朝敏は
平敷屋村の朝敏となり
領地が変わるたびに名字も変わります
関係ないけど
レオナルド・ダ・ビンチも
ビンチ村のレオナルド
という事らしいです
何で読んだか忘れた
琉球王府的決まりごとも
いつかまとめてみようかな?