title: 9:03(くじさんぷん)
◇登場人物
ゆうと (神奈川)
なつみ (けむ)
たつや (神奈川2役)
(場所:なつみのマンション)
なつみ:……ゆうと?そこにいるの?
ゆうと:ああ、帰ってるよ
なつみ:びっくりした、本屋へ行ったきりちっとも戻らないから心配したよ…夜風に当たってると風邪ひくよ
ゆうと:ああ、もう入るよ(ベランダから部屋に入る)
なつみ:で、本は見つかった?それを読めば人生の意味がわかるって言う…
ゆうと:(クスッと笑いながら)なかった!
なつみ:(同じく笑って)あたり前だよ、人生の意味なんかそんなに簡単に見つかんないよ…あ、なんか飲む?甘いココアがいいね、てか、ゆうとそれしか飲まないもんね
ゆうと:………ありがとう(恐縮するように)
なつみ:(戸棚を開け)あれ?おかしいな…ココアがない…買い置きしといたのに…どうしちゃったんだろ
ゆうと:買うの忘れちゃったんじゃない?
なつみは忘れん坊だから
なつみ:(すねて)そんなことないよ、失礼ね、忘れん坊じゃないよ
ゆうと:いやいやいや(笑)
僕の実家に行くたびに道を忘れるのは誰でしょう?
なつみ:え、…それは…いや、そりゃ、あの時は、忘れかけたけど、ちゃんと思い出してたどり着いたじゃない
ゆうと:僕が教えたんじゃないか、隣で、こっちだよって
なつみ:え…そうだったけ?あの時は確か私1人であなたの実家に向かっていたんじゃなかったっけ?
ゆうと:いいや、一緒だったよ
なつみ:そうだったっけ……
ゆうと:ほら、やっぱり忘れん坊
なつみ:忘れん坊じゃないよ、だってあの日のことは忘れない…
ゆうと:どの日?
なつみ:ゆうとが初めてここに来た日
ゆうと:…ああ…あの日か
なつみ:うん、あの日、メールを送ってもなかなか返ってこなくて…やっと返ってきたと思ったら…ゆうとは一言、「9:03に電話する」って。ずいぶん細かい時刻だなって思ったの9:03って。…時計を見ながら待った…でも、実際電話がかかってきたのは9:05。
ゆうと:その2分の遅れはなんだったかわかる?
なつみ:駅の階段を下りて、改札を出るまでの時間。
ゆうと:正解。駅を出てすぐ電話をかけたんだ。一刻も早くなつみの声が聞きたくて。
なつみ:ゆうとの足音が聞こえて、呼吸が弾んでたね(思い出すように)…
ゆうと:そう、歩きながら電話したからさ
なつみ:そして9:10、電話の向こうのゆうとの足音が止まった…そして呼び鈴が鳴って、ドアを開けるとあなたが立っていたの…誕生日の花束を持って
ゆうと:そう、駅からここまで、歩いてちょうど7分かかるんだ
なつみ:そのときやっと気づいた…9:03は電車が駅に着く時刻だって…(懐かしそうに微笑む)
ゆうと:懐かしいね…
なつみ:そうだね、あれは…何年前だっけ…ちがう…少し前だよね…あれ、おかしいな…私、なんだか混乱してる……
ゆうと:……なつみ、その花は?
なつみ:ああ、これは…誰かが持ってきたの…誰だったかな…ああ、そうだ、たつや君だ。毎月一度、花をくれるの…どうしてだろう…わけを聞いたけど…なんだったかな
ゆうと:ははは、やっぱり忘れん坊だな………きれいなかすみ草だ。…たつやは入社の時から僕が面倒見てきたんだけど、すっかりたくましくなった。あいつはいい奴だよ……
なつみ:うん、本当ね……。
ゆうと:なつみを見るたつやの目…
なつみ:なあに?
ゆうと:たつやはいつもなつみを見てる
なつみ:やだ、変なこと言わないで。
ゆうと:たつやだったら、なつみを不安にさせたりしない。なつみを守れるのは僕じゃなくてたつやだ
なつみ:ゆうと、怒るよ。私にはゆうとしかいないよ
ゆうと:僕は…気まぐれだから…連絡もせず出かけたりして
なつみ:そんなのわかってるよ。いいよ、それがゆうとだもん。何年付き合ってると思ってるの?……あれ、何年だっけ?
ゆうと:………なつみ
なつみ:……なあに?
ゆうと:行かなきゃ
なつみ:え?どこへ?
ゆうと:まだ見つかってないから、「僕の人生の意味」。探しに行かなきゃ。
なつみ:え?本を探しに行くの?もう本屋閉まっちゃったよ?今日はもうどこにも行かないで、ここにいて。こんな暗い夜に出かけるなんて、危ないよ。
ゆうと:…ごめん…もうここにいられないんだ…
なつみ:どうゆうこと?
ゆうと:もう会えない
なつみ:……何で?
ゆうと:ほんとにごめん
なつみ:…お別れなの?
ゆうと:…うん
なつみ:どうして?私のこと嫌いになった?…他に好きな人ができた?
ゆうと:そんなんじゃない
なつみ:…じゃどうして?私、ゆうとと一緒にいたい。離れたくない。ずっといっしょにいよ?
ゆうと:なつみは今日が何の日かわかってる?
なつみ:今日?
ゆうと:今日は5月20日だろ
なつみ:うん
ゆうと:僕の命日じゃないか
なつみ:……命日?何言ってるの?
ゆうと:よく思い出して。僕は6年前の今日、君と夕食を食べたあと、一人で本屋に出かけた。そして信号無視の車にはねられて死んだんだ。
なつみ:冗談やめて…ゆうとおかしいよ
ゆうと:冗談じゃない
なつみ:だってゆうとここにいるもん!死んでなんかないもん!
ゆうと:ああ、いるよ。ずっとなつみのそばにいた。
なつみ:だったら死んだなんて嘘だよね?
ゆうと:嘘じゃない。死んだんだ。思い出して。今は西暦何年?
なつみ:2011年よ
ゆうと:…そこのカレンダーを見て。何年って書いてある?
なつみ:…2017年?……うそ…
ゆうと:僕が死んでからの6年間の記憶がいま一時的に失われているんだよ
なつみ:…ゆうと……やめて…そんなこと信じない
ゆうと:僕が死んでからなつみはずっと泣いていた。僕はそばで見ていたのに何もできなかった。なつみには僕が見えないから
なつみ:やめて、やめて、そんなの嘘だよ…
ゆうと:なつみに触れることも抱きしめることもできなかった。そのかわりずっと隣を歩いていた。君が道を間違えそうな時には、教えてあげた。覚えてる?僕の実家に行く途中君が迷った時のこと…
なつみ:…思い出せない
ゆうと:夏だったよね?
なつみ:…忘れた
ゆうと:君の肩に何かが触った
なつみ:肩…?
ゆうと:そう。触ったのは何?
なつみ:手…手が触れた…ゆうとの手?
ゆうと:そうだよ、それから?
なつみ:ゆうとの手を感じて…振り向いたらその先に見覚えのある景色があって、ゆうとの実家に行く道だった。
ゆうと:思い出せたね
なつみ:…うん
ゆうと:なつみがその時着ていた服は何色だった?
なつみ:黒
ゆうと:なぜ黒の服を着ていたの?
なつみ:法事だったの
ゆうと:誰の法事?
なつみ:…ゆうとの
ゆうと:そう、僕の?
なつみ:…四十九日
ゆうと:正解
なつみ:ゆうと…
ゆうと:ずっと隣でなつみを見ていたんだ。でもそれも今日までなんだ。僕の姿がなつみに見えるのは今日だけ。7年目の命日を過ぎたらもっと遠くに行かなきゃいけないんだ。
なつみ:遠く?どこに?
ゆうと:僕にもわからないんだ
なつみ:ゆうと、行かないで…ごめんね、今までそばにいてくれたのに気づけなくて。私、泣いてばかりだった、もう泣かない、だから、そばにいて…おねがい
ゆうと:ほんとにごめん。決まりなんだ。
なつみ:私ひとりじゃ歩けない、ゆうとが隣を歩いてくれなかったら私…
ゆうと:…悲しませてばかりでごめん。6年間、考えていたんだ…僕が生きた意味、あったのかな。君のそばにいた意味、あったのかな
なつみ:あったに決まってるじゃん!ゆうとに会えてよかった、一緒に暮らせてよかった、だからこれからも、一緒にいて
ゆうと:よかった…なつみ、ありがとう。でも行かなくちゃ。大丈夫、ちゃんと僕が連れてくる。ほら、いま9:03だ。7分経ったら来るから。これからはそいつがなつみの隣を歩いてくれる。
なつみ:待って!
ゆうと:なつみ、さよなら
なつみ:ゆうと?どこ?…ゆうと?…どこなの?いない…いない…どこにもいない…
たつや:(ドアを叩きながら)なつみさん?なつみさん?いるんですか?大丈夫ですか?なつみさん?!
なつみ:(はっと我に返り、涙をぬぐって)…はい!(ドアを開ける)あ、たつや君…
たつや:ああびっくりしましたよー…よかったあ。あ、今日先輩の命日なんで花を持って来たんですけど、呼んでも返事ないから…
なつみ:ありがとう、ごめん。私、夢を見ていたのかな…。
たつや:いやこっちこそすみません。残業でこんなに遅くなっちまって…
なつみ:ううんだいじょうぶ。あ…本当だ…9:10…。時間通りね…あ!
たつや:どうしました?
なつみ:今、肩に何か触った気がした
たつや:なんですか?
なつみ:手よ。こっちだよって、私に教えてくれてる
たつや:なんのことですか?
なつみ:ううん、なんでもない…お花、かざろっか
終わり
◇背景説明
ゆうととなつみは会社の同期。入社後まもなく交際し、一緒に住むようになる。同棲を始めて半年後、ゆうと(当時24歳)は夕食後に本屋にでかけ信号無視の車にはねられ亡くなる。6年が経過し、恋人であるなつみ(現在30歳)はゆうとと暮らしたマンションに今も独りで暮している。たつや(現在24歳)は二人が勤める会社の後輩。