出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山のことで、神仏集合の権現を祀る修験道の山と言われているそうですが、
実は、鳥海山、月山、葉山だったそうです。
明治の廃仏棄釈で、羽黒山がその総本山とされたそうですが、標高400メートル代の山なので、修験道の修行には低すぎます。
そういう歴史の裏や隠された事実を知るツアーだったのです。
聖徳太子コードで初めて知った蜂子皇子が逃亡した先が山形で、その証拠がたくさん残ってました。
中山さんはその宝のありかを地元民から聴き出し突き止めましたよ。まぁビックリでした。
初日はそんな場所をいくつか巡りましたし、羽黒山のお寺にも行きましたが、
青や緑に輝く丸池様や

最上川にそそぐ白糸の滝なども見ました。120mもの高さがありますが、対岸のドライブインで食事しながら見ることができます。
できれば真下まで行きたいところですが、そんな時間はありませんでした。

縄文の大杉という本土では一番太いのではないかと言われる杉を見て初日は終了。

右端にいるのは中山さんです。
二日目は湯殿山に行きました。
大日坊瀧水寺は、弘法大師空海が最初に開いたお寺で、古代山岳信仰の聖地“湯殿山の礼拝所として建てられました。ちなみに高野山は最後に開いたところのようです。
湯殿山のご宝前のことは人に話してはならない、語らば聞くな、聞かば語るなという厳しい戒めがあるほどベールに包まれた秘境。現在も写真撮影禁止、参拝は土足厳禁です。
どちらにも行きましたが、一見の価値のある場所でした。
湯殿山神社は非常に変わった参拝の仕方とご神体でした。温泉もありましたが、水銀が含まれているとのこと。
飲めるようになっているそうですが、天然水や温泉水だからってなんでも飲むものではない、という唐津所長の話を思い出しました。
湯殿山に入った空海は、そこで瑜伽(ユガ)という人達に術をかけましたが、全く効果なく、3年そこで過ごしてなんとか寺を開く許可を得たそうです。
ヨガの神髄を究めてまるで神のような心と能力を持つヒマラヤ聖者の源流は日本にあり、空海は中国からの密教だけでなく、ユガにも教えをこいてあの超人的な能力を身につけたのではないかと思いました。
日本にはサンカという人達もいて、まるでアナスタシアのような能力者だという話もありますし、レムリア縄文の流れを汲む人達ではないかと思ってましたが、ユガは知らなかったです。
ちなみに、大日坊瀧水寺の元々の寺号は教王瑜伽寺で、 後に瀧水寺金剛院と改められたとのこと。
ユガ寺だったんです。
ヨガは明治に中村天風がインドで修行して大正時代に日本に伝えられたものですが、
実はずっと前からあったのかもしれません。
ヨガの源流は日本のユガで密かに大陸に伝えられたか、元々レムリア縄文の末裔がどちらにもいたのか、そのどちらかではないでしょうか。
実は大和朝廷もこの山形あたりの勢力には歯が立たなかったという話がありますが、古代の叡智が残っていたからでしょう。
だから、命の危険を察知した聖徳太子は蜂子皇子をそちらに向かわせたのでしょう。そこなら手を出せないからと。
大日坊瀧水寺は昔は全国から参拝者が集まるところで、京都の三十三間堂をしのぐ四十四間堂という大きな建物もあったそうですが、廃仏棄釈で焼かれ、今は仮住まいとなっています。
ここには日本最古の門や、

脳や内臓も残ったままの即身成仏も拝観できます。
普通のミイラでは脳や内臓が残っていると腐るので抜くそうですし、肌も黒くなるそうですが、
こちらの即身成仏は、木の根等の菜食と漆を摂る(塗るのではなく食べるのです)ことで、ただ乾燥しただけの姿になっていました。
そのうち国宝になるであろう日本最古の仏像もありましたね。
弁慶の勧進帳の場所が今石川になっているそうですが、東北に行くのにわざわざ石川に寄るのは不自然です。
これは歴史学者が間違いを認めたそうで、実は山形だったんですが、その訂正をする前に亡くなったそうです。
細木和子のヤバイ話なども住職は知っていましたね。
最後は白狐を祀るお寺に行きましたが、赤い鳥居の稲荷神社になっていました。
いわゆる神仏習合ですが、これは昔からではなく、明治の廃仏毀釈を逃れるための方策だったそうです。
白狐の剥製と、でっかいシンギングボウルとでっかいクリスタルボウルもありました。拘置所のお風呂くらいはあったかな(笑)
ツアーで一泊した夜、宴会もありましたが、密かに玉石混交のケイ素水についての話や打ち合わせもできましたので、そういった意味でも有意義な旅でした。
なかなか厳しい現状ですが、いい世の中になることを願っています。
ここに具体的なことは書けませんが、中山さんや塾生の一部の方は、私と同じ意見だったので、やっぱりかと思いました。
有名人だとか凄い肩書きとかあったとしても、誰の話であっても鵜呑みにせず、自分で調べたりハートで感じたりして、自分で判断するのが大事です。
依存や盲信という言葉は辞書から外しましょう。
明治の廃仏棄釈で、羽黒山がその総本山とされたそうですが、標高400メートル代の山なので、修験道の修行には低すぎます。
そういう歴史の裏や隠された事実を知るツアーだったのです。
聖徳太子コードで初めて知った蜂子皇子が逃亡した先が山形で、その証拠がたくさん残ってました。
中山さんはその宝のありかを地元民から聴き出し突き止めましたよ。まぁビックリでした。
初日はそんな場所をいくつか巡りましたし、羽黒山のお寺にも行きましたが、
青や緑に輝く丸池様や

最上川にそそぐ白糸の滝なども見ました。120mもの高さがありますが、対岸のドライブインで食事しながら見ることができます。
できれば真下まで行きたいところですが、そんな時間はありませんでした。

縄文の大杉という本土では一番太いのではないかと言われる杉を見て初日は終了。

右端にいるのは中山さんです。
二日目は湯殿山に行きました。
大日坊瀧水寺は、弘法大師空海が最初に開いたお寺で、古代山岳信仰の聖地“湯殿山の礼拝所として建てられました。ちなみに高野山は最後に開いたところのようです。
湯殿山のご宝前のことは人に話してはならない、語らば聞くな、聞かば語るなという厳しい戒めがあるほどベールに包まれた秘境。現在も写真撮影禁止、参拝は土足厳禁です。
どちらにも行きましたが、一見の価値のある場所でした。
湯殿山神社は非常に変わった参拝の仕方とご神体でした。温泉もありましたが、水銀が含まれているとのこと。
飲めるようになっているそうですが、天然水や温泉水だからってなんでも飲むものではない、という唐津所長の話を思い出しました。
湯殿山に入った空海は、そこで瑜伽(ユガ)という人達に術をかけましたが、全く効果なく、3年そこで過ごしてなんとか寺を開く許可を得たそうです。
ヨガの神髄を究めてまるで神のような心と能力を持つヒマラヤ聖者の源流は日本にあり、空海は中国からの密教だけでなく、ユガにも教えをこいてあの超人的な能力を身につけたのではないかと思いました。
日本にはサンカという人達もいて、まるでアナスタシアのような能力者だという話もありますし、レムリア縄文の流れを汲む人達ではないかと思ってましたが、ユガは知らなかったです。
ちなみに、大日坊瀧水寺の元々の寺号は教王瑜伽寺で、 後に瀧水寺金剛院と改められたとのこと。
ユガ寺だったんです。
ヨガは明治に中村天風がインドで修行して大正時代に日本に伝えられたものですが、
実はずっと前からあったのかもしれません。
ヨガの源流は日本のユガで密かに大陸に伝えられたか、元々レムリア縄文の末裔がどちらにもいたのか、そのどちらかではないでしょうか。
実は大和朝廷もこの山形あたりの勢力には歯が立たなかったという話がありますが、古代の叡智が残っていたからでしょう。
だから、命の危険を察知した聖徳太子は蜂子皇子をそちらに向かわせたのでしょう。そこなら手を出せないからと。
大日坊瀧水寺は昔は全国から参拝者が集まるところで、京都の三十三間堂をしのぐ四十四間堂という大きな建物もあったそうですが、廃仏棄釈で焼かれ、今は仮住まいとなっています。
ここには日本最古の門や、

脳や内臓も残ったままの即身成仏も拝観できます。
普通のミイラでは脳や内臓が残っていると腐るので抜くそうですし、肌も黒くなるそうですが、
こちらの即身成仏は、木の根等の菜食と漆を摂る(塗るのではなく食べるのです)ことで、ただ乾燥しただけの姿になっていました。
そのうち国宝になるであろう日本最古の仏像もありましたね。
弁慶の勧進帳の場所が今石川になっているそうですが、東北に行くのにわざわざ石川に寄るのは不自然です。
これは歴史学者が間違いを認めたそうで、実は山形だったんですが、その訂正をする前に亡くなったそうです。
細木和子のヤバイ話なども住職は知っていましたね。
最後は白狐を祀るお寺に行きましたが、赤い鳥居の稲荷神社になっていました。
いわゆる神仏習合ですが、これは昔からではなく、明治の廃仏毀釈を逃れるための方策だったそうです。
白狐の剥製と、でっかいシンギングボウルとでっかいクリスタルボウルもありました。拘置所のお風呂くらいはあったかな(笑)
ツアーで一泊した夜、宴会もありましたが、密かに玉石混交のケイ素水についての話や打ち合わせもできましたので、そういった意味でも有意義な旅でした。
なかなか厳しい現状ですが、いい世の中になることを願っています。
ここに具体的なことは書けませんが、中山さんや塾生の一部の方は、私と同じ意見だったので、やっぱりかと思いました。
有名人だとか凄い肩書きとかあったとしても、誰の話であっても鵜呑みにせず、自分で調べたりハートで感じたりして、自分で判断するのが大事です。
依存や盲信という言葉は辞書から外しましょう。