(前回からの続き)

大河ドラマ「西郷どん」では、奥さんのイトが幼なじみのように描かれていますが、
西郷さんとイトさんの子孫の隆夫さんと、イトさんの弟の子孫若松さんと、徳田秀子さんとの対談本
「西郷の妻」~西郷隆盛と妻イトの生涯~
によると、実際は16歳年下ですから、それはないでしょう。

ただ、大久保が京で妾を囲っていたことは事実のようです。

ちなみに、維新後、明治政府の重要ポストに就いた人達は、みな財をなし、巨大な屋敷を手に入れ、別荘を持ち、妾を囲っていましたが、
西郷さんは彼らを「泥棒」と呼んでいたそうです。政治で大した成果も上げていないのに、と。

逆に西郷さんは、東京で与えられた家は広すぎると、他の人と折半し、給料も必要な分しか受け取らず、残りの金は必要な人にあげたり、復興事業に寄付したりしてましたし、叙勲された時も辞退しています。
金や名誉のために動いた人ではなかったのです。

教科書は西郷さんが征韓論を主張していた、と教えますが、それを掲げてたのは板垣退助です。
西郷さんはまず交渉だと単身で乗り込むことを提案し、決定していましたが、西洋から帰ってきた大久保や岩倉の反対と陰謀(別の本で読みました)にあってひっくり返され、下野しました。

西南戦争も西郷さんが起こしたわけではありません。
元々大久保のやり方を問いただすために上京する、ときちんと連絡を入れて鹿児島を出たのです。
軍隊を引き連れたのにはいくつか理由があり、西郷暗殺計画があったため護衛が必要だったのと、下手に軍隊を分けて鹿児島に残すと地元が攻撃された時かえって危ないという考えと、武器弾薬を政府に密かに盗まれて西郷暗殺の密偵まで送られたことに対する若者の怒りを押さえることが不可能な域にまで達していたからです。
もちろん、いざとなったら戦争をも辞さない覚悟だというところを見せつけるためでもあったと思いますが、
最初の長州征伐の際、武器も持たずに単身乗り込んで話し合いで戦争を回避させたり、江戸城無血開城させたように、西郷さんは無駄な血をできるだけ流させたくない、という考えの持ち主でしたから、自ら戦争をしかけるわけないのです。

それなのに、反乱軍という汚名をきせられ、熊本で政府軍から攻撃を受け、戦争は始まりました。
薩摩軍が勝てなかったのは、新しい銃(1分間に10発発射可能)は全部盗まれて、旧式の銃(1分間に1発しか撃てない)しかなかったためですが、部下に戦いを全部任せていたということもありました。

大久保と西郷は薩摩の英雄のように思っている人も多いかもしれませんが、大久保が暗殺された時、鹿児島の連中は赤飯炊いてお祝いしたそうです。これは若松さんから聴いた話です。

身分の低い人にまで丁寧に対応し、気配りを忘れない西郷さんは誰にでも好かれていましたが、権力を手にして西郷さんを死に追いやった大久保は地元で全く人気がないのです。
実際大久保利通の銅像は、私が中学生の頃まではなかったんです。没後100年でようやく建ちましたが。
維新までは盟友だったんですが、金と権力を握って変わってしまった大久保と違い、下野した西郷さんの人望はすさまじく、元薩摩の有力な人物達を含む軍人や文官600人は、後を追うように鹿児島へ帰ってしまいました。
西郷さんは陸軍大将の身分のままだったので、それが大久保には脅威だったのでしょう。

この本にはそれ以外にもいろんな西郷さんやイトさんにまつわる話が載っていますが、マル秘話は直接伝えると若松さんが書いてますので、薩摩満喫ツアーで行くK10カフェでそれらの話を聴かせていただこうと思います。

ちなみに、有名なエピソードの謎については書かれていました。
イトさんが上野の西郷さんの銅像の除幕式に出た時、うちの人はこんな人じゃない、という意味の方言を発したのですが、それは顔が違うとかではなく、浴衣の着流し姿で表を歩く人じゃない、という意味だったのです。
だから、鹿児島の西郷さんの銅像は軍服姿なんでしょう。

最後に隆夫さんがお父さんから聞いたイトさんの言葉を紹介します。

「愛することは耐えること。愛することは許すこと。愛することは愛されることへの終わりなき奉仕なのです」

我慢しすぎはよくありませんが、ある程度は耐えることも必要ですし、許すことは大事です。
耐えるとは、受け入れること、と言い換えてもいいと思いますが、まるでマリア様の言葉のようです。
ちなみに、西郷さんは聖書も読んでいたそうです。隆夫さんによると。



さて、薩摩満喫ツアー二日目の午後は、西郷さんの生誕の地や、西郷さんを重用した盟主斉彬候が作った施設や別邸、西郷さんの終焉の地や、祀られている神社などに行き、最後は子孫の経営するK10カフェに行き、夜は奄美名物鶏飯(けいはん)を食べて、ホテルチェックインしたあと、希望者募って維新の立役者の子孫が集まるという幕末酒場「南州庵」に行こうと思っています。


その日の朝は指宿にいるので、干潮時だけ陸続きになる知林ヶ島を眺めたり、(希望があれば)朝陽を浴びながら砂蒸し温泉入ったり、九州一の池田湖で大ウナギ見たり、別天地の唐船峡でお昼を食べたあと、鹿児島市へ北上します。


初日は日本の滝百選の龍門滝、日本一の大楠を観て、鹿児島ラーメンの王道「味のくろいわ」で昼食を摂り、知覧の武家屋敷を通って知覧特攻平和記念会館に行き、日本初のハーブ園に行ったりして、開聞岳を眺めながら浜辺で夕陽を浴びながらの砂蒸し温泉体験をします。

初日と二日目は天候やスケジュールによって、指宿近郊の目的地は日程が入れ替わるかもしれません。
余裕があれば、keiyuugoさんお勧めのパワースポットに案内してもらうつもりです。