スピリチュアルな学びや浄化や瞑想が進み、クリアになっていくのはいいことですが、それに伴い、いろいろと感じやすくなったりします。

それについて、こんなたとえ話を聞きました。

純水ではないけどわりと綺麗な水の入ったコップと、
泥水が入ったコップがあるとします。

そこへ一滴の泥水を垂らした時、どっちがその存在を感じやすいでしょうか。

当然綺麗な水のコップの方です。異質なものが入ってくるんですから。

これは他人のネガティブな思いを感じやすくなっている状態とも言えます。

中には苦しくなる方もいるでしょう。


この時どういう思い、態度、行動を取るかが、非常に重要です。


それを嫌だと意識すると、ますます嫌な状況が強化されます。

「宇宙は観察者がいるから存在する」

と量子物理学で言われていますが、
スピリチュアル的には、自分の体験している宇宙は自分の思いや認識が作っているということになります。

「肩こり」という言葉がない国には肩こりに困る人はいません。

これが肩こりだよ、と教えて揉んで、その人が認識すると、肩こりが気になり出します。

「平和集会には行くけど、戦争反対集会にはいかない」

とマザーテレサが言ったのは、どこにフォーカスするのが大事なのかわかっていたからです。一見同じようでも、意識するものは正反対ですからね。

戦争反対集会は、戦争にエネルギーを注ぐことになるので、戦争はなかなか終わりません。


だから、他人のネガティブな思いが自然と伝わってくるような状況になった時、
「嫌だ」と認識してその思いを持ち続けると、それが自分の宇宙に反映します。

具体的には、相手の状態にエネルギーを与え、ますます嫌な状態になってしまうのです。

そうなると、その人を排除しようとしたり、批判し始めたりします。

それは今までの分離の時代に散々やっててきたことです。

でも究極的には

「全ては一つ」

です。自他の区別があるのは仮の世界で、わざわざそれを体験に来ているだけです。

目と耳は姿形も役割も全く違いますが、同じ顔についてるならどちらも自分です。排除するのはおかしいでしょう。

ですから、いったん嫌なことを感じたとしても、そこにそれ以上フォーカスしないことです。

視線や思いを向けなければ、自然にそこにエネルギーが注がれなくなるので、気にならなくなります。


例えば、瞑想中に雑念がわくと、「雑念が湧いた、ダメだ、雑念を止めなければ」と思うと逆に雑念の連鎖から抜けられなくなります。

だから

「雑念はほっとく」

のです。

雑念がわくのは仕方ないのです。人間ですから。ただ、そのあとそこにフォーカスせず、ほっておけば、いつの間にか流れていきます。

ちなみに、我々の瞑想会では、そんな時はシンギングボウルの音に集中しましょう、とお伝えしています。
人間ななかか同時に複数のことに集中するのは難しいですから。

また、浄化の力が強いので、好転反応として体のどこかがちょっと痛くなったりすることもたまに起きますが、そんな時は

「ありがとう」

の言霊をその部位に送るようにともお伝えしています。

「痛み」にフォーカスせず、浄化作用が起きてることに感謝の気持ちを向け、「ありがとう」と心の中で言うことに集中すると、そのうち抜けていくからです。


ただ、瞑想だけの話をしているわけではありません。

「宇宙はフラクタクル」
「一事が万事」

というように、宇宙も人間も、その動きや形や法則は共通しています。

「ほっとく」というのは人間関係における思いや、様々な問題にもいえることです。

「問題は解決するな」
「あなたがあなたでありさえすれば問題は問題でなくなる」

というのはそういうことでもあります。

問題を問題として捉えず、自分に必要なことが起きていて、乗り越えることでステップアップできるんだと、ポジティブに捉えて楽しめば、自然と解決策が見つかったりします。

でも、自分ではどうしようもない問題もあります。

それなのに、なんとか解決しようとその問題のことばかり考えていると、問題にフォーカスしてエネルギーを与えていることになるので、いつまでも解決しません。

自分が取り組むべきことではないことを無理にやろうとしているからです。

羽がないのに飛ぼうとしているようなものです。

そんな問題はほっとくことです。

自分の本来の心に従って、本当にやりたいこと、今自分ができることにフォーカスして楽しく生きていると、自分の問題じゃなかったことに気づいたり、いつのまにか気にならなくなっているでしょう。


「ありがとう」については、嫌なことやありがたくもないものには言えない、と思うかもしれませんが、

実は自分の中にどこか共通する部分があるから共鳴して起きている出来事なのです。

全ての存在は周波数を発しています。同じ周波数を持っているから共鳴するのです。それが強いか弱いかの違いがあるだけで。

それを気づかせてくれてるのですから、実際ありがたいことなのです。

「目の前に展開する世界は自分の内面の反映」

なので、
嫌だと思わず、自分の中にもそれがあるからだ、と認めてあげると、その周波数の役割は終わります。
すると、共鳴しなくなるので楽になります。

そして、嫌なことにフォーカスせずに感謝していると、自分の周波数が変わるので、

「自分が変わると世界が変わる」

ということが起きます。

実際には相手がいなくなったり、環境が変わったり。

ちなみに、同じ世界にいるようで、人それぞれ微妙に違う世界を体験しています。大元は一つでも仮想現実は無数にあるのです。

もし、嫌な状況が変わっていないなら、まだ自分の中に気づいていないことがあると思った方がいいでしょう。
相手や環境を責めるのではなく。

もちろん、それだけでなく、元々そういう体験をしたくて生まれてきてる場合もありますから、自分を責める必要もありません。

本来の大いなる自分が体験したくて創造した世界なので、

「全て必要なことが起こっている」

と言えるのです。だから、

「全てを受け入れる」

ことができます。

嫌だと思わず、感謝していると、自分の周波数が高まりますから、もうそれほど影響を受けなくなります。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

というように、無我の境地に達すれば、外からの影響を受けないのです。

ただ、「全てを受け入れる」とは、嫌なものを我慢する、ということではありません。危険に無理に近寄ることでもありません。

いつでも自分に必要なことが起きているのですから、全ての存在価値を認める、ということです。

「宇宙は全肯定」

とはそういう意味です。

他人の自由も認めたうえで、嫌なものにはフォーカスせず、自分の本来の心に従って自由に生きる。

それは

「フラット意識」

でもあります。

いいも悪いも凄いもダメもなく、役割の違いがあるだけで価値としては皆同じなのです。


そして、自分の状態がクリアになって周波数やエネルギーがさらに高まると、悪影響を受けないだけでなく、周りにいい影響を与えられるようになります。

どんな人でも全ての周波数を持っているからです。ただどれが強くてどれが弱いかの違いがあるだけで。

どんなに悪人と言われる人でも、子供を愛していたりするように、100%ブラックという人はいません。

逆に100%ホワイトもいません。全ての人が陰陽合わせ持つ存在なのです。


とにかく、大事なのは分岐点です。

嫌な影響を受けた時、分離の世界へ戻るのか、統合の世界へ向かうのかが決まってきます。

これからは統合の時代と言われてますから、以前よりもそちらの方向に行きやすくなっています。

ネガティブなものを見たら、そこにフォーカスせず、自分の好きなこと、やりたいことにフォーカスしていきましょう。


自分が宇宙を創造している、ということは人間は創造主でもあるので、潜在意識まで100%確信していれば、どんなことも可能になります。

イエスやヒマラヤ聖者達がそれを見せてくれています。

「木を植える男」が紛争地帯を歩いても殺されることがなかったのは、彼が人の善意を100%信じていたからです。

「オープンハートで防御しないのが最大の防御」

と言ってましたが、防御しようとすると、防御しなきゃいけない現実が起きてくるということです。

ただ、無理してはいけません。

100%の確信がないままそれをやると大変な目に遭います。

だから、なんでも徐々にやることです。

たとえば、薬をやめたり、断食することで病気が治ったりしますが、なんの準備もなく突然やるのは体がついていけませんので危険です。

少しずつ小さな成功体験を積み重ねていけば、そのうち100%確信を持てるようになります。

私が30年繰り返してきたギックリ腰を克服して、寝込むことも痛めることもなくなり、重いものを持つ恐怖心もなくなったのも、そういうステップを踏んでいます。


だからといって、今回書いたことを私が全部できてるとかって話ではなく、昨日参加した瞑想会でいい話を聞いたので、忘れないため、腑に落ちたものを活用するために書き始めました。

そしたら、今まで学んだことがいくつも浮かんできて、それも書いていたら、自分でもなるほど、と思うことも出てきました。

書きながら反省することもありましたよ。

ちなみに、反省は自分を責めることではなく、気づきを今後に生かすということです。


いろいろ書いたので、中には具体例が少なく、腑に落ちない部分もあるかと思います。

そんな方は質問していただければ、私のわかる範囲でご説明させていただきますが、
全然スルーして構いません。

自分が腑に落ちたものだけ受け入れたらいいと思います。他人の話はあくまでも参考ですからね。