人は誰もが幸せに生きたいと願っています。
そのために一番大事なのは「許すこと」だと思います。
人はつい、自分がやってしまったことについて罪悪感を持ってしまい、自分を責めたり自己卑下したりしますし、
他人のやることに我慢できずに怒りを表したり、その怒りをため込んだりしがちです。
怒りという感情が悪いと言っているのではなく、怒った自分を許し、怒った相手を許せばいいのです。
我慢するのはよくありません。
でもなぜ怒るのか。なぜ許せないのか。
それは、「こうあるべきだ」「こうでなければいけない」という観念があってそれを相手に期待しているからで、そうでないと許せなくなるのです。
自分だったらこうする、自分はこう生きる、という自分軸を持つのは大事ですが、
他人には他人の学びがあるので、他人の自由も尊重しようと思えば許せます。
そして、イエスが「今まで一度も罪を犯したことがない人がこの女に石を投げなさい」と言ったように、人間は間違いを犯す生き物だということを認めれば許せます。
さらに、そんな人間の本質は神と同等の光の存在なので、肉体や性格は仮の姿だということを知れば、外側の幻影に惑わされずに許すことができます。
でも、自分も他人も許さずにいると、心身ともに病気になるか、トラブルを抱えることになります。
国家的にはそれが戦争に発展します。
逆にいうと、お互いに許し合えば、素晴らしい人生と素晴らしい世の中が待っています。
もちろん、自分だけが許し、他人が誰も許さなければ、自分だけが損するように感じるかもしれません。
でも、自分も他人も裁かないと心は軽やかで穏やかです。
全てを許す人は、過去に囚われておらず、今に生きているので覚醒していると思います。
だから、たとえ端からみたら損してるように見えても、心の中は感謝に満ちあふれ幸せを感じていることでしょう。
西郷さんはそんな人だったと思います。(そんな人がなぜ西南戦争をという話は長くなるのでまた今度)
波瀾万丈の人生を生きましたが、それを通してそのような境地にたどり着いたのでしょう。
前にも紹介しましたが、
自分から金時計を盗んだスリを許すどころか、その相手に
「自分の時計に似てるけど、そっちの方がいい。ぜひ売ってくれ」
と言って側近から有り金出させ、それを持たせて解放したりしてます。
「それで足を洗えよ」と最後に一言だけ告げて立ち去ったのです。
そんなことができる人間は今でもそうはいないでしょう。それがあの封建社会の時代であればなおさらです。
私は「許し」ということが今の時代に求められていると思っています。
人間として生まれた以上失敗はつきもので、それは仕方ないことです。
だから、
自分を許し、人を許しましょう。
西郷さんは本来の人間の本質は神と同様の光輝く存在だということを知っていて、
外に起きてる現象や性格などは仮のもので本質ではない、ということをつかんでいたからそれができたのだと思いますが、
それを知っていても、いざ自分の身に災難が降りかかるとなかなか実践できる人はそうはいないでしょう。
でも、人間はここまでなれるんだということを知れば、自分もできると思えるでしょう。同じ人間なんですから。
そういう意識になる人が増え、実践する人が増えれば世の中は変わると思います。
自分とは違っていても他人の自由を許し、責めたり批判したりしなければ、争いは起きないでしょう。
政治や環境など外の世界を変えようとしてもそう簡単には代わりません。
でも、自分の心を変えることで自分の目の前に展開する世界は変わります。
変えるといっても本来の自分になるだけで、他人になろうとするわけではありません。
そういったきっかけや参考になる話がいくつもあるのが、12月9日の西郷さんの講演会ですので、多くの方に聞いていただきたい、と思っています。
ではなぜ西郷さんはあのスリを許せただけでなく、大金を与えたのかをさらに掘り下げてみましょう。
それは一つには執着がないからです。
西郷さんはお金に執着がありませんでした。もらったお金も江戸の修復に使い、必要最低限のお金しか取らなかったのです。
金にも時計にも執着してなかったからこそ、許せたし、与えることができたのでしょう。
二つ目は今に生きていたからです。
スリの達人の過去に囚われず、許して金をあげれば今後は更正できると信じて疑わなかったのです。
三つ目は自分軸で生きていたからです。
常識や「こうでなければいけない」という観念にも縛られていなかったので、自分がいいと思うやり方で対処できたのです。
四つ目は原因は自分にあると思っていたからです。
スリがいるのはそうしないと生きていけない世の中に自分達がしてしまっているからだと、その原因を相手ではなく自分に求めていたから、責めることなどできなかったのでしょう。
五つ目は愛にあふれる人だったからです。
イエスは「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」と言いましたが、西郷さんがやったことはまさにそれです。
「罪を憎んで人を憎まず」
お金がないからスリを働いたのですから、お金が必要なんだと思ったと同時にその人の本質の善なる部分を信じたのです。
殺されてもおかしくないのに、許されて大金を渡されて信じてもらえたら、そんな愛にあふれた大きな心に触れたら、どんな人間も心を入れ替えるでしょう。
実際そのスリは足を洗い、そのお金でまともな仕事をするようになったそうです。
もちろん、この五つは私の勝手な解釈ですが、
西郷さんは非常にスピリチュアルな人で、今の人にも参考になる話が満載だと思っています。
龍馬大好き人間だった私が、4月に講演聴いて、理想の人間だと思ったのが西郷さんです。
だからこそ、ぜひ多くの方に聴いてもらいたいと思い、西郷隆夫さんを鹿児島からお呼びすることにしたのです。
たとえ参加者が少なくて赤字になったとしても、西郷さんの話を聴きにきた人が、来て本当に良かったと思ってくれたらそれだけで十分です。
ケイさんは相当な数の本を読んできた方ですが、最近は本を買うことはなくなっていたのに、西郷さんのひ孫の方の本を立ち読みして感激して購入し、全部読んで号泣したそうです。
。.:*☆ ぼっけもん ☆*:.。
には西郷さんの素晴らしい言葉とケイさんの解説が載っていますので、ぜひお読みください。
そのくらい素晴らしい話が西郷さんにはたくさんあるのですが、その本を書いたひ孫の方は奄美の愛佳那さんの血筋です。
12月9日にお呼びするのは最後の妻イトさんの血筋のひ孫の方ですが、実は孫であるお父さんとひ孫の隆夫さんとの間のエピソードにも凄いものがあるのです。
西郷さんも凄い人でしたが、隆夫さんのお父さんも凄い人でした。親としてここまでできるのか、という凄いエピソードもぜひ聴いて欲しいです。
郷中教育というものも今の時代に必要なことがたくさんありますので、
スピに関係なく全ての人に響く講演内容です。
そんな話を聴いて、全てを手放し、全てを受け入れ、今に生きるようになってどんどん覚醒していきましょう。
そのために一番大事なのは「許すこと」だと思います。
人はつい、自分がやってしまったことについて罪悪感を持ってしまい、自分を責めたり自己卑下したりしますし、
他人のやることに我慢できずに怒りを表したり、その怒りをため込んだりしがちです。
怒りという感情が悪いと言っているのではなく、怒った自分を許し、怒った相手を許せばいいのです。
我慢するのはよくありません。
でもなぜ怒るのか。なぜ許せないのか。
それは、「こうあるべきだ」「こうでなければいけない」という観念があってそれを相手に期待しているからで、そうでないと許せなくなるのです。
自分だったらこうする、自分はこう生きる、という自分軸を持つのは大事ですが、
他人には他人の学びがあるので、他人の自由も尊重しようと思えば許せます。
そして、イエスが「今まで一度も罪を犯したことがない人がこの女に石を投げなさい」と言ったように、人間は間違いを犯す生き物だということを認めれば許せます。
さらに、そんな人間の本質は神と同等の光の存在なので、肉体や性格は仮の姿だということを知れば、外側の幻影に惑わされずに許すことができます。
でも、自分も他人も許さずにいると、心身ともに病気になるか、トラブルを抱えることになります。
国家的にはそれが戦争に発展します。
逆にいうと、お互いに許し合えば、素晴らしい人生と素晴らしい世の中が待っています。
もちろん、自分だけが許し、他人が誰も許さなければ、自分だけが損するように感じるかもしれません。
でも、自分も他人も裁かないと心は軽やかで穏やかです。
全てを許す人は、過去に囚われておらず、今に生きているので覚醒していると思います。
だから、たとえ端からみたら損してるように見えても、心の中は感謝に満ちあふれ幸せを感じていることでしょう。
西郷さんはそんな人だったと思います。(そんな人がなぜ西南戦争をという話は長くなるのでまた今度)
波瀾万丈の人生を生きましたが、それを通してそのような境地にたどり着いたのでしょう。
前にも紹介しましたが、
自分から金時計を盗んだスリを許すどころか、その相手に
「自分の時計に似てるけど、そっちの方がいい。ぜひ売ってくれ」
と言って側近から有り金出させ、それを持たせて解放したりしてます。
「それで足を洗えよ」と最後に一言だけ告げて立ち去ったのです。
そんなことができる人間は今でもそうはいないでしょう。それがあの封建社会の時代であればなおさらです。
私は「許し」ということが今の時代に求められていると思っています。
人間として生まれた以上失敗はつきもので、それは仕方ないことです。
だから、
自分を許し、人を許しましょう。
西郷さんは本来の人間の本質は神と同様の光輝く存在だということを知っていて、
外に起きてる現象や性格などは仮のもので本質ではない、ということをつかんでいたからそれができたのだと思いますが、
それを知っていても、いざ自分の身に災難が降りかかるとなかなか実践できる人はそうはいないでしょう。
でも、人間はここまでなれるんだということを知れば、自分もできると思えるでしょう。同じ人間なんですから。
そういう意識になる人が増え、実践する人が増えれば世の中は変わると思います。
自分とは違っていても他人の自由を許し、責めたり批判したりしなければ、争いは起きないでしょう。
政治や環境など外の世界を変えようとしてもそう簡単には代わりません。
でも、自分の心を変えることで自分の目の前に展開する世界は変わります。
変えるといっても本来の自分になるだけで、他人になろうとするわけではありません。
そういったきっかけや参考になる話がいくつもあるのが、12月9日の西郷さんの講演会ですので、多くの方に聞いていただきたい、と思っています。
ではなぜ西郷さんはあのスリを許せただけでなく、大金を与えたのかをさらに掘り下げてみましょう。
それは一つには執着がないからです。
西郷さんはお金に執着がありませんでした。もらったお金も江戸の修復に使い、必要最低限のお金しか取らなかったのです。
金にも時計にも執着してなかったからこそ、許せたし、与えることができたのでしょう。
二つ目は今に生きていたからです。
スリの達人の過去に囚われず、許して金をあげれば今後は更正できると信じて疑わなかったのです。
三つ目は自分軸で生きていたからです。
常識や「こうでなければいけない」という観念にも縛られていなかったので、自分がいいと思うやり方で対処できたのです。
四つ目は原因は自分にあると思っていたからです。
スリがいるのはそうしないと生きていけない世の中に自分達がしてしまっているからだと、その原因を相手ではなく自分に求めていたから、責めることなどできなかったのでしょう。
五つ目は愛にあふれる人だったからです。
イエスは「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」と言いましたが、西郷さんがやったことはまさにそれです。
「罪を憎んで人を憎まず」
お金がないからスリを働いたのですから、お金が必要なんだと思ったと同時にその人の本質の善なる部分を信じたのです。
殺されてもおかしくないのに、許されて大金を渡されて信じてもらえたら、そんな愛にあふれた大きな心に触れたら、どんな人間も心を入れ替えるでしょう。
実際そのスリは足を洗い、そのお金でまともな仕事をするようになったそうです。
もちろん、この五つは私の勝手な解釈ですが、
西郷さんは非常にスピリチュアルな人で、今の人にも参考になる話が満載だと思っています。
龍馬大好き人間だった私が、4月に講演聴いて、理想の人間だと思ったのが西郷さんです。
だからこそ、ぜひ多くの方に聴いてもらいたいと思い、西郷隆夫さんを鹿児島からお呼びすることにしたのです。
たとえ参加者が少なくて赤字になったとしても、西郷さんの話を聴きにきた人が、来て本当に良かったと思ってくれたらそれだけで十分です。
ケイさんは相当な数の本を読んできた方ですが、最近は本を買うことはなくなっていたのに、西郷さんのひ孫の方の本を立ち読みして感激して購入し、全部読んで号泣したそうです。
。.:*☆ ぼっけもん ☆*:.。
には西郷さんの素晴らしい言葉とケイさんの解説が載っていますので、ぜひお読みください。
そのくらい素晴らしい話が西郷さんにはたくさんあるのですが、その本を書いたひ孫の方は奄美の愛佳那さんの血筋です。
12月9日にお呼びするのは最後の妻イトさんの血筋のひ孫の方ですが、実は孫であるお父さんとひ孫の隆夫さんとの間のエピソードにも凄いものがあるのです。
西郷さんも凄い人でしたが、隆夫さんのお父さんも凄い人でした。親としてここまでできるのか、という凄いエピソードもぜひ聴いて欲しいです。
郷中教育というものも今の時代に必要なことがたくさんありますので、
スピに関係なく全ての人に響く講演内容です。
そんな話を聴いて、全てを手放し、全てを受け入れ、今に生きるようになってどんどん覚醒していきましょう。