少し前にTVで放送された「栄光なき天才たち」という番組には、非常に興味深い話がたくさんありました。

印象に残ったものをご紹介します。

日本のサッカー選手で、最初に世界的に有名になったのは中田ヒデだと思いますが、

ユース日本代表ではヒデは補欠でした。

そして、当時華麗なプレーとテクニックで、天才と言われていたのが財前です。

ただ、技術だけは天才的でしたが、ランニングをさせると皆についていけない状態。

それでも財前なら仕方ないと、日本ユース代表コーチもそこには目をつぶっていたそうです。

ユース世界選手権では、リーグ戦三試合全てでマンオブザマッチを獲得しベスト8進出に貢献、大会ベストイレブンにも選出され、イタリアのクラブにスカウトされます。

でも、イタリアのユースチームからスペイン一部へ移籍した際、そのフィジカルの弱さから怪我をします。
なのに、言葉の壁でそれを上手く伝えることが出来ず、遠征メンバーに選ばれたのに参加を拒否したため、やる気がないヤツと捉えられてしまいます。

そのため、それ以降は怪我を隠して無理してプレイするようになったので、膝前十字靱帯断絶という、選手生命に関わるほどの致命的な怪我をします。

結局、日本に戻り、また無理をして、結局3度も膝前十字靱帯断絶を経験したため、その後日本代表に入ることもなく、輝きは失われました。

逆に中田ヒデは、イタリアに行くまでの間に、しっかりと体作りをし、イタリア語をマスターし、準備万端でデビュー戦に望み、2ゴールをあげて認められます。
ローマへ移籍したときには優勝に繋がるゴールをあげてヒーローになり、日本代表ではエースとなりました。

でも、ヒデはこんなことを言いました。

「自分はサッカーが上手いと思ったことは一度もない。財前みたいなプレイはできないから、何をすればいいのか、どうすればいいのか、いつも考えて練習してました」

財前は中田のことをこう言いました。

「準備の天才」

財前はいろんなことについての準備が足りていなかったけど、当時それを教えてくれる人は誰もいなかったのです。

ジーコは日本代表監督時代、中田ほど戦術を理解してプレーする選手はいなかったと評価しています。

どんなに天才的なテクニックがあっても、それだけでは一流にはなれません。

逆に、元々は普通の選手であっても、自分のできることを極めれば、一流の域まで上り詰めることもできるのです。

中田ヒデ以外にもそういう選手はいます。
中村俊輔、本田圭介らは、クラブチームで上に上がれず、高校のクラブに行った元落ちこぼれですし、
岡崎慎司も清水入団当時FWで一番下手だったと元チームメートも言ってましたし、3人とも足が遅かったです。
でも、それを補う為に技術を磨いたり、体力を付けたり、考えて誰よりも練習した結果、世界的に有名な選手になりました。

俊輔は、今でも世界歴代フリーキッカーベスト5に選ばれ、
岡崎はプレミアリーグチャンピオンチームのレギュラーですし、
本田はビッグクラブACミランのエースナンバーを付ける選手。

天才が努力と準備をしっかりやれば、超一流となります。
メッシやクリスチャーノ・ロナウドはそういうタイプでしょう。

でも、財前も、上手いだけではダメで、体力・気力・知力・コミュニケーション能力なども必要だという、貴重な経験を伝えられるコーチとして、今サッカーに携わっています。

人生に教訓はあっても失敗はないのです。


次の人物。

iPhoneやMacで有名なアップルの創業者といえば、スティーブ・ジョブズですが、
実は彼はプログラム1つ書けない人間だったとは知りませんでした。

世界で最初にパソコンを作って販売したのがアップルですが、それを作ったのは、

スティーブ・ウォズニアック

という、もう一人のスティーブだったのです。

彼のことは全く知りませんでしたが、本当の天才でした。

なんとIQ200

ジョブズは、彼の才能を見抜き、彼の製品を売り出す天才でしたが、人間的にはかなり最低で、ウォズニアック以外の人とは衝突も多かったようです。

まだアップルを作る前、ジョブズは自分の入ってた会社のゲームソフトの開発をウォズニアックに頼みます。

利益は折半で、と言ってたんですが、後にその会社の人と会った時、大部分をジョブズがピンハネしてたことを知ります。

ジョブズは友人まで騙すような男だったのです。

それでも人のいいウォズニアックは怒ることなく、正直に言ってくれたら良かったのに、と思うだけでした。

ウォズニアックは、ジョブズが自分の才能を認めてくれ、出来た製品を褒めてくれるので、それが嬉しくて仕事をしていたのです。

そして、友人としてのジョブズが好きだったのです。

自分だけだとタダの機械オタクで、会社を作るとか考えることもなかっただろうと、ジョブズの功績を評価しています。

でも、事故に遭い、自分が造ったAppleⅡの扱いの悪さを理由に退社します。

ジョブズもその性格が災いして、後にアップルを追われますが、その後傾いたアップル再興のために再び呼び戻された時、ウォズニアックも誘いますが、彼はその時の生活に満足していたので、アップルに戻ることはなかったのです。

でも、実はまだアップルの社員登録は有効で、ID1番でマックを社割で買ってるとか。

ウォズニアックがいなかったらアップルはなかったんですね。


最後に将棋の天才の話がありました。

幼い頃からネフローゼを抱えていましたが、病気に負けずにプロになり、惜しくも病気で早死にした村山聖。

ほぼ同い年の羽生名人と互角の対戦成績だった無冠の棋士です。

どんなハンディがあっても、弱音を吐かず、好きなことをあきらめずに追求していけば一流になれる、ということを教えてくれました。


才能というのは、いろんなものがあるので、無いものねだりせず、自分にあるものを伸ばして発揮していくことが大事ですね。


TVでは語られてませんでしたが、ウォズニアックは、アップルが上場した時の利益で大金持ちになったので、
70年代のウッドストックの再来を望み、
US Festival(ユーエスではなくアスフェスティバル)を、スポンサーなしで私財で開催します。(大赤字だったらしいですが)

1982年と83年に行われた超巨大野外フェスです。

当時高校生だった私は、部活や受験勉強に追われていた時期だったからか、このフェスのこと全く知りませんでした。
洋楽は好きでしたし、ウッドストックは知ってましたけどね。

なんと、検索したら動画がネットにいくつもアップされてました。

では、3日間の日程における有名ミュージシャンを挙げます。

82年
①トーキング・ヘッズ/ポリス
②サンタナ/カーズ/パット・ベネター/トム・ペティ
③グレイトフル・デッド/ジャクソン・ブラウン/フリートウッド・マック

83年
①ベルリン/INXS/ストレイ・キャッツ/メン・アット・ワーク/ザ・クラッシュ
②モトリー・クルー/オジー・オズボーン/ジューダス・プリースト/スコーピオンズ/ヴァン・ヘイレン
③U2/プリテンダーズ/スティーヴィー・ニックス/デヴィッド・ボウイ

ライブはレコードやCDとは違うので、ポリスやストレイキャッツ、クラッシュ、ヴァン・ヘイレン、メン・アット・ワーク、インエクセス、U2などの貴重な演奏が見られて良かったです。
カーズやプリテンダーズは1曲だけしかなかったですが、観られただけありがたいですね。
デヴィッド・ボウイはニュース映像しかなかったですから。


まさか、アップルの創業者の一人ウォズを調べたら、私の好きな80年代のバンドのライブを観られるようになるとは思ってもみなかったですが、おかげでしばらく楽しめそうです。
まだ全部は観てませんからね。
興味ある方は、youtubeのサイトから英語で検索するといいですよ。