ドッペルゲンガーとは、

自分とそっくりの姿をした分身。
同じ人物が同時に複数の場所に姿を現す現象。
自分がもうひとりの自分を見る現象。(これを体験したら死ぬという話もあります)

のことです。


ヒマラヤ聖者は意識的に同時に複数箇所に存在して、それぞれの相手と話をしたりできますし、体脱やバイロケーションができる人も、それを意識的に行います。

でも、ドッペルゲンガーは違います。
本人が意図していないのに、もう1人の自分が別の場所に現れ、その分身に知り合いが話しかけても返事はありません。

有名なのは、エミリー・サジェという19世紀のフランス人教師の話です。
いろんな逸話があって、そのせいで20回も職場を辞めさせられ、学校を転々としたそうです。

ではWikipediaから抜粋します。

「あるとき、42人もの生徒が同時に分身を目撃する事件が発生した。生徒たちのいる教室にサジェがおり、すぐ窓の外の花壇にもサジェがいたというのである。
勇気のある生徒が、どちらが本物のサジェかと、室内のサジェに触れたところ、柔らかい布のようでまるで手ごたえがなかった。
このとき、花壇にいるサジェはぼんやりとした様子だった。
やがて室内のサジェが消え、花壇のサジェは普段通り動き始めたため、花壇のほうがサジェ本人だとわかったという」

この話だけだと、生き霊のようですが、自分で自分を見るパターンはまたちょっと違うような気がします。

ゲーテ、モーパッサン、エイブラハム・リンカーン、芥川龍之介、帝政ロシアのエカテリーナ2世等の著名人が、自身のドッペルゲンガーを見ています。


先日インターFMで、「デイブ・フロム・ショー」の陰謀コーナーを久し振りに聞きましたが(木曜8時半から水曜7時半に変わっていたので)、そこでは面白い仮説がありました。

シュミレーションゲームには、あらゆる選択肢に沿った人生が用意されている。

パラレルワールドも、同じように我々の選択肢に応じた世界がたくさん存在していて、それぞれの世界で別の自分が暮らしている。

通常は交わることはない世界なんだけど、ゲームのバグのように、時たま想定外のことが起こり、エラーで他の世界の自分が紛れ込んできてしまう。

それがドッペルゲンガーではないかと。

DJのデイブは、夜中に目を覚ましたら、全く違う世界の自分の記憶が残っていて、何が起きているのか非常に戸惑ったという体験をしたことがあるそうです。

また、体脱中に別の世界の自分と入れ替わる体験をした方が何人かいますから、バグ説もありかもしれません。

ただ、生き霊のケースもありそうですし、
ドッペルゲンガーといっても、全て同じ現象じゃないのかもしれませんね。


では最後に、芥川龍之介の不思議なエピソードをご紹介して終わります。(ネタ元は下記から)
http://matome.naver.jp/odai/2133322278702484101


芥川は、ドッペルゲンガー(もう1人の自分)を見ていたらしい。
雑誌の対談などでも、それについての話を何度もしている。
芥川は、未発表で未完の小説を書いていた。タイトルは、

『人を殺したかしら』

青年が人を殺す夢を見る。だが、その事件は翌朝になると実際に起こっている。
しかも夢で殺した被害者と、実際の殺人事件の被害者はとても良く似ている。
しかも事件は、全て自分の近辺で起こっている。
青年は「もしかしたら、本当に自分が殺しているのかも」と、悩み苦しむようになる。
そしてそれは「もう1人の自分がいるのかも・・」という悩みへ変わっていく。

まるで、ドッペルゲンガーに悩む自分を題材にしたような小説。
芥川の死の前日の夜、連載していた小説の原稿を取りに、編集者が芥川家を訪れた。
まだ出来あがっていないため、編集者は、芥川の後ろに座って待っていた。
そして彼は机の上に置いてある、書きかけの小説を見つける。
『人を殺したかしら』である。

「新作ですか?ちょっと拝見してもよろしいですか?」
彼が原稿に手を伸ばそうとした時、
「それに触るな!!それは失敗作だ!!」と芥川はなぜか突然叫びながら
その原稿を取り上げ、赤ペンで自分の名前をグチャグチャに塗りつぶし、
本文に大きな×印を殴り書きし、原稿の全てをビリビリに破いて廊下に捨ててしまったという。
芥川のあまりの気迫に驚いた編集者は、その日は帰る事にした。

翌日の朝、再び編集者が芥川家を訪ねると、
多量の睡眠薬を飲み布団の上で死んでいる芥川がいた。

そして、芥川が狂ったように赤ペンで塗りつぶし、破り捨てたはずの
『人を殺したかしら』の原稿が、なぜか完全な形で机上にキチンと置かれてあったという。


いったい、どういう現象なんでしょうね。