また政木和三さんの本を読みました。
前回の本より古いので、ガンを治す機械までは載っていませんし、重複する話もありましたが、
基本的にこの本では発明品より精神エネルギー関連の話がメインで、その辺が詳しく書かれていました。
とにかく、無欲が結果を出すし、純粋な思いが叶うということがよくわかるエピソードに溢れています。
では、内容をいくつか紹介します。「」内は本からの抜粋です。
超能力の実験ではいつも上手くいくのに、TVで放送されるとなると、途端に上手くいかなくなる話がありました。
空中に紙とクレヨンを投げて絵を描く少年もTVの前では上手くいきませんでした。
そこで、「君の中にいる生命体(支配霊)がしてくれるのだから、君の中にいる生命体にやってくださいとお願いしなさい。
そして撮影されると思うと欲望が湧(わ)くから、目をつむってやりなさい」
と政木さんが言ってようやく上手くいったそうです
これは、ヒマラヤ聖者の本にも書かれていたことと同じです。
水の上を歩くことができるようになった修行者が、観客を集めてガンジス河を渡ろうとしますが、失敗し、後日、今度こそ大丈夫、とまたやりましたがやはり失敗したのです。
超能力は、人に見せびらかそう、自分の能力を誇示しようとしたり、普段より緊張したり、失敗したらどうしようという気持ちが少しでもあると、実力を発揮できなくなるのです。
本には書かれていませんでしたが、そこにいる人達の疑いの思いなども影響します。
特に否定的な思いを持っている人のエネルギーは強いようですから。
政木さんによると、全ての生物は、第一生命体、という非物質体を持っています。
10歳くらいから人間だけに第二生命体が宿るそうです。まれに動物や神木にも第二生命体が入ってることもあるそうですが。
第一生命体は守護霊とありましたが、自分の霊体とも言えそうです。第二生命体は指導霊ですね。
フーチーパターンという棒磁石をぶら下げたペンジュラムの回転でそれを知ったのですが、
これを使う時は、脳波をシータ波にしないと正しい回答は得られないようです。
年齢や状況でこのパターンも様々に変化し、どういう人間かということがわかります。
知能指数や性格、前世、自分以外のエネルギー体がついてることなどもそうですが、猪木さんなど、普段とプロレス時とは大きく変化します。
10万例ほど測定したようです。
死期や事故の予知もでき、それを伝えることで回避した例もたくさんありました。
予定は決まっているけど決定ではないようです。
ただ、自動書記や予知などする占い師がみなまともかというとそうでもないようで、政木さんが他の人が知り得ないことを聞いても具体的なことが出てこない人がいました。
本人は自分が知らないことを答えてるからそういう能力があると思ってたそうですが、潜在意識があいまいなことを答えてるケースでしたので、それを伝えると、もう占いはやめると言ったとか。
フーチーパターンで超能力者かどうかもはっきり形に出るのでわかるそうです。
政木さんは50くらいまでは唯物論者で頑固者だったそうです。
病気も医学書どおりの症状から、「自分は胃潰瘍だ」「自分は蓄膿症だ」と二回も病院行って異常なしと言われ、「おかしい。もう一度調べてくれ」と頑固に粘ったそうです。
再検査でも、違う病院でもやはり異常なし。
「君は病気だと言って欲しいのか。異常はない」と言われ、ようやく受け入れた途端、症状は消えたそうです。
病は気からという話でした。
超能力測定をしてから考えが変わり、奇跡体験を重ねるうちに神仏も信じるようになり、頑固さも消えました。
フーチーパターンもそれに応じて変わっていったそうです。
でも、神仏に感謝はしても頼み事は依存になるからせず、自分の中の第一生命体(本来の自分)にお願いすることを勧めます。
医者に、「この子供は一生涯植物人間です、意識の回復の見込みはありません」と言われ夫婦が相談に来ました。
その時の話です。
「フーチパターンで測定してみると、夫婦が欲望を捨てて願えば、三日目の朝に意識が戻るとの知らせである。
しかし、私は若夫婦にそれは言わなかった。
『子供さんを救うことは不可能です。
しかしそれではあまりにもかわいそうですから、ふたりでつぎのように願ってあげなさい。
--- 私たちの息子がすこやかな状態に戻りました。
ありがとうございました。---
それしか方法はありません』
と伝えると、夫婦は、
『やっぱりだめですか、ではそのように願います』」
その後、やはり三日で目を覚まし、一週間後には子供連れで来たので、政木さんはこう言いました。
『その子供さんを治したのはあなた方ふたりの生きた生命体が、無欲の願いにより、医学的には不可能な頭の手術を行なったのです。
死霊のエネルギーがあっても、それは小さく、生きた人間の生霊のエネルギーは非常に強烈なものです。
ふたりが欲望を捨て願ったために、医学的には不可能な脳内の手術を心霊的にやり、完全に元の状態になったものです』
欲望を捨て、過去完了形で宣言して感謝するのが大事なのです。
社会奉仕はするものではない。
したいと思うのは欲望。自分の行為が社会のために役立つことが社会奉仕。
坂道の楽な登り方。
膝の筋肉ではなく、前傾姿勢で前足に体重がかかったところで後ろ足を腹筋使って前に出す。
それで足が楽だそうです。
逆に下り坂はそっくり返ってアゴをあげ、後ろ足に体重がかかるようにするといいそうです。
だからいばって人をアゴで使っていたら人生下り坂になるのでやめましょう。
真理とは何か。
「真理を知るにはどうすればよいのであろうか。
人間の生きるための真理、それは幼児にみることができる。
幼児は自分に必要な物以外を求めることはない」
幼子のような心でなければ天の国へは入れない、とイエスは言いましたが、もちろん、天国はそれぞれの心の中にあるもので、幼子のような心でいれば人は幸せでいられるということです。
その幼子の心とはどういうものかを政木さんはわかりやすく説いていますね。
「この世に生まれた以上、その人の分相応に必要なものは、一生の間、自分について回ることになっている。
それ以上を望むために、不満が出ることになる。
宇宙には不満も不平もないはずである。
星が不平を言ったことも聞かないし、風が不満を言うこともない。
川も水も、ただ黙々と流れに従って遠い旅をしている。
木の葉や草に棲む虫も、ただ、せっせと働いている。
一向に不平らしい様子は見せない。
なぜ人間だけが不平、不満を言うのか。
愛情問題、食糧問題、対人関係と、他の動植物や自然現象にない問題を、人間だけにあると自負する考え方もあるが、それも所詮、個人の必要以上の欲望に帰するものである」
この世界はシンプル。
コンピューターは0か1だけで膨大な計算を行います。実は人間の世界も同じで、有か無かだけの二種類しかない、と政木さんは言います。
「明るいところと暗いところの差は光があるかないかの違いであり、健康と病気、生と死、また会うも別れも、これらのすべてが有か無だけで説明できるものである。
人間には、有か無しかないと思えば、考え方がシンプルとなる。
その中間はあり得ないのだから考えなくてもよいことになる。
望んでも自分のものにすることのできないものは、自分には不必要なものと思えば欲望も消えてゆく。
また、いくら努力しても思いが達せられないことがあれば、それは自分には無関係のことであると思いきってしまうようにする。
そして、自分の実行できることだけが、自分のすべきことであると思い、それに全力を注入すればよい。
この世は、水の流れのように、なるようにしかなって行かないと思えば、悩みも迷いも消え去ってゆく」
スポーツ、武道、瞑想の極意
ゴルフでもテニスでも、普通はインパクトの時だけはしっかり握るよう指導されます。
政木さんが考案したゴルフのスイングはそれまでの常識とは正反対で、
振りおろすとき力を抜き、当たるとき力を抜くという打法でした。
でも、それは、武道の達人に話すと、居合術の極意でもあり、合気道、真空投げの極意だと言われたそうです。
武道だけでなく、瞑想でも同じです。本文から抜粋します。
「ある人が座禅のとき、無我の境に入らんと念じたが、思うに任せず雑念の連続であった。
そこで、ゴルフのトップで力を抜き、当たるときに力を抜くことを思い出し、
『今まで思っていた無我の境に入ろうとする心の力を抜いた瞬間に、無我の境に入ることができた』」
「力を抜くこと。
これは目前の欲望を捨てることである。
無我の境に入ろうとする欲望はそのまま“力み”となり“迷い”となるが、力を抜くことによって欲望を捨てることができたのである」
他にもいろいろといい話がありましたが、この辺にしときます。
ちなみにこの本には、従来のスピ的な、カルマと転生輪廻の考えが語られてますが、時間がある世界から見ると、そういう見方もありですから、
時間がない世界からの見方(カルマ・輪廻はない)だけが真実として否定することはないと思っています。
絶版ですが、図書館で借りれない方は、こちらのブログに転載されてますから、順番に読み進めてはいかがでしょうか。
http://ameblo.jp/koji-kitano/theme151-10066181731.html#main
バラエティに富んでるのは先日ご紹介した「未来への発想法」ですが、こちらも絶版なので、ご紹介しときます。
http://ameblo.jp/koji-kitano/theme145-10044176808.html#main
前回の本より古いので、ガンを治す機械までは載っていませんし、重複する話もありましたが、
基本的にこの本では発明品より精神エネルギー関連の話がメインで、その辺が詳しく書かれていました。
とにかく、無欲が結果を出すし、純粋な思いが叶うということがよくわかるエピソードに溢れています。
では、内容をいくつか紹介します。「」内は本からの抜粋です。
超能力の実験ではいつも上手くいくのに、TVで放送されるとなると、途端に上手くいかなくなる話がありました。
空中に紙とクレヨンを投げて絵を描く少年もTVの前では上手くいきませんでした。
そこで、「君の中にいる生命体(支配霊)がしてくれるのだから、君の中にいる生命体にやってくださいとお願いしなさい。
そして撮影されると思うと欲望が湧(わ)くから、目をつむってやりなさい」
と政木さんが言ってようやく上手くいったそうです
これは、ヒマラヤ聖者の本にも書かれていたことと同じです。
水の上を歩くことができるようになった修行者が、観客を集めてガンジス河を渡ろうとしますが、失敗し、後日、今度こそ大丈夫、とまたやりましたがやはり失敗したのです。
超能力は、人に見せびらかそう、自分の能力を誇示しようとしたり、普段より緊張したり、失敗したらどうしようという気持ちが少しでもあると、実力を発揮できなくなるのです。
本には書かれていませんでしたが、そこにいる人達の疑いの思いなども影響します。
特に否定的な思いを持っている人のエネルギーは強いようですから。
政木さんによると、全ての生物は、第一生命体、という非物質体を持っています。
10歳くらいから人間だけに第二生命体が宿るそうです。まれに動物や神木にも第二生命体が入ってることもあるそうですが。
第一生命体は守護霊とありましたが、自分の霊体とも言えそうです。第二生命体は指導霊ですね。
フーチーパターンという棒磁石をぶら下げたペンジュラムの回転でそれを知ったのですが、
これを使う時は、脳波をシータ波にしないと正しい回答は得られないようです。
年齢や状況でこのパターンも様々に変化し、どういう人間かということがわかります。
知能指数や性格、前世、自分以外のエネルギー体がついてることなどもそうですが、猪木さんなど、普段とプロレス時とは大きく変化します。
10万例ほど測定したようです。
死期や事故の予知もでき、それを伝えることで回避した例もたくさんありました。
予定は決まっているけど決定ではないようです。
ただ、自動書記や予知などする占い師がみなまともかというとそうでもないようで、政木さんが他の人が知り得ないことを聞いても具体的なことが出てこない人がいました。
本人は自分が知らないことを答えてるからそういう能力があると思ってたそうですが、潜在意識があいまいなことを答えてるケースでしたので、それを伝えると、もう占いはやめると言ったとか。
フーチーパターンで超能力者かどうかもはっきり形に出るのでわかるそうです。
政木さんは50くらいまでは唯物論者で頑固者だったそうです。
病気も医学書どおりの症状から、「自分は胃潰瘍だ」「自分は蓄膿症だ」と二回も病院行って異常なしと言われ、「おかしい。もう一度調べてくれ」と頑固に粘ったそうです。
再検査でも、違う病院でもやはり異常なし。
「君は病気だと言って欲しいのか。異常はない」と言われ、ようやく受け入れた途端、症状は消えたそうです。
病は気からという話でした。
超能力測定をしてから考えが変わり、奇跡体験を重ねるうちに神仏も信じるようになり、頑固さも消えました。
フーチーパターンもそれに応じて変わっていったそうです。
でも、神仏に感謝はしても頼み事は依存になるからせず、自分の中の第一生命体(本来の自分)にお願いすることを勧めます。
医者に、「この子供は一生涯植物人間です、意識の回復の見込みはありません」と言われ夫婦が相談に来ました。
その時の話です。
「フーチパターンで測定してみると、夫婦が欲望を捨てて願えば、三日目の朝に意識が戻るとの知らせである。
しかし、私は若夫婦にそれは言わなかった。
『子供さんを救うことは不可能です。
しかしそれではあまりにもかわいそうですから、ふたりでつぎのように願ってあげなさい。
--- 私たちの息子がすこやかな状態に戻りました。
ありがとうございました。---
それしか方法はありません』
と伝えると、夫婦は、
『やっぱりだめですか、ではそのように願います』」
その後、やはり三日で目を覚まし、一週間後には子供連れで来たので、政木さんはこう言いました。
『その子供さんを治したのはあなた方ふたりの生きた生命体が、無欲の願いにより、医学的には不可能な頭の手術を行なったのです。
死霊のエネルギーがあっても、それは小さく、生きた人間の生霊のエネルギーは非常に強烈なものです。
ふたりが欲望を捨て願ったために、医学的には不可能な脳内の手術を心霊的にやり、完全に元の状態になったものです』
欲望を捨て、過去完了形で宣言して感謝するのが大事なのです。
社会奉仕はするものではない。
したいと思うのは欲望。自分の行為が社会のために役立つことが社会奉仕。
坂道の楽な登り方。
膝の筋肉ではなく、前傾姿勢で前足に体重がかかったところで後ろ足を腹筋使って前に出す。
それで足が楽だそうです。
逆に下り坂はそっくり返ってアゴをあげ、後ろ足に体重がかかるようにするといいそうです。
だからいばって人をアゴで使っていたら人生下り坂になるのでやめましょう。
真理とは何か。
「真理を知るにはどうすればよいのであろうか。
人間の生きるための真理、それは幼児にみることができる。
幼児は自分に必要な物以外を求めることはない」
幼子のような心でなければ天の国へは入れない、とイエスは言いましたが、もちろん、天国はそれぞれの心の中にあるもので、幼子のような心でいれば人は幸せでいられるということです。
その幼子の心とはどういうものかを政木さんはわかりやすく説いていますね。
「この世に生まれた以上、その人の分相応に必要なものは、一生の間、自分について回ることになっている。
それ以上を望むために、不満が出ることになる。
宇宙には不満も不平もないはずである。
星が不平を言ったことも聞かないし、風が不満を言うこともない。
川も水も、ただ黙々と流れに従って遠い旅をしている。
木の葉や草に棲む虫も、ただ、せっせと働いている。
一向に不平らしい様子は見せない。
なぜ人間だけが不平、不満を言うのか。
愛情問題、食糧問題、対人関係と、他の動植物や自然現象にない問題を、人間だけにあると自負する考え方もあるが、それも所詮、個人の必要以上の欲望に帰するものである」
この世界はシンプル。
コンピューターは0か1だけで膨大な計算を行います。実は人間の世界も同じで、有か無かだけの二種類しかない、と政木さんは言います。
「明るいところと暗いところの差は光があるかないかの違いであり、健康と病気、生と死、また会うも別れも、これらのすべてが有か無だけで説明できるものである。
人間には、有か無しかないと思えば、考え方がシンプルとなる。
その中間はあり得ないのだから考えなくてもよいことになる。
望んでも自分のものにすることのできないものは、自分には不必要なものと思えば欲望も消えてゆく。
また、いくら努力しても思いが達せられないことがあれば、それは自分には無関係のことであると思いきってしまうようにする。
そして、自分の実行できることだけが、自分のすべきことであると思い、それに全力を注入すればよい。
この世は、水の流れのように、なるようにしかなって行かないと思えば、悩みも迷いも消え去ってゆく」
スポーツ、武道、瞑想の極意
ゴルフでもテニスでも、普通はインパクトの時だけはしっかり握るよう指導されます。
政木さんが考案したゴルフのスイングはそれまでの常識とは正反対で、
振りおろすとき力を抜き、当たるとき力を抜くという打法でした。
でも、それは、武道の達人に話すと、居合術の極意でもあり、合気道、真空投げの極意だと言われたそうです。
武道だけでなく、瞑想でも同じです。本文から抜粋します。
「ある人が座禅のとき、無我の境に入らんと念じたが、思うに任せず雑念の連続であった。
そこで、ゴルフのトップで力を抜き、当たるときに力を抜くことを思い出し、
『今まで思っていた無我の境に入ろうとする心の力を抜いた瞬間に、無我の境に入ることができた』」
「力を抜くこと。
これは目前の欲望を捨てることである。
無我の境に入ろうとする欲望はそのまま“力み”となり“迷い”となるが、力を抜くことによって欲望を捨てることができたのである」
他にもいろいろといい話がありましたが、この辺にしときます。
ちなみにこの本には、従来のスピ的な、カルマと転生輪廻の考えが語られてますが、時間がある世界から見ると、そういう見方もありですから、
時間がない世界からの見方(カルマ・輪廻はない)だけが真実として否定することはないと思っています。
絶版ですが、図書館で借りれない方は、こちらのブログに転載されてますから、順番に読み進めてはいかがでしょうか。
http://ameblo.jp/koji-kitano/theme151-10066181731.html#main
バラエティに富んでるのは先日ご紹介した「未来への発想法」ですが、こちらも絶版なので、ご紹介しときます。
http://ameblo.jp/koji-kitano/theme145-10044176808.html#main