ハリーポッターで初めて名前を知った「賢者の石」ですが、
その後、「ピカトリックスの秘密」という本で、錬金術師が金を造るのに使っていた、ということを知りました。
他には不老長寿に関係してるとか、病気を治せるとか言われてるみたいですが、この石を求めて戦争が起きたりしてたそうです。
秦の始皇帝の柩にも賢者の石は入っていたとか。
そんな石を、政木和三さんは持っていました。
先日ご紹介した「精神エネルギー」からその経緯を抜粋します。(「未来への発想法」にも載ってましたが)
「昭和六十二年三月十四日午後一時半、サイ科学研究集会(第九十八回)においてアトランチスの奇跡が起こった。
当日は、私の体験による前世の縁と出合いについて話す日であった。
私の前世(三百八十年前)における第十一番目の息子の出現によって、前世の墓が古河市で見つかった等の話をして一時間が過ぎた。
ついで、アトランチスから届いた『賢者の石』を取り出してからのことである。
(この『賢者の石』とは、昭和六十一年十月十六日に米国のウィリアム・カウツ博士とメキシコのチャールス・ヌウ氏がエジプトへ行ったときに、エジプトの神官から、
『この石はエジプトに六千年前から伝えられたものです。
あなた方は近いうちに日本へ行くことになっているので、この石を渡します。
日本に行けば、この石を受け取るべき人に必ず会うことになっております』
と言われ、預かって来たものだった。
岡山の林原生物化学研究所で、私がそのふたりと会って、
『これはあなたのものです』
と言われてその石を渡された瞬間、私の掌はものすごく熱くなった。
この石のことを、前世では松平のお殿様であった人に電話で話したところ、
『その石はキュウリの輪切りの形をしていますね。
それはアトランチスにあった「賢者の石」です。
エドガー・ケーシーの本に書いてありますよ』
と告げられた。)
会場にいた一婦人が、何国語ともわからない言葉でしゃべり出した。
歌を唄っているような、なめらかなきれいな言葉であった。
『前に出て、政木先生の所でお話しください』
と、司会者の木村会長が言った。
お名前は本城さんという方で、この会場へ入る前に階段の所で見かけたとき、心に何か異常な動きを感じた人である。
彼女は私につぎのように語りかけてきた。
『この石はあなたが一万二千年前にアトランチスの神官のとき持っておられたものです。
私はそのとき、神官のハーモニーをやっていましたので、その石のことはよく覚えております』
これは日本語ではないので、私は、一般の方のために
『この人の言葉はアトランチス語です』
とマイクで会場に告げた。
そのうちに、会場で別の女の人が泣き出した。
司会の木村会長が
『どうしたのですか』
と聞くと、
『わけも分からず胸がいっぱいになって泣けてくるのです』
と言う。
そのとき、本城さんはその人を指差して、
『あなたは一万二千年前、アトランチスで私の妹だった人です』
と日本語で言った。
この昭和六十二年三月十四日のことは、今思い出しても胸が熱くなってくる。
私は、小学校三年生のころから毎夜のように、腹式の深呼吸を一時間から二時間ぐらい行ない、千里眼に近い状態となって、このころ日蓮宗に入信した母に経本を全部解説していた。
しかし、母が死去する九十歳の誕生日の一日前に、
『和三がお経の説明をしてくれたから、意味がよくわかっていた』
と言うので、その経本を取り出してみると、漢文ばかりで今見ても意味のわからぬ難解なものであった。
また、そのころから、一ヵ月に必ず一回は同じ夢を見た。
それは六十歳くらいまで続いた。
そして、そのことを人に告げていたが、今から十五年ほど前に、水中カメラが撮影したアトランチスの風景がテレビ放映され、そのテレビを見てから、私は毎月一回の夢を見なくなった。
水中カメラの風景がアトランチスであったことにより、私は一万年前にはアトランチスにいたと信ずるようになったわけである。」
ハーモニーとは、意識が通じ合う人、という意味だそうです。
文中のアトランティス語ですが、10分以上話されたそうで、政木さんには日本語として聞こえたそうです。
その一部音声は講演会動画の中で聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=4iG5-NiAsDs
また、夢と書かれていますが、講演では子供の頃については夢とは言ってません。
腹式呼吸(体が弱かったので医者に勧められてやっていた)でシータ波状態になり、体外離脱をしてどこか別の場所に行っていて、鮮明に記憶に残っている、と。
それがアトランティスだったとTV見てわかったのです。
賢者の石をもらった経緯も本には書かれていないことが話されています。
エジプトの神官が石を託したのは、アメリカの物理学者だそうです。そして、「この石の元の持ち主が日本にいるので、日本へ行けば本来の持ち主がそばに来ることになっているから返してください」てなことを言われたとか。
彼らが日本各地で講演をして岡山に来た時に、政木さんを見て持ち主だとわかったそうです。
お経の話もそうですが、不思議なことばかりですね。
別の本には、瞬間移動する賢者の石の話もあります。
「東京から霊能者の女性と男性三人のグループが来阪されたときのことです。
『私たちは全員アトランチスに縁のあった者ですが、アトランチスの“賢者の石”をみせてほしいので、東京からまいりました』とのことでした。
私は、その翌日、岡山での講演のために岡山の研究室に資料一式をカバンに入れて置いてきていました。
『今日は持っておりません』と、お断わりしましたが、『それではしかたありません』といわれて、あきらめ顔でした。
ところが、それから三〇分ほどして、私が左手を椅子の横におろすと、掌のなかに『賢者の石』が入っていました。
そこで、『岡山から、賢者の石が飛んできましたのでみてください』と差し出しました」
政木さんが亡くなったあと、賢者の石がどこへ行ったのかは知りませんが、元々アトランティス時代の石だったとか、実際に持ってる日本人がいたとかは、最近まで知りませんでした。
ちなみに、それを活用してたという話は本に載ってません。
あえて使わなかったのか、活用法を知らなかったのか、ただ公表しなかったのか、今となってはわかりませんが、どうだったんでしょうね。
とにかく、一度見てみたいものです。「賢者の石」
その後、「ピカトリックスの秘密」という本で、錬金術師が金を造るのに使っていた、ということを知りました。
他には不老長寿に関係してるとか、病気を治せるとか言われてるみたいですが、この石を求めて戦争が起きたりしてたそうです。
秦の始皇帝の柩にも賢者の石は入っていたとか。
そんな石を、政木和三さんは持っていました。
先日ご紹介した「精神エネルギー」からその経緯を抜粋します。(「未来への発想法」にも載ってましたが)
「昭和六十二年三月十四日午後一時半、サイ科学研究集会(第九十八回)においてアトランチスの奇跡が起こった。
当日は、私の体験による前世の縁と出合いについて話す日であった。
私の前世(三百八十年前)における第十一番目の息子の出現によって、前世の墓が古河市で見つかった等の話をして一時間が過ぎた。
ついで、アトランチスから届いた『賢者の石』を取り出してからのことである。
(この『賢者の石』とは、昭和六十一年十月十六日に米国のウィリアム・カウツ博士とメキシコのチャールス・ヌウ氏がエジプトへ行ったときに、エジプトの神官から、
『この石はエジプトに六千年前から伝えられたものです。
あなた方は近いうちに日本へ行くことになっているので、この石を渡します。
日本に行けば、この石を受け取るべき人に必ず会うことになっております』
と言われ、預かって来たものだった。
岡山の林原生物化学研究所で、私がそのふたりと会って、
『これはあなたのものです』
と言われてその石を渡された瞬間、私の掌はものすごく熱くなった。
この石のことを、前世では松平のお殿様であった人に電話で話したところ、
『その石はキュウリの輪切りの形をしていますね。
それはアトランチスにあった「賢者の石」です。
エドガー・ケーシーの本に書いてありますよ』
と告げられた。)
会場にいた一婦人が、何国語ともわからない言葉でしゃべり出した。
歌を唄っているような、なめらかなきれいな言葉であった。
『前に出て、政木先生の所でお話しください』
と、司会者の木村会長が言った。
お名前は本城さんという方で、この会場へ入る前に階段の所で見かけたとき、心に何か異常な動きを感じた人である。
彼女は私につぎのように語りかけてきた。
『この石はあなたが一万二千年前にアトランチスの神官のとき持っておられたものです。
私はそのとき、神官のハーモニーをやっていましたので、その石のことはよく覚えております』
これは日本語ではないので、私は、一般の方のために
『この人の言葉はアトランチス語です』
とマイクで会場に告げた。
そのうちに、会場で別の女の人が泣き出した。
司会の木村会長が
『どうしたのですか』
と聞くと、
『わけも分からず胸がいっぱいになって泣けてくるのです』
と言う。
そのとき、本城さんはその人を指差して、
『あなたは一万二千年前、アトランチスで私の妹だった人です』
と日本語で言った。
この昭和六十二年三月十四日のことは、今思い出しても胸が熱くなってくる。
私は、小学校三年生のころから毎夜のように、腹式の深呼吸を一時間から二時間ぐらい行ない、千里眼に近い状態となって、このころ日蓮宗に入信した母に経本を全部解説していた。
しかし、母が死去する九十歳の誕生日の一日前に、
『和三がお経の説明をしてくれたから、意味がよくわかっていた』
と言うので、その経本を取り出してみると、漢文ばかりで今見ても意味のわからぬ難解なものであった。
また、そのころから、一ヵ月に必ず一回は同じ夢を見た。
それは六十歳くらいまで続いた。
そして、そのことを人に告げていたが、今から十五年ほど前に、水中カメラが撮影したアトランチスの風景がテレビ放映され、そのテレビを見てから、私は毎月一回の夢を見なくなった。
水中カメラの風景がアトランチスであったことにより、私は一万年前にはアトランチスにいたと信ずるようになったわけである。」
ハーモニーとは、意識が通じ合う人、という意味だそうです。
文中のアトランティス語ですが、10分以上話されたそうで、政木さんには日本語として聞こえたそうです。
その一部音声は講演会動画の中で聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=4iG5-NiAsDs
また、夢と書かれていますが、講演では子供の頃については夢とは言ってません。
腹式呼吸(体が弱かったので医者に勧められてやっていた)でシータ波状態になり、体外離脱をしてどこか別の場所に行っていて、鮮明に記憶に残っている、と。
それがアトランティスだったとTV見てわかったのです。
賢者の石をもらった経緯も本には書かれていないことが話されています。
エジプトの神官が石を託したのは、アメリカの物理学者だそうです。そして、「この石の元の持ち主が日本にいるので、日本へ行けば本来の持ち主がそばに来ることになっているから返してください」てなことを言われたとか。
彼らが日本各地で講演をして岡山に来た時に、政木さんを見て持ち主だとわかったそうです。
お経の話もそうですが、不思議なことばかりですね。
別の本には、瞬間移動する賢者の石の話もあります。
「東京から霊能者の女性と男性三人のグループが来阪されたときのことです。
『私たちは全員アトランチスに縁のあった者ですが、アトランチスの“賢者の石”をみせてほしいので、東京からまいりました』とのことでした。
私は、その翌日、岡山での講演のために岡山の研究室に資料一式をカバンに入れて置いてきていました。
『今日は持っておりません』と、お断わりしましたが、『それではしかたありません』といわれて、あきらめ顔でした。
ところが、それから三〇分ほどして、私が左手を椅子の横におろすと、掌のなかに『賢者の石』が入っていました。
そこで、『岡山から、賢者の石が飛んできましたのでみてください』と差し出しました」
政木さんが亡くなったあと、賢者の石がどこへ行ったのかは知りませんが、元々アトランティス時代の石だったとか、実際に持ってる日本人がいたとかは、最近まで知りませんでした。
ちなみに、それを活用してたという話は本に載ってません。
あえて使わなかったのか、活用法を知らなかったのか、ただ公表しなかったのか、今となってはわかりませんが、どうだったんでしょうね。
とにかく、一度見てみたいものです。「賢者の石」