タイトルの最初のヤツは、森田健さんの「不思議の科学」にも出てた言葉ですが、先日整理してた雑誌にもまた出てました。

たぶん日本人で初めてモンロー研究所にいって高次体験したのがモリケンさんだと思いますが、その時のセッションで体脱して高次への扉を開こうとするんですが、

「あなたは誰ですか?」

という質問にちゃんと答えないとドアが開かないのです。

さんざん、ああだこうだ答えて最後に出てきたのが、

「私は誰でもありません」

という言葉でした。

その瞬間ドアが開いてむこうの世界に入れたそうです。

我々は生まれた瞬間は誰でもないのですが、周りから名前を呼ばれ、「自分は●●だ」と思い込みます。

本当は肉体を借りてるだけですし、本来ワンネスですから、実は●●という個性は幻なのです。

自我を自分だと思い込んではいけません、ということだと思います。


でも、名前は自分で決めて生まれてくるケースもあるようですので、生まれた瞬間の話は一つの例であって全てに通用する話ではありませんが。


まぁ、モリケンさんは結構普通のスピとは違うことを主張されることが多いです。

生まれ変わりの村とかってかなり特殊ですよね。

体内記憶で「反省部屋」に入ってから出てきたという日本の子供達が多いそうですが、その村にたくさんいる前世から中間世まで覚えてる人達は、そんなところにいってる人はいません。
自殺や殺人犯してもカルマ的なものがなかったりします。

だから、あの世の仕組みとかも、これしかない、ってものはないんだと思います。

先日「そのままでいい」という記事を書きましたが、あれだって単なる一つの見方であって、あれが全てではありません。

好き放題やって世間に迷惑かけまくりの人をこの世で正当化する言葉でもありません。

高次の観点から見たらそれだっていい経験だったり、完璧なシナリオだったりするんだと思いますが。

だから、法則はこれしかない、解釈はこれしかない、真実はこうだと決めつけない方がいいと思います。

状況、環境、時代、次元、視点によって変わってきますし、今朝の盲導犬の記事のようにはっきり断定できないこともありますからね。

でも、自分に合ったものを選択するのは大事だと思います。ただ、それを他人に押しつけるのは感心しませんけど。


ということで、また雑誌に載ってたモリケンさんの次の言葉を紹介します。

「迷ったらゴー」


それがいい人もいると思います。

でも、自我に翻弄されてる間は迷ったら決断しない方がいいと私は思います。

かつて迷ったまま進んで大失敗した経験がたくさんあります。

でも、それもいい経験と考え、全て来るものを受け入れようというのならいいでしょうけど。


迷いとは若干違いますし、先月の講演会報告にも書きましたが、

「誘われたら?」

という質問に半田さんは全肯定が信条だから、無条件で行くそうです。

失敗したらそれもOKという感じ。


中山さんは「招かれてると感じたら行くけど、誘われてると感じたら行かない」と答えてました。


私は行きたいと思うかどうかですね。

行きたいと思っても、行ける条件に無ければ行かないこともありますが。


でも、最近はたいてい誘われたら行く方向で検討することが多いですけどね。

誘いでなく、頼まれたら出来る限り受けるようにはしています。


少し前までは「迷ったらゴー」なんてありえない、と思ってましたが、半田さんの話聞いて、それもありかなとは思ってます。

まぁでも、迷ったらどうするかルールを決めるのではなく、自分に聞くのが一番だと思います。

ただ、自我ではなく神我または真我に聞かなきゃいけませんけどね。

心を落ち着け、何も期待せず、問いかけ、待つ。

すぐ答えが来る時もありますが、寝る前に聞いて朝答えもらうのもお勧めです。

でも、自分がこれだと思うものがあるなら、ルールを決めてもいいと思いますけどね。