これは2009年11月に書いた本の感想です。今年の夏にこの続編も読みましたが、とりあえず、最初の本についての日記をコピペします。
「からだの声を聞きなさい」というリズ・ブルボーさんの本を読みました。
カナダで超ベストセラーになったというスピリチュアルな本です。
浅見さんの本は読みやすいですが、これはものすごく内容が濃く、専門的な感じで、ものすごく勉強になることばかりです。
でも、悲しいことに、すぐ忘れちゃうので、前回もそうでしたが、本の紹介や解説ではなく、忘れないように、自分にとって「これは」と思うものだけ書きます。
まず、潜在意識は、理性的な思考、善悪の判断はしないということです。
ただ、来た情報をそのまま記録し、自動計算する計算機みたいなものらしいです。
だから、4×4と入力するところを、間違って4×3と入力しても、間違いには気付かず、12という答えをだします。
良い、悪いや、正しいか、間違ってるかなどの判断はしません。
今までにも、「貧乏になりたくない」と思ったら、逆に貧乏になっちゃうという話がありましたが、
潜在意識はイメージに対して強く反応するそうです。
ですから、なりたくなくても貧乏をイメージしたから、貧乏を実現しようと働きます。
そして、最後のイメージを実現しようとします。
ですから、いくらいいイメージをたくさん持っても最後に「やっぱムリかな」と思うと、ダメになってしまうのです。
そして、タクシーのベテラン運転手みたいなものでもあるそうです。
行き先を一度告げれば、あとは勝手に目的地へ連れて行ってくれますよね。
途中で何度も行き先を変更すると、運転手さんも混乱しますよね。いつでも同じメッセージを潜在意識に伝えることが必要です。
わざわざ、途中の細かいルートの指示をする必要もないので、目的地だけイメージすればいいそうです。
もちろん、夢に向かっての努力は必要ですが、自分の目的が達成されたところだけイメージすればよいので、途中はベテラン運転手に任せましょう。
実は、ネットが金曜から急につながらなくなり、土曜の昼に業者に電話したんですが、いつ復旧するかどころか、いつ調査結果の連絡できるかわからない、2,3日かかるかもと言われ、
「仕事で使っているから大至急対応して下さい。」
と強くお願いして、3,4時間後にこの本を読んで、すぐ妻に、
「ネットにつながって快適にパソコン使ってるとこをイメージしよう」
と言って、一緒にちょこっとイメージしました。
そしたら、すぐ復旧作業終了の電話がかかってきて、ネットが使えるようになりましたので、ちょっとビックリでした。
日曜日もまた、朝から、共用部の器機トラブルで夜までつながりませんでしたが、おかげで昼寝して疲れをとることができまして、それはそれで良かったです。
それから、あんな人には絶対なりたくないとか、反発して拒絶した態度も無意識のうちに自分に取り込まれ、やがて同じ振る舞いをすることになるそうです。
逆にそうならなくても、自分を押さえつけてるだけなので、どちらにしても自分らしい生き方ではなくなります。
ですから、批判した自分を許し、相手の行為も許す必要があります。
私は高2の頃、練習途中で怒って帰る先輩がいて、
「なぜ、あんな事するんだろう?あんな人にはなりたくない」
と思いましたが、高3になり、全く同じことをしてしまいました。
潜在意識恐るべしですね。
だからといって感情を抑えつけると病気になったりしますから、感情を発散させたあと、それを一つの経験として受け入れ、許す、といきたいものですね。
自分の身の回りに起こることは全て自分の責任といいますが、ものごころ付く前の子どもで、親に嫌なことされたり、ひどい教育受けたりしたら、親の責任ではないかと思いたくなりますよね。
でも、その親を選らんで生まれてきたのは自分ですから、やはり自分の責任です。
そして、親もその時はベストだと思ってやったことですから、恨んだり憎んだりせずに、許しましょう。
私は親の立場で、子どもに良かれと思ってやったことが、ことごとく裏目に出たりして、長いこと自分を責めたり、後悔してましたが、確かにその時点では、ベストな選択のつもりでした。
失敗もお互いにとって必要な経験だった、そこから学ぶことも出来て良かったということで、自分を許すことができたら、心が軽くなりました。
病気や事故は、自分の思い、言葉、行動のどれかが、愛の法則、自己責任の法則に反していますよというサインだということは、よく聞く話だと思います。
この本では具体的に、部位ごとに何のサインか書かれています。
ちなみに私は背中がずっと凝ってたり、痛かったり、苦しかった時期がありましたが、
「他人の幸・不幸の原因が自分にあると思ってはいけません」
ということで、子どもについて責任を感じ続けてましたので、その通りだと思います。
最近、左肩と首の付け根に違和感があり、うがいすると痛いのですが、背中の上部の痛みは愛情関係の問題らしいです。
何となく思い当たりますが、よく自分を分析しようと思います。
腰痛も長いこと患っていましたが、批判癖や失望したり、フラストレーションをためる人で、何やってもうまくいかないと自己憐憫に駆られやすいので、全ては自分の責任だと認めなさいというサインだそうです。
半年前までは、自分は運が悪いとか、裏目ばかり引いてしまうとか思ってましたね。
有難いことに、今は腰の体操を風呂上がりにして、姿勢には気を付けてますが、日頃は腰の事は忘れていて、腰痛に煩わされてはいません。
耳や鼻のトラブルは、人のことを気にしすぎですよというサインのようです。
あまりそんなつもりは無かったですが、気をつけようと思います。
事故は、罪悪感を持っているために起こるそうです。
無意識に自分を罰することで、罪悪感から逃れようとしているそうです。
これは、ものすごく良くわかります。
小さい頃から「ケガ屋のkenちゃん」と言われるぐらい、ケガばっかりしてまして、免許とってからは交通事故も何度も起こしています。(大事故はないですが)
幼い頃からキリスト教の教えで育ったため、罪悪感はずっと抱えていました。
宿題してない、やるべきことしてない、悪いことをしてしまったといった具合です。
なんで、こんなにケガや事故ばかりするんだろうかと思ってましたが、ようやく、わかりました。
単に不注意なだけだと思っていましたが、もちろんそれもあるでしょうが、それだけでは無かったんですね。
半年前から、罪悪感はかなり無くなったと思いますが、今後、ケガや事故が減っていくように、両方気を付けていきます。
傲慢な心についても、気付いていないことがありました。
善意の気持ちから考えたことでも、「自分が正しくて、相手が間違っている」と思っちゃうと傲慢になり、失敗します。
つい最近、それを経験しました。もっと愛の気持ちがあれば、そんなトラブルにならずに、スムーズに事は進んだと思います。
ちなみに、精神的レベルの傲慢チェックですが、
一つは、絶対に自分が正しいと相手に認めさせようとする。
もう一つは、聞かれもしないのに、「それなら知ってましたよ」と言うことだそうです。
スピリチュアルなレベルでの傲慢チェックは、自分は特別な存在だと思うことで、
「私は彼よりも悟っている。彼はまだ、私ほど悟っていない。」
とか思ったら、要注意です。新興宗教の教祖に多いかもしれませんね。
もし、真理について相手と意見が異なり、埒があかない場合は、
「あなたの見解は私と違って、うまく理解できませんが、それはあなたにとって大切なもののようですから、受け入れます。」
と言って、自分と相手の真実をどちらも認めるといいらしいです。
まだ、私には悟りとかまだ関係ないかもしれませんが、今後の参考までに書いときます。
傲慢になりたくないから謙虚になろうとして行き過ぎると、自己卑下になりますから、これも気をつけないといけませんね。
傲慢な心の裏側には恐れがあるそうです。
愛されないかも、裁かれるかも、批判されるかも、見捨てられるかもといった恐れです。
それを理解して、常に愛をこめて行動すれば、自分が傲慢にならず、傲慢な人にも優しく接することが出来るそうです。
今後、気を付けていきたいです。
他にも勉強になることがたくさん書かれていますが、最後に瞑想についてです。
私は思考を止める瞑想がなかなかできませんが、これが出来れば超意識とつながるそうです。
毎日、20~30分、横になったり、頭をもたれかけたりせずに、背筋を伸ばしてやるのがいいそうです。
意識を集中させるために、スピリチュユアルな言葉や文章、抽象的な言葉(やすらぎ、愛、調和など)を心の中で唱えるといいそうです。
著者は、「私は神、神は私」と唱えるらしいです。
何とか瞑想できるようにヘミシンクとともに練習していこうと思います。