2009年11月。順調に進んでいたスピリチュアルライフも、私の早とちりやミクシィの日記のせいでトラブルを起こしていまいました。
マイミクのルビンさん
(当時の菅野さん)が福島から上京してくるというので、オフ会を企画しました。初めて会うのでワクワクしてたんですが・・・・・・。
その時の日記の主な部分をまず抜粋します。(当事者の名前は伏せ、一部修正してます)
今月末に菅野さんが上京してくる件ですが、
実は私のせいで、AさんやBさんに大変、ご迷惑をかけました。
先月、菅野さんから、「11月上京して、AさんとBさんと私に会いたい」ということで、日程の調整をお願いされました。
それで、お二人には、メッセージでそのことを伝えまして、とりあえず、11月29日ということに決まりました。
そして、依頼を受けるより以前に、菅野さんから日記のコメントで、一緒にセッションしたいと言われていたことがあったので、Aさんに、たこ焼きパーティじゃなくてセッションしましょうとメッセージを送りました。
元々、その日はたこ焼きパーティーの予定だったので、Aさんも、
「わざわざ出てきて、たこ焼きだけ食べて帰るよりは、それがいいでしょう」
ということで、たこ焼きパーティは前日に行うことになりました。
その後、11月1日にAさん宅で、Bさんを含むマイミクさん達とのヘミシンクセッションがあり、その時かその後に、お二人で、菅野さんを迎えることについて話しあったそうなのですが、私は参加してなかったので知りませんでした。
数日後に、Bさんから、前日のたこ焼きパーティは中止で、当日10時集合とメールがあり、何人参加するのかAさんに確認すると、7人とのことでした。
その後、Bさんから、参加者の名前も連絡がありましたが、ふと、菅野さんは、そんな早く来れるのだろうかと思い、菅野さんにメッセージで確認すると、何も聞いて無かったそうで、
「10時はムリなので、1時から途中参加します」
という返事でした。
そこで私は、菅野さんから来た話なのに、途中参加はおかしいと思い、お二人に、
「1時からに変更して下さい」
とメッセージを送りました。
Bさんが連絡係みたいでしたので、仕事で忙しいんじゃないかと思い、
「それでよければ、Nさんにお願いして、全員に通知しますよ」
と付け加えました。
そしたら、Bさんからメッセージが届き、すぐに電話も来まして、
「せっかく、苦労してまとめた話を全部ひっくり返された」
と言われました。
私が既に、全員に変更の連絡をしたと思われたようです。もっと、丁寧に誤解されないように書くべきでした。
そして、この件は、Aさんと相当もめたらしく、やっと決まった話だったそうです。
結局、最初に私が菅野さんから調整役をお願いされたことまでは伝えていなかったので、もしかしたら、お二人は私が、それぞれの連絡係で、相手発信の話だと思ってたのかもしれません。
ですから、たぶん、詳しいことは私にも菅野さんにも伝わっていると、思ってたんじゃないでしょうか。
あと、Aさんには、以前菅野さんがセッションしたいと言っていたと伝えてましたが、それは私の以前の日記に対して「私と一緒にセッション受けたい」という話だったということまでは伝えてませんでした。
Bさんには、セッションがあるとしか伝えていませんでした。
ですから、Aさんは、すごいセッションを菅野さんにプレゼントしてあげたいと思い、
Bさんは、そもそも菅野さんはセッション希望しているのだろうか、多くのマイミクさん達に会うことが本当の目的なのではと思い、
お互いに菅野さんの為にという思いで、もめてまで話あい、結局、菅野さんが12時頃来るので、早めに集まって迎える準備をしようということになったそうです。
それにしても、私がきちんと説明していれば、お二人がもめることも、無かったと思います。
そして、私が早とちりせず、まずは素直に愛を持って、
「なぜ、菅野さんが来れない時間に始めるんですか?」
と質問すべきでした。
そしたら、そのまま予定通りで問題なかったでしょう。
でも、私はその時、自分が正しくて相手が間違っていると、傲慢になっていたんだと思います。
良く考えれば、AさんやBさんが、そんな愛のない計画を立てるわけないんですが、早とちりの悪い癖が出てしまいました。
結局、お二人とも菅野さんの上京の趣旨が良くわからないままでしたし、私もなぜ、Aさんにセッションを勧めたのか忘れてましたし、今回菅野さんが本当に希望してることは何かを再確認することになりました。
菅野さんに、経緯を説明して、改めて菅野さんの本音をお聞きして、ようやく、スケジュールが決まりました。
一部抜粋終了
※三人とも「菅野さんの為に」という思いで、善意でやった事だったので、
私は「雨降って地固まる」で、一件落着だと思い、二人への謝罪の気持ちと反省の意味も込めて上記の日記を書いたんです。
しかし、これがまたさらなる悲劇をもたらしました。
この日記のコメント欄でAさんが「真相はこうだ」と書き、私が脳天気に「そうだったんですか」とコメントを返してたものですから、再度トラブルが勃発したのです。
AさんとBさんは仲違いして一方がマイミクを切る事態になりました。
それを知ったのはBさんからの長いメールでした。
私はそのメールを読んだ直後、ショックと自責の念からか、心臓を鷲づかみされたようになって息が苦しくなり、布団に倒れ込みました。
こんな経験は初めてだったのでビックリしましたね。
そのコメントのやりとりは残しておくとBさんに申し訳無いので削除しましたが、「既に何人かは読んでるし」と言われ、非常に落ち込みました。
結局Bさんに「自分は参加しない」と言われました。
でも、それでは菅野さんに対して申し訳ないので、Aさん宅でのセッションが終わったら、菅野さんをBさん宅に連れていくことで、なんとかまとめました。
しかし、またもそのとおりにはなりませんでした。
なんと、セッション数日前にAさんが事故を起こして入院するという事態になったのです。
そこで、急遽Gさんに新宿の公民館の一室を借りてもらい、
最終的にBさんが参加してセッションを行い、菅野さんの知覚上昇についての話と懇親会が行われたのです。
この時学んだのは、
コミュニケーション不足はトラブルの元。大事な事は丁寧に説明するべきだし、疑問に思ったら、まず確認するべき。
そして、何でも馬鹿正直に書くものではない、ということ。
あと、一方だけの話を鵜呑みにしてはいけない、ということです。
(それぞれから話を聞きましたが、どちらの話も違うものでしたし、どちらに対しても「そうだったんですか」と答えられるような内容でした)
まぁ、今となってはいい経験ですけどね。
しかし、スピ体験記と題してますので、若干イベント日記からも抜粋します。
菅野さんの感覚では、ヘミシンクを聞くのはプールに飛び込み、水に潜ってる状態で、浮上して水面に出るのが体験という感じらしいです。
とりあえず、聞くのが大事で、あまり、本やマニュアルは読んでないそうです。
だから、泳げるようになるのに、泳ぎ方マニュアルをしっかり読んでからプールに入るのではなく、とりあえず、プールに入って覚える感じだそうです。
そして、菅野さんの体験が進んだ理由はいくつかあるそうですが、
ひとつは、縛りがはずれたことがあるそうです。
宗教から自由になったので、「こうでなければいけない」という思いがなくなったのが大きいそうです。
あと、脳も体の一部なので、運動や体操で体を動かすことも大事みたいです。
それから、ヒーリングを受けることで、F10の感覚や、エネルギーの感覚が身に付いたのも大きいそうです。
5月からヘミシンクを聞き始め、10月1日の日記「サモア諸島に行ったつもりで」の中で、バラの家紋のようなものが見えたそうですが、後でモンロー研のヘミシンクマークだったとわかったそうです。
この時の日記に菅野さんは「なんちゃってリトリーバル」と書いてましたが、私は、
「すばらしい体験ですね。~」
と書き込みました。でも、まだその時は
「いやいや作り話?のようなもので~」
と返されてました。
その後、10月3日のまるの日カフェin東京のレポート日記を書いたところ、菅野さんからコメントいただいたので、まるの日さんの話にからめて、
「ということで、先日のトシ(※=菅野=ルビン)さんのリトリーバルは完璧な体験らしいですよ。否定しないようにしましょう。」
なんてコメント返したんですが、実はもう、その頃から急激に知覚が進んでたようで、あっという間に他人のガイド拝見までするほどになっちゃいました。
そんな人に生意気にも、アドバイスしてたなんて恥ずかしいです。
それから、ICレコーダーの導入も大きかったようです。菅野さんは胸の上に置いてやってるそうです。
そして、菅野さんのICレコーダーの再生音を聞かせてもらいました。非常に興味深かったです。
自分で、質問して自分で答えているんですが、イタコ状態らしく、後で聞き直して、
「こんなこと話してたのか」
という感じらしいです。
長くなるので、とりあえず、こんなところで終わります。