子どもたちと離ればなれになったのは、娘が小学4年生、息子が幼稚園の年長さんの頃だ。
私は、離婚により4人家族のママから一転し独身になった。
理由は何であれ、子どもたちを手放すことになってしまった罪悪感と、一人ぼっちの孤独感と向き合い続けた。
もちろん、ママ友たちとも疎遠になった。
自分と向き合い続けて辿り着いたのは、私が愛を持って子どもたちを育ててきた事実がなくなってしまったわけではないということ。そして、たとえ離れて暮らしていても、そこにはいつでも私が子どもたちを想う愛があって、その愛はきっと子どもたちに届くと信じること。
時が過ぎ、息子が小学2年生の冬に「やっぱりママと暮らしたい」と希望し、小学3年生になるタイミングで、息子との2人暮らしが始まった。
息子は、お父さんと姉との3人暮らしを離れ、ママと一緒に暮らすために遠く青森からこちらの舞鶴へやってきた。
転校だけでも子どもにとっては大きな変化だが、父と姉との馴染んだ3人暮らしから、数年ぶりの母親との2人暮らしは、想像以上に負担があったことであろう。
しかも、その当初は遊覧船の船員の仕事をしていて、土日祝がメインの仕事だったため、平日は放課後児童クラブを利用し、土日祝は職場に息子同伴で出勤してみたり、色々と試行錯誤しながら仕事と子育ての両立の難しさを痛感していた。
本当は、息子との時間を大切にしたい思いがありながらも、仕事に忙殺され、気力も体力も限界だった。
息子との関係は、多忙とすれ違いから、なかなかお互いに信頼関係を築くことができず、生活習慣の違いから衝突も絶えなかった。
宿題をやらない息子に対し、担任の先生から「宿題をやるように、お母さんから促してほしい」と何度も電話がきた。
その度に、衝突が起こる。
息子は、自分の意思を持って宿題をやらないのに、先生から言われたからといって、私が息子をコントロールして無理やり宿題をやらせようとするのだから、これほど無意味で無駄な争いはない。
「自分が大切にしたいことは何なのか?」
それは、心の平穏だった。
家族が笑顔で過ごせることだった。
だから、勇気を出して、担任の先生に、今までの経緯と自分の気持ちを正直に伝えた。
「私は、息子に無理やり学校の宿題をやらせようとすることで争うより、家族が笑顔で過ごせることを大事にしたいので、息子に宿題の件で口を出すのをやめます。」
息子との2人暮らしが始まり4ヶ月後、シングルマザーをしながらの船員の仕事に限界を感じ、また「やさしい音楽をお届けするアーティストになる」という新たな目標を掲げ、船員の仕事を卒業することにした。
退職して3週間後、今まで作曲なんてできないと思い込んでいた自分を手放し、相棒のオカリナのためのオリジナル曲を作ろうと作曲にチャレンジし始めた。全く先が見えない中で、経済的な不安を抱え、1人で子育てをしながら、コツコツと生み出してきたその作品たちは、いつの間にか200曲を越え、現在272曲に至る。
その1年後、楽譜や楽器、CDや家電など売れるものは全て売ったが、もう家賃を払うことも困難になり、半強制的に今の家に引越すことになった。
息子は、今まで毎日のように外で遊び、「あ〜今日も楽しかったな〜」と充実した1日を送っており、そんな我が子を微笑ましく思っていた。
引越してからの息子は、夏休み中だったこともあり、一歩も外へ出なくなった。
有り余るエネルギーを発散できず、環境の変化で家の中での衝突が激しくなった。
私はコロナ発症中であるにも関わらず、限界を超えての半強制的な引越しだったため、しばらく息子を連れ出すエネルギーさえも皆無だった。
学校が始まり、学校から帰ってくると、最初の日だけは、クラスの子から誘われたようで、嬉しそうに遊びに出掛けた。
が、しかし…
その次の日は、なぜか学校から帰ってくると、シャワーを浴びると言い出し、今まで一度もそんな事はなかったため、異変を感じた。
息子はクラスの友達と約束をして遊びに出掛けたものの、「やっぱり遊べないって…」と言って帰ってくる不誠実なことが続き、そのうち息子は外へ遊びに出掛けることがなくなった。
そんな息子の悲しい変化を目の当たりにして、息子にお友達と遊んで楽しい1日を過ごさせてあげたいと思うようになった。
学校では「校区」という出掛けても良い区域が決められている。
以前暮らしていた家は、同じ市内の校区外の地域ではあったが、子どもが笑顔で過ごせるのなら、私は私の責任の下にその学校のルールを破ることもやむを得ないと判断した。
その地域までは、今の家から自転車で40分ぐらいはかかるものの、行けない距離ではない。
私は、息子が自分で友達と遊びたいと思った時に、自分で自由にその地域に行けるようにしようと思いつき、その地域までの自転車での一番安全性の高いルートを考え、道順や目印の看板や建物、車に気を付けなければならないポイントなどを説明しながら、息子と一緒に自転車を走らせた。
その後、息子が1人でその地域に自転車で出掛ける日がやってきた。
息子は、ちょっぴり不安そうではあったけれど…この経験は必ず息子の自身と笑顔に繋がるに違いないと信じ、笑顔で息子を送り出した。
息子が帰ってくると、◯◯君のお家でみんなで遊んで楽しかったことや、途中で道に迷って違うルートになってしまって不安になったけど、なんとか帰ってくることができたことなどをお話してくれた。
やっぱり、思いきって息子を送り出して良かったなと、自分への信頼に繋がった。
翌日、この経験があまりに嬉しかったのか…
息子が学校でついついクラスメイトに校区外に自転車で1人で出掛けたことを話してしまい、「◯◯君が1人で校区外に自転車で出掛けた」と、担任の先生にバレてしまい、学校から電話がかかってきた。
担任の先生に、息子が転校してから一歩も外で遊ばなくなってしまったこと、クラスメイトと関わる中で妙な行動が見られたり、不誠実な出来事が続いたこと、エネルギーを発散できずに家で荒れることが増えたこと、学校のルールを破ってでも、息子を友達と遊ばせてやりたかったこと、息子に自信をつけさせてあげたかったことなどを正直に話した。
その後、息子は自転車で校区外に出掛けて友達と遊ぶ機会を奪われ、ますます荒れるようになった。
ある時、車で出掛けた際に、友達と遊びたいから、前の家まで車で連れて行って欲しいと息子に頼まれた。
言われたタイミングが、ちょうど11:30頃だった。
「よその家では、これからお昼の時間だから、みんながお昼食べ終わって13:00時ごろだったら連れて行ってあげるよ」
と息子に返事した。
が…息子は1秒たりとも待てる状態ではない。
車内の後部座席で椅子を蹴って暴れ出し、運転席の背後から髪を思いきり引っ張られ、車の運転もままならない。
子どもが1人でお昼時に友達の家を訪ねるのは、まるでお昼ご飯を食べさせてくれと言っているようで、私はどうしてもその時間に息子を友達の家へ連れて行く気にはなれなかった。
とりあえず、金剛院へ車を走らせ、そこでなんとか時間を潰すことにした。
金剛院へ着いても、息子の怒りはおさまることなく、どんどんエスカレートした。
車に積んであった傘を持って、あずま屋にいる私の所へ寄ってきて、その傘で思いきり私の身体を殴り続けた。
この時、私は
「自分の息子に殴られ続けることほど、悲しいことはないな…」と感じた。
「天はなぜ、私にこんなひどい体験をさせるのか?」と、正直な話…天を恨んだ(笑)
それでも、
「私は愛と喜びの存在なんだ」
と自分に強く誓い、
私は殴られる度に、大声で笑った。
本当はすごく痛かったし、悲しかったけれど…
息子にやり返すことなく、
自分を信じ、愛と喜びの存在であり続けた。
あれから、時日が経ち…
3年生だった息子が6年生になった。
昨夜の夕食は、冷製サラダうどんだった。
冷たいうどんの上に、鶏のそぼろ、入り玉子、青シソ、レタスをトッピングし、麺つゆをかけて頂く。赤、黄色、緑と目にも鮮やかなカラフルうどんだけど、昨夜はトマトがなかったから、省略した(笑)
うどんを食べ終え、そぼろがたっぷりの汁が残った。
息子がいつもの習慣で冷蔵庫を開けると、
パックに入った3連の絹豆腐を見つけ、
「この豆腐で、揚出し豆腐作りたいな…」
と言った。
「じゃあ、このそぼろ入りの残った汁で揚出しのあんかけもできるよ!」
「それ、いいねぇ~!」
「明日の朝ご飯は、揚出し豆腐でご飯食べようか?◯◯、揚出し豆腐作るね!」
「じゃあ、ママはご飯炊いておくね!」
昨夜は、3時半ごろまで眠れず…
6時半に目覚ましが鳴っても、起きるのがしんどかった。
息子は、先に目を覚ましていたようで
「おはよう!◯◯揚出し豆腐作るね!」
と、1人で揚出し豆腐を作り始めた。
ご飯は、私が昨夜セットしておいたから、すでに炊き上がっている。
眠いながらも、布団の上でストレッチしていると、
美味しそうな豆腐を焼く音が聴こえてくる。
「ママ、あんかけってどうやるの?」
「汁を熱したら、水溶き片栗粉を入れて混ぜるんだよ!」
「ありがとう!」
次は、出汁の良い匂いが漂ってきた。
「できた!ママ見て〜!」
息子が1人で作った揚出し豆腐を器によそって、
誇らしげに布団にいる私に見せに来てくれた(笑)
「え〜すごい!!めっちゃ美味しそう!」
「早く食べよう?」
「そうだね(笑)」
2人で息子が作ってくれた揚出し豆腐を頂いた。
「美味しいねぇ~」
「うん、美味しいねぇ~」
「◯◯、揚出し豆腐作ってくれてありがとう!こんなに美味しいの作ってもらって、ママは世界で一番幸せなママだな〜(笑)」
言っているそばから、やさしい涙が込み上げてきた。
「今日は早くご飯できたから、ゆっくりできるね!」
「そうだね!じゃあ、ウノでもやる?」
「やるやる〜!(笑)」
揚出し豆腐でご飯を頂いた後、
2人でウノを3回戦ほど楽しんで盛り上がり、
「今日は最高に楽しかったね〜(笑)」
「今日はめっちゃご機嫌で学校行けるよ!」
「行ってらっしゃい!」
「行ってきま〜す!」
息子をハグして、ハイタッチして、
息子はピースサインをしながら、
笑顔で学校に出掛けて行った。
あの闇を経験していなかったら、
こんな日常の些細な喜びは、
当たり前の事で、
本当は宝物であることに気付けなかったかもしれない。
「やさしい音楽をお届けするアーティスト」
森内美由紀