バタバタと浮かれた様子で走り回る
おそらく小学2,3年生だろう「ガキ」を
忌々しく横目で見ながら
荷造りする手を休めることもできない。


人の気持ちを推し量ることもせず
能天気にこの家の次の住人になるかもしれない
この上なく「幸せな家族」を案内する
小太りの不動産屋は
テラテラと光る額を白いハンカチで押さえながら
いそいそと私の横をすり抜けた。


まるで
誰も
そこに存在しないかのように。



わかっていた。


この人たちが悪いんじゃない。


誰も悪くない。



出来上がったばかりの
初めての「自分だけの部屋」に駆け込んだ日。


きっと
あの日のわたしもこんな風にはしゃいでたはずだ。
こんな風に笑ってたはずだ。




季節には祖母が大好きだった
セリの生えるうらの田圃。


日曜日にみんなで囲んだ
暖かい湯気と笑顔の満ちた食卓。


寝そべって空を見上げた
粉雪のちらちら舞うおおきなベランダ。


父と母が
大切に慈しむように築き上げて来た
「幸福の証」は
いとも簡単にあっけなく
目の前から消えてなくなろうとしていた。


笑いたくなるほど
あっさりと。




せわしなく
無表情に手を動かし続ける母の
場違いのようなその日の紅い口紅は
「泣くまい」という固い決意と
まだ十分に若く、美しかった母の
精一杯の抵抗だったのかもしれない。


昭和九生まれの父。


田舎の農家に
六人兄弟の長男として生まれ育ち、
芋粥や粟を食べ、
牛や馬をひきながら中学を終えた父にとり
幼い妹弟たちを食べさせるために働くことに
なんの疑問も持たなかったことだろう。


それが当たり前だったわずか数十年前の日本。


自分が通うことを想像することさえできなかった高等学校へ
幼かった弟たちを進学させ
ひたすら働いた。


一番末の妹を
ようやく卒業させた年には
父は30歳をとうに超えていたはずだ。



薄紅色の染井吉野が
そろそろと舞い始めた「辰夫神社」の境内で
この親子ほども歳の離れた妹を
実直な面立ちをした青年の許に嫁がせた日の父は
満足げで
誇らしげで
そして
「父親」の顔をしていた。



泣き喚いて
姉妹でたったひとり出席した
おかっぱ頭の私は
大好きだった若く美しいこの「叔母」の白無垢姿と
くっきりとその頬に刻まれた片えくぼを
春風にくるくると舞い上がる
桜色の花びらごしに
呆けたように見つめていた。


ピカピカと誇らしげに輝く
甲にストラップのついたおろし立ての赤い靴。
レースのふち飾りがついた真っ白な靴下を履いた両足を滑り込ませ
ポンっと
弾むような調子で立ち上がる。

そのはずみで風をはらんでひらりと揺れる
姉とそろいの桜色の小花刺繍が可憐なワンピース。

当時、「和光 」の最上階で
洋服を誂える家庭は少なかったはずだ。

子供心に
それがどんなに贅沢で特別なことなのか
まわりの大人たちの自分たちへの接し方で気がついてもいた。

その居心地の悪さも
すこしばかりの誇らしさも
寝物語に毎夜のように
祖母にせがんだ、「シンデレラ」のおはなしのようで
「どうか夢でありませんように」と
ひたすら願った。



小学2年生のとき
裏の新築の洋館に泊まったあの日。

初めて味わった
たっぷりのマーガリンが塗られた「トースト」とただ苦いだけだった「コーヒー」の香り。
トランポリンのように弾むフランスベッド。
ふんわりと鼻腔をくすぐられるおしろいの匂いのする「ママ」と呼ばれていたおばさん。


すべてが
いつの頃からか自分の手の中に転がり込んできたのだ。



それは
とりもなおさず
日本の高度経済成長期の真っ只中で
その波に乗り
休むことなく
懸命に走り続けた「父」と「母」たち世代の勲章だったにちがいない。




精力的にそして極めて順調に事業を拡大させていく
男らしく頼れるちょっと二枚目の夫。
自分の思うままに
丁寧な包装を施したような娘たち。
着々と実現されていくおおきな夢。




贅沢とはきっと無縁で育った母にしてみれば
華やかで華麗な特別誂えの娘たちの晴れ着は
許されることのなかった幼い頃からの憧れと
自分への賛美だったのかもしれない。