マイホーム売却を決めた時から
住宅展示場へ足を運んでいました。
当時は住宅建築に関する情報を得る手段はかなり少なく、
住宅メーカーを頼るしかありませんでした。
様々なメーカーの展示場を見て回り、
営業マンとの相性や坪単価等を考えて、
最終的に、ダイワハウスと○○○○〇に絞りました。
しかし居住地(安城市)の展示場で商談しながら
引越し先である岐阜で家を建てるのは
なかなか難しいことでした。
まず土地探しから始めますが、
当時はバブル期で恐ろしく土地が高かったんです
(そのおかげで家が高く売れたのですが)
私達が岐阜の不動産屋に足を運ぶこともなかなか難しく、
電話で問い合わせをするくらいしか出来ませんでした。
なので、
岐阜に住んでいた義父にも土地探しをお願いしました。
しかしなかなか思うような土地が出てこなく、
ただ時が過ぎて行くだけでした
そんなある日義父から、
70坪近い土地が売り出されている
と連絡がありました
早速夫が見に行きました
(私は妊娠中で体調が良くなかったので行けませんでした)
土地を見た夫の感想は悪くなかったようでした
そして価格も1050万
これなら買える
ということで、購入決定しました。
そしてハウスメーカーは、
魅力を感じた上に
当時はまだ坪単価が安かった
〇〇〇〇〇に決めました。
しかしこの選択がその後の悲劇を生むことになったのでした。