
1970年代後半。
サタディナイトは東京ミッド
ナイトライディングだ。
20:00頃から各地で集合し、
合流して、やがて大集団に膨
らむ。
膨大に膨れ上がった集団は、
自分たちだけでなく、都内各
地に発生し都内の街道を走り
回る。
R20を新宿から保谷、八王子
へ。八王子で大集団はさらに
数が増え、集会を行う。
そして再度都心部へ全員で向
かう。環七を右に折れて晴海
埠頭を目指す。
二輪200台以上、四輪400台程
で。延々と何キロ先までもテ
ールライトが繋がる。
機動隊による一斉交通止検挙
が無ければ、埠頭へは乗り入
れ早い者勝ちだ。対立勢力が
先に埠頭に入っていなければ。
ぶつかると数千人規模の衝突
となるので、走りの時にはそ
れはなるべく避ける。
土曜の夜の都内の街道を走り
続ける。TON下40km/h程で
ずっと延々と数百台で。
途中給油する者らもすぐに
追いついて合流する。
一晩中走り続けて、夜明け頃
に解散する。
二輪も殆どが2ケツだが、後ろ
のシートの者は解散後のゆっ
くり走行でうとうとと眠り出
す者もいる。
すっかり日が昇った日曜の朝
7時頃帰路に向かう。
そういうのを毎週やっている
と、走行距離はかなり伸びる。
大集団の爆走でも不思議と集
団内での接触事故や転倒事故
は無い。
サタディミッドナイトライディ
ングでは、印象的な光景が二つ
ある。
大集団の集会自体はあまり印象
には残らない。大集団などは後
楽園球場のナイター観戦で何度
も経験していたからだ。
ミッドナイトランで記憶に刻ま
れるのは、延々と何キロ先まで
も続く自分らの仲間の車のテー
ルランプの筋と車両の右下に光
るホタルの色だ。ホタルはそれ
ぞれ各人が自分の好きな色を着
けていた。
そして、夜明けを迎えるトワイ
ライトの東京の街の景色も心に
深く刻まれる。
この二つは何度走ってもいつも
新鮮に目に焼き付けられた。
こうした心に刻まれるものとい
うのは、文字の記憶として残る
のではなく、視覚的映像描写と
して脳裏に刻まれる。
そして、色合いは、白や黄色や
赤でもなく、真夏のブルーの空
気と青緑と赤紫とオレンジが光
の粒と線になっていた独特の街
の色彩が記憶に残される。
透き通るブルーライトと混ざり
合う仄かな光に包まれた夏のあ
のメトロポリタン東京シティの
夜気は、そこを一晩中走り続け
た者にしか感受できないだろう。
東京ミッドナイトブルー。
それは生命の輝きを放っていた。
我らは深い紫色がやがてオレン
ジ色の空と溶け合って明るくな
る中、紫のハイウェイをどこま
でも走り続けた。
