このアメーバブログサービス
は、10数年前にアカウントを
作って持っていたが、gooを
メインにしていたので全く使
っていなかった。
2025年9月30日のgooブログ
サービス更新機能終了により
やむなく全面的にこのAmeblo
に引越をした。
現在も未整理記事は更新作業
中だ。記事数が3万件以上あ
るので。日本刀や武術系、技
術系の記事は殆どが今も未整
理。自動移籍手続きにより、
未分類のままの移動となって
いる。
一方、携帯アプリのほうの使
い方に移動して5日間では未
だ習熟しておらず、まだ使い
方をすべて把握していない(笑
ウエブ日記~ブログサービス
で一番アクセス解析とセキュ
リティについて完璧だったのは
「さるさる日記」サービスだ
った。
アクセス解析では、アクセス
した者のIPアドレスまで全て
詳細に解析した。ブラウザや
使用機種やバージョンまで。
恐ろしい程に完璧なこれぞ解
析、だった。
現在の人気数や閲覧数分析に
重点を置く形式ではなく、ネ
ット世界の黎明期から過渡期
における「犯罪防止」に重点
を置いた素晴らしいシステム
だった。海外の串刺しさえも
それを特定して、そのIPから
のアクセスをブロックできる
機能を有していた。
IPだけでなく、リンク先サイ
トも特定して、そこからのア
クセス拒否もできる設定だっ
た。
特定人定において、複数アク
セスポイントからのアクセス
ブロックも詳細データを追う
事で可能だった。
あの機能は極めて優れていた。
悪意あるアクセスなどは、運
営者側がほんの少し作業をす
れば全てシャットアウトでき
た。
有害悪意アクセス完全排除の
為、ネット犯罪も未然に防止
できる機能を結果的に持って
いた。
gooも途中までかなりの解析
システムを持っていたが、途
中から超簡易で大雑把な解析
能力に下げた。締め出しがダ
ダ漏れ。
結果として、ネット犯罪者の
恰好の攻撃対象となり得る構
造を物理的に保持してしまっ
ていたのが途中からのgoo
ブログサービスだった。
予備として別サービスでの
アカウントも有して、万一
の時のために別ジャンル記
事をそちらに掲載していた
が、途中からは私はgooに一
本化した。
Amebloについてはアクセス
解析とセキュリティについて
は凡庸だ。
特定アドレスやIP、リンク先
からのアクセスは全遮断でき
るかつてのさるさる日記のよ
うな特筆的に優れた機能が望
まれる。
ブログ形式のネット掲載物が
SNSのような個人攻撃やネッ
ト犯罪のネタになるような事
を物理的な機能缺欠性によっ
て補完する構造になるのは、
ネットワークシステム制作の
指針としてはしては避けるべ
きだろう。
社会的責任性において。
そのあたりは製作者SEと統括
制作責任者の社会的意識性の
如何にかかる、というのがそ
もそもネットの主体的脆弱性
ではあるのだが。
そうした点において「さるさ
る日記」は本当に素晴らしか
った。
今世紀初頭の日本におけるウ
エブ日記の草分けであり、画
像アップ機能が無かった為、
私は独自ドメインkelu-cafe.com
の巨大容量の自己サーバーに
画像を保存して、そこからの
HTMLリンクとして記事に貼
っていた。
アメブロアプリ、多機能なのだ
ろうが、操作は結構面倒だ。
だが、国内で最大利用数のブロ
グサービスなので動作の信頼性
は高いみたいだ。
なお、私のこのウエブ日記は
あくまで「内的独白」であり、
横連携やコメント欄を設置し
ての読者交流などを図る意向
は一切無い。
SNSのようなお仲間よいしょ
や誹謗中傷揶揄罵詈雑言を
ネット機能を使って匿名の陰
に隠れて為す犯罪行為は私は
全否定なので、匿名裏ネット
掲示板なども読まないし、そ
こで扇動されてどこかのブロ
グに訪問するという愚行も私
は心の底から軽蔑している。
理由は、それらは行動も事実
刑事犯罪だが、性根が犯罪者
のそれであるからだ。
そして、事実上、それらは犯
罪を構成する素因となってい
る。
犯罪防止や否定について社会
的に意識性が低く本当のソー
シャルマインドとリーガルマ
インドが希薄な者たちは、そ
うした裏ネット情報や悪意あ
るSNS漬けの中毒者になって
犯罪構成員となっているとい
う自覚が殆ど無い。
それはシャブ中、ヤク中と同
じ現象なのだ。
而して自ら犯罪者となってい
る。ネット上での誹謗中傷と
いう刑事犯もしくは幇助者と
して。
そのような現象はインターネ
ットがブロードバンド化した
頃から発生しはじめ、2010年
にスマホが登場してSNSが蔓
延し始めてから強烈に根付い
た。
「正気を失った者たち」が
まるで強大な亡霊集団のよう
に社会を徘徊しはじめた。
そして、徘徊者たちは裏切り
者と心汚れた原罪者たちとで
同盟を結んだ。
裏切者は裏切り者と同盟する。
卑怯者は卑怯者と連合する。
卑劣な者は卑劣な者と手を
組む。
これは人間が「意思」を勝手
に持って以降の人間社会の負
の歴史だが、現代ではその人
間のおぞましき悪しき意識は
ネットに凝縮されている。
そして、多くのネット民は、
ネット愚民となって心根の清
冽さを自ら投げ捨てて汚濁の
精神性と行動にはけ口を見出
して、ちっぽけな自分の安寧
感に浸って安堵する。
生きる程に、自ら罪を重ねて
いる。
悔い改めなどとは無縁だ。
本来、私のこの日記の存在な
どは、そうした心根、性根の
世界とは一切縁を絶ちたいと
思っている。
宗教的な世界観とは別な意味
で。
世界の片隅のほんの一介の
リアルソーシャリストとして。
ソーシャリストとしてよりも
コーポラティストとして。