絶対に人にはおすすめしな
い事だが、
中学の時から雪
の日には雪だるまを
作って、
稽古着を着てそれを模擬刀
で袈裟に切断する事をやっ
ていた。
気分は山田朝右衛門と対決
する際
の石仏三体切断後の
立ち合いの拝
一刀のつもり
で。
あるいは、『子連れ狼』の
「寒到来」
のつもりで。
 
雪だるまを斬ると、刃筋が
立てば
サックリと切断でき
る。
少しでも刃筋が狂えば雪が
飛沫と
なって飛び散る。
だが、手筋刃筋正しければ、
切っ
た後に間をおいて雪だ
るまの上は
滑るように真下
に落ちる。
刃筋稽古にはもって来いだ。
だが、模擬刀とて、おすす
めは
しない。
私自身は、模擬刀での試し
切り等
小学生時代から
これでもかという
程にや
りまくった。
私が真剣日本刀で初めて斬
刀法を
実践しても、最初か
ら切れて、こん
にちに至る
まで一度も刀を曲げた
事が
ない事実は、実は小学生の
からの鍛錬の帰結かも知
れない。

他のスポーツと同じく年齢
など関係なくある領域に達
すれば簡単な事だ。
例えば高校球児のうち即プ
ロの一軍の第一線で実践投
入できるような材が時々出
るが、それと同じで、年齢
など関係なく実の力を持つ
者は年齢や経験値の数値的
な桎梏を無意味化し、年齢
という年限を凌駕する。
また、その意味は、武術や
武道における段位などは一
切関係ない。到達早熟な者
は低段者であっても達して
いるし、いくら段位のみ高
位であっても未達未熟の者
は内実が伴わない。

 
モノサシで草や枝を切って
みれば
よい。
さすれば、刃物の刃先の刃
味によ
って「斬る」のでは
ない事に開眼
する。
これの知見を得るのも年齢
は関係ない。
私は8才の時に会得した。
 
名乗り祖父江主馬こと水鴎
流拝一刀。
三条宗近。


 

 
山田流据え物斬り。鬼包丁。


水鴎流。斬馬刀胴太貫。




柳生新陰流。斬釘截鉄剣。

 
早月流。斬鉄剣康宏。
刃引き。
 
術を会得すれば、刃引きで
畳表あたりは置き畳表で
あろう
とも切断できる。
而して、切ったのちには刀
(とう)
を止める。
これに年齢段位などは一切
関係
ない。
出来る者は出来、出来ない
者は
出来ない。
また、天賦の才の有無も関
係無し。
どれだけ己を磨くかのみし
かない。
それが真実だ。