スピリチュアルな視点を得て

感覚を開いてからも

本望な生き方について

さらに自分は何をしたら本望なのか

についてふと考えてみています。


考えてみても

何も浮かんでこない。


それは、魂が喜ぶことは

思考ではなく

感情や閃きが伴うことだから。


目の前のワクワク感や

好きなこと、心地よさを選んでいくと

気がついたら本望な生き方のルートを

辿っているのではないか。


だから、何となくこうゆうことがしたい

と設定した目標は実はゴールではなく

スタートラインで、そこに向かうべく

踏み出した一歩は、確実にそちらの

パラレルに移動し続ける鍵なのだと。


焦りも手放し、ただ自分の中に

問いという小石を放おり、

その放物線を眺める感覚で、

そんなことを思っています。