私とツインレイの相手は正反対の

性質を持つ。


価値観も違うし、共通の趣味もない。

辿ってきた経験も違うし

ましてや、入れ物である 

肉体の容姿に関しても、そもそも

お互いにタイプではないのだと

断言も出来る。


だから、ツインレイであることを

私が手放したら終わるのではないかと

感じたことも多々ある。


ツインレイの概念を作り話だと言い切り

俺はツインレイじゃないと否定した彼を


その現実を突きつけられた私が

ツインレイをやめれば終わる。

いつでも終われる。

そういう時のほうが

執着も強いのだと知った。


そもそもタイプじゃなかったし

なんで50近くになって

わざわざ職場の年下男性と。

誰が好きでそんなリスクを取る?


そんなことを考えていた半年前。


出会いの頃の相手からのアプローチは、


もう男は卒業!

人生後半を

ひとりでハッピーに生きよう!

やっと自分のことを出来る余裕ができたと

喜んでいた私を猜疑的にし、

からかわれてるのか、

何が面白いのか。

本気か?

と、思ってもいた時期もあったり。


魂の伴侶でなければ

お互いに意識することもない。

想い合うこともない。

嫉妬することも、執着する必要も。


がっつり3次元下で

向き合ってきた道を、記憶が逆再生で

辿ると、なんとも不思議な感覚になる。


今は、ツインレイなんだから

という枕詞がなくても、


私が今世関わった人物のひとりと捉え

この先離れても、

まあ、幸せになってよね!

お互いにね!と手を振って見送れる

気もしなくもない。


だって、私には私がいるから。

それで充分でしょ。


ここに至るために出逢わされたのかも

しれないね。