修士を取得した後、色々あって研究室を代えることになり、そこでようやくワシントンD.C.でエチオピア移民の研究を行えることになり、また運良く1年間の研究助成金をいただけることになり、渡米した。ただ、ワシントンD.C.には大学や先生のつてがなく、受け入れ機関や住み込み先を自分で一から探さなければならなかった。エチオピア移民をテーマにした論文の著者を検索しては連絡をしては断られたが、唯一好意的なお返事を下さったのが、D.C.の隣にあるバージニア州の大学に所属する、政治学を専門とする先生だった。見ず知らずの謎の日本人学生を受け入れてくださったことにいまだに感謝している。実際にビザを取得して大学に出向くと、とっても話しやすい男性教授で、私には客員研究員として一人部屋の研究室を用意してくれていて、本当に畏れ多かった。
住処に関しては、大学寮を選択することもできたのだが、できればエチオピア人の人と関わりながら生活したいと思い、ワシントンD.C.にあるエチオピア人コミュニティ街のレストランやカフェで、アムハラ語新聞を収集し、ルームメイト募集の欄から住処を探し始めた。よく思いついたなそんなこと、と、今となっては思う。そんなとき、運良くレストランで友達になった男性が不動産屋さんで、私にあったルームメイトを一緒に探してくれたのだ。「男がいる家は危険すぎる」といい、わざわざ女性だけが住む家を探し、見学にも付き合ってくれた。そんなこんなで見つけたのが、50代のエチオピア人女性が一人暮らしをする家で、2階の一室を間借りすることができた。月5万円。家賃としては随分安い。
エチオピアの農村での決められた小さな集落でのフィールドワークとは違い、ワシントンD.C.でのフィールドワークは、まずはどこにいけば調査対象に出会えるのか、そこからのスタートだった。誰の紹介もつてもなく、一から人間関係を築いていくのは苦労したが、誰に対する遠慮もなかったので、自由な気持ちで、直感のままに歩き、話しかけた。
調査の内容や具体的な話は割愛するが、こうして私はエチオピアでトータル1年、アメリカで1年、計2年間のフィールドワークを行い、修士課程と博士課程を合わせて計7年間、大学院に在籍していた。だが長期のフィールドワークを終え、博士論文の執筆も進めなければと思っていた頃、果たして自分は一生、研究職で食べていくんだろうかと疑問に思った。30歳になっていたし、実家を離れたかったし、正直、今更だけど自分には研究職は向いていないと思った。一般的には研究というといまだガリベンみたいなイメージがあるのかもしれないが、多分真逆。他大学や海外からの研究者との交流は常にあり、大勢の前でプレゼンや討論をし本の執筆を繰り返して生計を立てていく華やかな世界。関心のない物事や人と接することが一番のストレスになる私にとって、その世界で生きていくことを想像するのはなかなかに難しかった。