タヌキチが中学受験したいと言い、

 

本人のその動機は置いといて。

 

(その実、ヤンキー回避)

 

 

各校のことを色々調べてると、入口は易しくても、

 

有名大学にいかに進学させてるか、をほぼほぼアピールしてくる。

 

もちろん学校の取り組み方で合格者を多く出してる面もあれど、

 

やはり特待生が叩き出してる数字だろうし、

 

私自身は大学のレベルにはそこまでこだわっていない。

 

 

大学はとあるレベル以上のところに行ってくれればいいし、

 

(人に学校名を言って通じるレベル以上希望)

 

一番はタヌキチが勉強したいと思える学問に巡り合ってくれればと、

 

そんな風に考えていた。

 

 

ふと、自分の大学受験のことを振りかえると、

 

3年生の半ばで受験するのが嫌になり、

 

当時音楽にドハマっていたこともあって音響の専門学校に行きたいと

 

親に申し出た。

 

こういう仕事で食べていけるのはひと握り。

 

まずは大学に行きなさい、と言われ。

 

ま、そうだよね。受験から逃げたいだけだから。

 

とはいえ、自分自身でも何で大学に行かなきゃならないのか

 

分からない中での受験勉強なので、身も入らない。

 

 

高校は進学校ではなく、四年制大学に行く子は数人な環境。

 

進学する子のほとんどは短大か専門学校。

 

 

とても慕っていた英語のおじいちゃん先生に、

 

「先生、大学っていく意味あるのかな?」

 

と聞くと、

 

 

「進学する先によって出会う人が変わるから、

 

できれば上を目指した方がいい。

 

いい場所にはいい出会いがあるから。」

 

 

という趣旨のことを言われたの、すごく強烈に印象に残っている。

 

ある程度の年齢になって、

 

「ああ、そういうことか」

 

と理解した。

 

 

人を差別したり、どうこうって意味じゃないのだけど、

 

確かに自分の居場所によって、出会う人って変わってくる。

 

住む場所しかり。

 

 

上流階級には上流の世界があるだろうし、その逆しかり。

 

 

私は都内の中堅どころの大学だけど、

 

田舎の非進学校の高校とは違ったタイプの人たちとの出会いがあったし、

 

これまで出会いに恵まれてきたと思う。

 

就職してからもしかり。

 

 

タヌキチにもこれからよい出会いがたくさんあることを望むばかり。

 

そのためにも一定の年齢までは、

 

環境はある程度選んで進んでいくのも必要なのかもしれぬ。

 

そのための中学受験でもあるかな。

 

 

ふと思ったことをボヤいた次第です。

 

(ボヤキのカテゴリーを作るとしよう)