高崎市はだるまの街です。
高崎駅の東西自由通路の東口の出口には、だるまが置いてあります。
毎年1月にだるま市が開かれる少林山達磨寺によると、
寛政年間(1789年~1801年)に、
9代目東獄和尚が飢饉に苦しむ農民を救うため、
上豊岡村(現:高崎市上豊岡町)の山縣友五郎に達磨の作り方を教えたことが
高崎だるまの始まりだそうです。
当時は村の名前から豊岡だるまと呼ばれていたそうですよ。
但し、山縣友五郎が生まれたのは寛政5年(1794年)なので、
寛政最後の年の寛政13年(1801年)に教わったとしても、
友五郎は8歳です。
教わったのかもしれませんが、8歳の子供では難しいのではないでしょうか。
なので最近は、友五郎が10代から30代になる
文化年間か文政年間にだるま作り始めたということに落ち着いているようです。
それを裏付けるように高崎談図抄の版画には、
文政12年(1829年)の田町六斎市初市で
だるまが売られている様子が描かれています。
当時の田町(現:高崎市田町)では毎月5日と10日の五十日の月6回、
市や六斎市が開かれており、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」
と謡われるほどの賑わいだったと伝わっています。
高崎は江戸時代からだるまの街だったのですね。
右のだるま。
幸福のだるまと書かれています。
左のだるま。
高崎だるまは眉毛は鶴、口髭は亀を表していて、
お顔に吉祥をが表現されていることから福だるまとも呼ばれています。
このデザインがほかの地域のだるまさんとは違うので、
依田氏は子供の頃から慣れ親しんだ高崎だるまが一番好きです。
高崎駅東口には、だるまの壁画もあります。
高崎で街頭インタビューというと、高崎らしさを出すためか、
この前の映像をよく見かけます。
東口の駅前にある高崎オーパのショーウィンドウもだるま。
パステルカラーで華やかなだるまでした。
そしてオーパの中に入ってびっくり!
色々な創作だるまが展示されていました。
8月に開催された高崎まつりの創作みこしのだるまの展示のようでした。
だるまの前には高崎白衣大観音と高崎パスタかな?
麺の上にカツらしきものが見えるので、これはシャンゴのシャンゴ風?
こういうヒゲも面白い。
やはり高崎白衣大観音の絵も添えられています。
ほかに上毛かるたの「縁起だるまの少林山」の絵札と、
焼きまんじゅうが置かれていました。
頭の上は何だったのかな?
こちらは両手に焼きまんじゅう。
口元が汚れているので、既に召し上がっているのかも。
郷土グルメの一つである焼きまんじゅうはだるまさんにも人気なのかな。
グラデーションが綺麗。
お顔のデザインも斬新で素敵。
こちらは口が折り紙のだるま。
後ろにはやはり高崎白衣大観音で、またまた焼きまんじゅう。
もしや目も焼きまんじゅう?
そしてガトーフェスタハラダ風のラスクも添えられている、
高崎てんこもりのだるま。
私の一番のお気に入りはこちら。
全部真っ赤なだけじゃないのとお思いでしょうか?
じゃ~ん!
なんとお弁当になっているのです。
高崎には昔からだるまの容器に入っただるま弁当という駅弁があり、
それを模した創作だるまでした。
だるま弁当は食べ終わった後の容器は貯金箱として使えるので、
実家に何個も置いてありました。
高崎市民あるあるだと思いますが、ほかの地域の方は御存知ないかな?
高崎オーパで創作だるまを堪能し、次に行ったアニメイト高崎。
なんと、ここにもだるまがいた!
しかも鬼滅の刃のキャラクターごとのだるまです。
どこまでだるまなんだ、高崎よ。
そういえば高崎市庁舎の展望レストランの前にもこんなだるまがいました。
結婚式もできるというPRのためなのか「縁」と書かれただるま。
縁結びだるまって言っていいのかな?
UNIQLO LOGO STORE 前橋南インター店にはユニクロだるま。
ここは高崎市内じゃないけど
病院のロビーに鎮座しているのはあまびえだるま。
みなさんはどのだるまがお好みでしょうか?
だるまの街 高崎へ、是非お越しください。
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